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Drifting Antigone Frontline

シニカルな論調のだらしなさ

2003/02/15 05:43 JST

 最近、反戦運動が少なくともメディア的に盛り上がってきたことを背景に、シニカルにその「平和主義」なるものを揶揄する論調が散見する。しかしそうしたシニカルさはあたかもより「大人」であり「余裕」があるかのようであるけれども、言っていることは要するに何をやったってだめだし誰も善意で行動してなどいないのだからあきらめろ、ということに過ぎない。単にシニカルに順応主義の悲鳴をあげているにすぎない人物が、あたかも論調のなかだけは雰囲気的になにかまともで勇敢なことをいっているかのように見えるのは、ひとえにそれが「偽善をいうな」というスタンスにだらしなくよりかかっているからだ。突っ張りとおせない人も確かにいるだろうし、やってみても無駄かもしれない。その意味では確かに、たとえばバナーを貼ってみたりどこかで話をあわせて戦争はいけないよねと相槌を打っていてなんてわたしはすばらしいと思っていては仕方がないのは当然だが、五十歩と百歩はともかく五十歩だけは違うのである。泣き言を言ってあきらめているに過ぎないのに、それをシニカルさで泣き言らしくみえないようにしているだけのひとからだけはそんなことをいわれる筋合いはないのではないだろうか。

 内容や主義主張の具体的な中身によらず大義名分っぽいあつかいをうけているから、きっとかれらはいいことをしているとおもって自己満足しているんだろうな気に入らない、という感情は、はっきりいって、通俗的だし小児的だ。批判するなら内容に則して、議論が成り立つようなちゃんとした反論をすべきで、偽善を偽善ということで自分が優位にたつという構図はあまりにも安直ではないか。