知識人
週刊ドドンパより。
ブランショは知識人をつぎのように定義したという。
た、たいへんだなあ。
1. 知識人とは、なによりも犠牲者について語る人間である。犠牲者が体験した不正義を世界に告知し、それに抗議をする。しかし知識人は、けっして彼らを聖人化して、彼らを媒介として抽象的な正義を振りかざしてはならない。
神秘主義は知識人の敵だ。
2. 知識人は理論家と実践家の、ちょうど真ん中に位置している。ものを書くことと、行動することの、両方を行なわなければならない。
3. 知識人とは、作家であるとか、芸術家であるとか、学者であるといった、そもそもの専門から離れて、それまで自分に似つかわしくないと考えていたこと、面倒臭いだけで少しも徳にならないことを始めようとする人間である。
4. 知識人はいつまでも、どんなものに対しても知識人であることはできないし、そんな必要もない。そう考えたサルトルは、身動きがとれなくなってしまった。人はある特定の正義のために、ある特定の瞬間において、知識人であることしかできない。それで充分なのだし、それしかできないのだ。
5. 知識人は最終的には、無名の人間の群に戻ってゆく存在である。自分の名前が一人歩きしてゆくときこそ、もっとも気をつけなければならない瞬間なのだ。
6. 知識人にとって重要なのは、不正義が倒され、正義が拡幅されたときではなく、むしろひとたび回復された正義がただちに硬化して、別のものへと変節していこうとする瞬間である。あらゆる革命や解放闘争の直後に何が生じたかを、もう一度考えてみなければならない。