http://www.ryukoku.seikyou.ne.jp/home/e990319/public_html/sanseiken.html
「日本人」であるということについての理解は実のところ曖昧のきわみだとおもう。最近、デイビッド・グロスマンの「イスラエルのパレスチナ人」を読ん
だ。そのひとつの章で交わされたある議論はナショナリティについてのものだったのだが、その核心は、イスラエルが「ユダヤ人」の国家であることを制度的に
保障していいのかというようなことだったろうとおもう。
翻って、日本が文化的、民族的ない意味での「日本人」の国家であることを本来的なことだと考えることが義であるか、ということである。実際、いまでも、
帰化行政には、日本へ帰化することは、文化的、民族的に日本人になることだという観念がのこっているらしい。在日の問題だってそこに関連するだろう。接触
のない日本人はふつう、いちばん理解しがたいのは韓国朝鮮で生活するつもりがないのになぜ帰化しないのだろう、ということに違いないので、それはかなりの
部分、日本人が、日本国民であることと日本人であることを混同しているくせに、他方で別の場面では、日本国民になることが、民族的、文化的アイデンティ
ティの問題として捉えられているのだということに気がつかないせいでもある。つまり、そういう場面では日本人の多くは、けっこう単純に、いやそんなの単な
る書類の問題だけで、アイデンティティの問題じゃないじゃん、というはずで、たしかに実際そうであれば問題は市民権だけにかかわるのだからいいんだけれ
ど、日本人の多数派の意識とはうらはらに、日本人の多数派の行動や制度はまちがいなく国民という語にナショナルな文化的、民族的意味もふくめているのであ
る。わたしたちはもう少し、帰化した人が苗字を漢字にしたりすることにひっかかりを持つべきなのである。
民族的、文化的帰属意識、自己認識としてのエスニック・アイデンティティ。
信仰の問題、生活倫理の問題としての宗教的アイデンティティ。
法、権利、安全、福祉、政治の問題での契約互助、同盟関係としての市民権。
最低でもこの三つが異なることを前提にして制度はつくるべきだとおもう。この三つが統合されたものとしてのナショナルというものを維持することの意味は
ないとぼくはおもう。
しかしこのへんまではあたりまえのことだけれども、グロスマンの本を読んで面白かったのは、さらに別個のものが言及されていたことだった。
つまり、市民権として、あるいは単なる国籍と法制上の問題としての国家のメンバーシップが与えられているというのでは不足なのだ、ということである。エ
スニック・アイデンティティにおいて同化することなく、しかし単なる法的な問題だけの市民権をもつだけではなくて、ある種の社会的な同朋意識、あるいはな
んといったらいいのか、メンバーシップがなければ、つまり、社会通念上の連帯意識、あるいは同朋意識のようなものがなければ、市民権上の平等も無効になっ
てしまう、というのである。いや、無効になるというより、法的、政治的な同盟関係である市民権は、それ自体、ひとつの社会的連帯感を必要とするということ
だと思う、
問題はだから、エスニックな差異、宗教的な差異を前提にしたうえで、政治的、社会的な隣人意識としての連帯をつくること、そしてこの連帯が決して文化的
同化を意味しないように(つまり運命共同体だとかではなく)制度がたてられるべきだということだとおもう。そしてしかもその連帯はあくまでも一義的なもの
ではなく結んでいる諸連帯のひとつであるべきだろう。
そこで、アメリカについて最近おもうのは、はたしてアメリカはそういう意味で範例になりうるのだろうか、という疑問で、どうもそうじゃないんじゃないか
とおもってきている。アメリカにおける国民的統合はやはり、文化的、民族的統合の側面がつよいような気がする。都市におけるアメリカ的生活様式を大企業が
保障しているので、マスコミとそうしたアメリカ的生活様式が実質的に同化を遂行しているのではないか。つまり、たしかにすべてのエスニックアイデンティ
ティを捨てろとは言われないが、アメリカ的価値や文化に矛盾しない範囲での下位体系としてで、まずアメリカ人であることをもとめられ、その余暇においてな
になに系であることを許される、という。
それでいいではないかといわれそうだけれども、そうだろうか。ここでアメリカ人であることというのは意外なほど、日本人であることというときのニュアン
スに似ているのではないか。市民権が合理的に要求する忠誠をはるかに越えるものをこれらのものは要求している、とぼくはおもう。
帰化について 2003 年1月11日(土)
角川映画の「里見八犬伝」を見ました。で、思ったのだけれど、あややは神話的類型で言うと、この世継ぎの王
女、という役割なんだろうな、と。つまり王国の種子、あるいは亡国の王女、だから、ラピュタのシータやカリオストロのクラリスとおなじ系列なんだろうと思
うわけです。だから、外部から来た若者と荒野に旅立ってあたらしい王国の始祖となってラスト、そういう神話がふさわしい。対比してかんがえて、たとえば最
盛期のヒロスエのメディア・イメージはむしろ美少年、あるいはナルシス、小悪魔というものだったはずで、つまりこれは神話の類型で言えば「夏の夜の夢」の
パックやピーターパン、キューピッドといういたずらな子供の神の系列。しかし「ぽっぽや」のイメージはどうなんだといわれると、これはつまり、中原中也を
想起すればいい。
死んだ子供を嘆く中也のチルシスとアマントの詩を読んでもわかるように、いとしいなくした子供はいたずらな妖精になる、ここで「取替え子」の伝説を思い
出してもいいかもしれない。一方あややには多分、悲劇は似合わない。それは亡国の王女は最後には王国を取り戻すことになっているからで、にもかかわらず失
敗する、となると、これは深い悲劇になる。だから。意外と、「リア王」のコーディリアがはれたりもするはずです。
追加で。
さらに考えてみると、そういう意味であややとかぶっているのは田中麗奈で、そこで、ではあややにも多分にリボンの騎士イメージがある、とすると、王女が
男装して城を抜け出して外の世界と出会うイメージというものの神話的な起源にも興味が湧く。
あやや 2003年 1月11日(土)
恥ずかしさと取り返しのつかなさにまとわりつかれるとユーウツというやつがいなくなってくれないので困って
しまう。ところでなぜ書いたものをひとに読んでもらいたいのかということが未だに全然わからないのでこまる。こまることばかりだ。わからないことをやっ
ちゃってる感がいつもあるので思わずいかにも小説らしい小説を書いてこれが間違いなく小説もどきではなくて小説ですよと安心させてもらいたくて仕様が無
い。そのくせへんに偉そうに類型を食わず嫌いしているつもりでやはり陳腐なことをしている、ってこの文章ぼっちゃんみたいだしさ、だいたい物事の意味なん
てはなからわかりようがないじゃねえか、やっちゃったことの波及効果のどこまでがこっちのあてがいでどこからが途中でさわった野郎の責任なのかすっぱりき
まってるといい。つまりは口説かずにやるのは蛮人で、やればこちらが惚れちまうのが不可避というぼくの性質上風俗は百パーない、ということをいいたいのだ
が、漢字間違える野郎がどんどんふえてきていてそのうち同じ読みの漢語はぜんぶ同じ意味なんてことになりそうな雲行き、剣呑過ぎて欠伸も出ない、ただ夢の
中で思うのは知らない奴でお互いいない「てい」でいる居合わせている人の反応というやつを完全に無視できる奴はこれも未開というべきだということなんで、
ときどき漢語がしぬほど嫌いになるのはどうしたものか。
予定調和というのは、作品世界で起きることへの手加減にほかならない。
ときどき、本気で、必然性の無い意味ありげな修飾を文学性だと思ってやがるバカがいる。そうかと思えば、目的も無くだらだらと書き出しのエネルギーを消
費して前進していくだけのものだってある。時間が経つということを描こうと志しただけでも立派なものがかけようというのにさ。
結局、おれはやめろっていったんだ、っていいたいだけのために聞こえの良いことを書くなら落第点だとぼくはおもうからせめて読んで心地よい印象を希願す
る。
春が漏れていく。(トリックの映画を見た、良かった、愛とか)世の中はびっくらするほど複雑なので、根を張ることなく語りうることは少ない、らしい、の
で、
ニウス。
<イスラエル軍>ガザに侵攻 住宅などを破壊、激しい銃撃戦に
イスラエル軍は12日未明、ガザ地区のパレスチナ自治区ベイトハヌーンとハンユニスの2カ所に戦車やブルドーザーなどで相次いで侵攻、住宅や金属加工工
場などを破壊した。いずれも激しい銃撃戦となり、パレスチナ人3人が死亡、十数人が負傷した。
一方で12日朝には、ガザの自治区内から近郊のイスラエル領内の都市スデロトにロケット弾が撃ち込まれ、イスラエル人3人が軽傷を負った。未明の軍侵攻
に対する報復とみられる。
これに先立つ11日深夜、ガザ中部のユダヤ人入植地で、ナイフを持ったパレスチナ人少年2人がユダヤ教指導者の自宅に侵入しようとして拘束された。2人
は13歳と8歳という。(エルサレム共同)(毎日新聞)
[1月12日22時11分更新]
攻撃と反撃の規模の違いを映像化して想像すること。
雨を見るとどうしても悔恨という言葉を思い出す。しばらく、ぼくはいとけ
ない子供のように眠っていた。いつ、平和の眠りから遠ざかり、蝶と自分の間
の他愛ない混同から覚めたのかははっきりとしない。起きたときぼくは相変わ
らず民宿の二階にいた。窓の外は透き通った雨で墨染めに昏い。
ずきずきする側頭部の不平不満をどうにか鎮めながら、ぼくは立ち上がって
薄暗い廊下に彼女を探しに出た。廊下は黒光りするふるくさい板敷きの床に階
段が下へと地獄めぐりへの誘いのように続いていて、間も変わらず気分はゆれ
うごいている。
世の中は地獄の上の花見かなという句もあるけれど、ここが冥界ならこのし
たはいざ地獄だろうと芝居がかりの想像に心をはげまして、ぎしぎしとどこか
懐かしい階段を下りていく。どうして古屋の階段はこうも勾配が急なのかいつ
も不思議だった。
真の闇は階段の踊り場の隅にわだかまる。その辻を過ぎれば下界の明るさが
さしてくる。闇は両端ではなくまなかにあって、ちょうど墨がうすくしろい紙
に溶けるように両側に消えていく。おりていく。
降りたところはすこし広くなった入り口で、階段のおりきったところの向か
いには下駄箱とはなやかな百合の花、階段をのぼらずにまわりこんで奥へ向か
えば待合なのか売店なのかテレビのある八畳ほどの広間があって、そこにぽつ
んと老婆が一人座っていた。
ごめんなさい、おたずねしてもいいですか。
そうきくと老婆は自然の流れでちょうどそのときそのタイミングで振り向く
ことが千年も前から決まっていたような仕草でぼくを見ておもむろに、
ああ、あんたはお嬢さんと結婚なさった方だね、
見上げるとうっすりと笑った。それはかさかさのオドラデクめいた笑いで、
不快ではないけれどこころがかき乱されるような風の雰囲気をひそかに孕んで
いた。ぼくは困惑して言葉を選びかねつつ、そのなだらかな成り行きに逆らお
うとした。
それで、お嬢さんはどちらに。
老婆はぼくの後ろを覗き込み、ほれ、と云った。振り向くと、雨はいつの間
にか止んでいてうつくしく虹の気配、ひかりあふれる玄関の外の道に、彼女が
あちらを見る様子で立っている横顔がのぞけていた。いままさに仕舞おうとす
る唐傘がひかりをしずくに反射させてきらきらしく、和装ではないはずのむし
ろわざとらしいほどにいまめかしい装いが却って舞うような彼女のうつくしさ
をひきたてる。引き起こされた眩暈に抗いながらぼくは彼女に声をかけようと
息を吸い込んで今しも、と振り返った彼女はぼくの姿に気がつき口にしいと指
をあてて呼び声をとどめた。
からん、からんと音を立て、流行おくれの厚底がなぜか似つかわしく、玄関
と道の境を一歩越えると敷居はまさしくそとのひかりと内の闇の境界で、一瞬
あざやかに半身を白に半身を闇に染めた彼女は唐傘を颯爽と畳み込み、たちま
ち息遣いの触れるような間近に立って云ったのだ。
いきましょう、もう時がないのですから。
そこでぼくは彼女の手をとって、
*
たどり着いた墓地は若々しいやわらかな芝生に覆われていた。その生命に満
ち溢れた印象に誠は圧倒された。墓石は仏式のものももちろんあったが十字架
のきざまれたものも相当数あった。墓地の入り口の木の柵になかばもたれた内
部の様子を一望しながら、誠は通り雨に濡れて陽光に虹をかける芝のうつくし
いあざやかさとそのなかに飛び石のように点在する墓石の廃墟のようなとりあ
わせに感覚を納得させようと勤めなければならなかった。
「あそこよ、あそこ」
小高い丘になったところには松かなにかの木が孤立して立っている。その傍
らには木陰の利を享受してひさしい筈の墓石がすずしげで、そこには蔭になっ
ている所為で顔の見えない人影が立ってなにごとか墓石をみつめて考えている
ようなのだ。
「あれがぼくの兄だってきみはいうんだね」
「あなたはどうせ忘れてはいけない事だけを選りに選って忘れてるんだから」
「あのひとは何をしているんだい」
「弔っているのよ」
「なにをあのひとは弔っているというんだい」
「それはお兄様にお聞きなさいな」
柵の途中にある壊れた扉をぶらんぶらんとあけて誠は小道をあるいていった。
すると顔の見えないそのひとは気がついたようで、顔が相変わらず蔭になって
見えないままでこちらを向いて、不意に何かに気がついたようにうえを見た。
あ、とつられて見上げた空には一羽のカラスが飛んでいて、
視線を戻すともうそのひとはいなかった。ごまかされた気分のままで墓石の
傍ら、木陰の闇に立ってみると、墓石は苔むして二十年は経っているような気
配、文字は読むのも困難で、濃厚なさっきまでそのひとのたしかにたっていた
という気配を残響のように感じるだけだった。かさり、と音がして振り向くと
追いついていた彼女が悲しげな様子で寄り添って、
口付けた。
*
また一駅通過した。がやがやと乗り込んでくる人の気配。
すると膝の上になにかの気配がしたのでかれは目を覚ました。
むっとする車内の空気は最低である。夕方のラッシュ、地下鉄は気味の悪い
他人の詰め合わせに変貌する。これだけの人口密度なら大量殺人はいともたや
すい。ただ自分が圧死して巻き添えになる事さえ厭わなければ。目を覚まして
かれは自分の横に見も知らぬ学生が座っていて、あの女の影も見えないことに
気がついた。だがそれだけならかれは少しも驚きはしなかっただろう。夢とみ
ればいかにあやしくつじつまの合わない印象の連続、芝居がかりの連続でもた
だの夢、この世の夢とは趣が違おうと、やはり夢はただ生きられるもの、決し
て驚きあやしむたぐいのものではない。
気がついて驚いた事はさいぜんのひざの気配が夢ではなかったことだった。
四五歳の幼子が、我が物顔にかれの膝にちょこなんと座っていたのだ。かれが
目を覚ました事に気がついた子供は、にかっと振り返って笑うとすし詰めの車
内を厭いもせずに膝の上でかれに向き直り、慕いよるようにあやふやな手つき
でかれのからだを抱きしめ、思いもよらない、いや待ち設けられながら、
ぱーぱ、
と云った。
*
「さて、どうする」
「決まってる」
「へえ」
「悪事に邁進するのさ」
*
いろいろと付随する揉め事をなんとか処理してから、かれはあの店に彼女の
消息をたずねてみたが、だれひとりとしてそのひとのことをおぼえているひと
はなく、ただひとり、数年前にアルバイトをしていたひとに容姿が似ていると
心づいた古顔の店員が知らせてくれた住所に、ふるい友人のていでおくった手
紙には案の定すでに彼女が死んでひさしいことをなげく文面が見出されたので
あった。
それからまた第二派で襲ってきた揉め事をなんとかしのいでから、かれはそ
のなきがらの眠るという場所に子供をつれていき、ふと春風のすでにふるめか
しい墓石をなでるのがめずらしいのか墓石のうえにのっかってあそぶこどもを
眺めながら、
いつかまた、夢にあえば、この子のことをはなして夜を
とつぶやいたのだがなんの気配もなくただきらきらしいかぜが流れるだけだっ
た。
帰るさに通り雨がザアと降って、ふたりはひとつのかさで帰った。
・・・・・・なぜかナイーブに、喜劇の治癒能力に信頼したい気分だった。それだけで、ともあれ、カンディードでも読もうか、というくらいには気分が持ち
直していた。
2003年1月12日 (日)
http://home.att.ne.jp/sun/RUR55/J/UnacceptableHelplessness.htm
椎名林檎が復帰した。あいかわらず、洗練されていない振る舞いを選ぶ志らしい。その誠実だけでも、彼女の歌は信頼するに足りるだろうと思う。
彼女はインタビューで、高校時代、同世代の無関心でプラスチックな内向きさへの違和感があったことを語っている。ここにいたらやばいという焦り。記号的
なやさしさと感性と言う真綿。
九月以来、テレビに出る知識人たちは口をそろえて何といってもアメリカは戦争をするだろうと言ってきた。だが、それは巧妙な無責任と阿諛ではないだろう
か。そこには、ではおまえはその現実にどう対処するつもりなのかという問いが抜けている。不可避な事はただ終わってから不可避なのだと分かるのであり、不
可避に限りなく近い困難を、不可避と公的に呼んでしまう事の責任をかれらは分かち持つべきだ。
有史以来、戦争がひとを大量に無慈悲に殺す事以外のことを意味したことは無い。そのうえで、しかもそれらの死に対して何が交換されようとしているのかを
はっきり認識しなければあまりにもやりきれない。前段は誰でも知っている。しかしそれだけで反戦をいえばナイーブといわれかねないだろうし現実的な説得力
ももてないだろう。しかし、題目としてそれを唱えながら、その感覚的リアリティをもっているひとは少ない。ともかく、誰が、なぜ殺されるのか。
何の代価に何がなされようとしているのか。
河を渡って 地蔵さんの作品。
2003年1月22 日(水)
http://www.ff.iij4u.or.jp/%7Ekatote/imagine.html
ニュースソース 2003 年1月23日(木)
ちなみに、「指輪」の「二つの塔」の字幕はよくなっていたらしい。
日本ヘラルドさんは誠実に対応していただいたようで、よかった。
馬的思考
http://miyako.cool.ne.jp/LOTR/think/jimaku.html#10
ロードオブザリング 2003 年1月23日(木)
もうひとつ、とりあえずリンク集として。
http://www.21portal.org/
2003年1月24 日(金)
イスラエル軍がガザ侵攻、12人死亡
イスラエル軍は25日、パレスチナ自治区ガザに装甲車数十両とミサイル搭載ヘリなどで大規模な侵攻作戦を展開、AFP通信が病院関係者の話として伝えた
ところでは、パレスチナ人12人が死亡、50人が負傷した。(読売新聞)
[1月26日14時50分更新]
2003年1月26日 (日)
何がなされているか。
http://plaza17.mbn.or.jp/~CCP/news/aqusatop.html
2003年1月26日 (日)
イラク。現地リポートなど。
http://www.morizumi-pj.com/index.html
2003年1月26日 (日)