tdiaryとtrackback
実際にtdiary使いの人とはなしてみて、それまでtdiaryのような先進的なスクリプトをつかってこなかったひとに対するときと違って、トラックバックのインパクトや、既存のtdiary機能にくらべてどのへんがうれしいのかという点を説明するのが、むずかしいということを感じる。
いちおういっておくと、ぼくはなにもトラックバックすばらしいとか、おまえらみんな使え、とかじゃなくて、個人的にトラックバック送る相手が同じCGIばっかりだと閉鎖的な世界に組み込まれそうな感触(あくまで個人的な好みの問題)があって、ひろまればいいな、とおもってるだけで、いきすぎた勧めかたをしたくはない。
そのうえで、blogの革新性、というか、blogという言葉のプロモーションや盛り上がり方に違和感を表明したとき思っていたことはこういうことなのだ、と思った。つまり、かんたんにblogツールの優越性をいってしまうとき、たとえばこの場合のような、tdiaryユーザーにとって、べつにそれほどインパクトも魅力もない、とまではいいすぎかもしれないけど、マイナーなちょこっとした修正、くらいにしかみえない、というようなことを見逃しているのだと思う。そしてそれは十分に根拠のある感覚なのである。そういうことも視野に含めて、むしろ内容や具体的なサイト間のコミュニケーションのありかたの問題として、問題は立てられるべきだっんじゃないか。
そのうえで、このちょこっとした拡張が意外と大きな違いなんですよ、と謙虚に訴えていくのもいいけど、それを実情とかけ離れた巨大な差異のようにいってしまえば、受け手は引くばかりだろう。そのへんが、違和感の正体だったんだなあと、いまぼくはおもっている。