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Drifting Antigone Frontline

テロリスト撲滅策

2003/04/12 23:32 JST

『崇高な西洋の自由と民主主義の価値観を憎悪し、非道にも無辜の民を虐殺する憎むべきテロリストに対する対策はいまや世界にとって急務となっている。かれらはいたるところにすくい、ありとあらゆる場所で、善良な市民にまぎれてまったく区別のつかないままにその恐るべき計画を練っている。この地上でテロリストたちのいない場所も、その攻撃から逃れられる場所もないのだ。このようなときにあたって、新世紀の邪悪な災厄というべきテロリストを撲滅すべくこのささやかな提案を市民諸君に提案したい。

 テロリストとは何であろうか。それはみずからを許容する自由を破壊する恩知らずの狂人たちである。そして誰もがテロリストになりうるし、待ちゆくすべての人間がテロリストでありうる。実際、その善良そうな市民の仮面の奥には、残忍なその素顔が舌なめずりしているかもしれないのだ。従ってテロリストを撲滅するためにはその外見や性別、素行、評判などに頼ることはできない。すべては巧妙に隠蔽されうるからだ。頼りになるのは、そのテロリストとしての本性、すなわち思想だけである。従ってわたしが提案したいのは、すべての善良で愛国的な市民による「兆候の分析と報告」運動である。テロリストとは自由と民主主義を憎み、残忍な暴力を行使するものたちである。あなたの隣人は自由と民主主義に忠実だろうか。あなたの隣人は暴力を肯定してはいないだろうか。われわれはこうした兆候を分析し、公的な機関に集約して捜査に資することが必要だと信じる。そして必要なときにはためらうことなく強制力を行使すべきである。そうすることではじめて暴力に対抗でき、自由と民主主義を守ることができるのである。また、教育もまた重要な分野である。われわれはテロリストに対する恥ずべき協力者を出さないためにも徹底的にテロリストを憎み、自由と民主主義を熱狂的に愛することを教えなければならない。テロリストはまちがいなく死に値し、自由と民主主義には一点の疑念も許されない、そのような教育によってはじめて、自由で偉大な国民が出来上がるのである。

 さて、われわれはこのような微温的な処置でことがおさまるとはまったく考えていない。テロリストは邪悪で利己的な国家によって支援されており、また早期にいくら発見できたとしても撲滅できなければ何の意味もないからである。

 まずわれわれは、あらゆるテロ支援国家、および、テロリストの逃亡地域をわれわれの軍事的支配に置くことが必要であると考える。そうでなければ、かれらはあらゆるその楽園で邪悪な考えをいつまでも練りつづけるに違いないからだ。なるほど、テロ容認主義者たちはそうした自由と民主主義のための強制力の発揮を非難するかもしれないが、われわれの権力の及ばないところにテロリストが存在する限り、テロリストはいつでもわれわれを攻撃することができるではないか。またそうした国家、地域は、当然、テロリストを容認したのだから、そのような措置に値するのである。また、テロリストと一味でないなら、テロリストを標的とする支配はなんの問題も起こさず、むしろ国内からテロリストを追い出しさえするのだから、恩恵でさえあるはずである。多少の問題は、自由と民主主義のメリットの前では些事に過ぎない。

 その後、当該の地域では現地政府と協力して既述のテロ管理体制を敷く必要がある。

 さて、こうして、テロリストは住民のすくない地域にのみ追い出され、そうでない地域ではわれわれの管理体制がテロを排除する。このような状態になって初めて、われわれはテロリストに対して、核、あるいは生物兵器を使用することで撲滅政策の仕上げをすることができる。十分に善良で忠実な市民の居住地域からはなれたところにテロリストが排除されたことを確認し、あるいは近辺に市民が居住していたとしても、臨時に退去させた上で、かれらを一気に物理的に絶滅させる。このような目的のためには、大量破壊兵器でなければその任に堪えない。いったん、ひとりのテロリストを網から逃してしまえば、間違った情報によって自由と民主主義への憎悪を拡大させ、百人のテロリストを生み出すに違いない。だから、テロリストの封じ込めと封じ込めのあとの絶滅攻撃は撲滅のためには不可欠の段階なのである。

このようにして、テロリストがいったん絶滅されたあとでは、ひきつづきテロリストが発生しないように自由と民主主義に忠誠を誓い、テロリストをなによりも憎み、体制をテロリストのための不可欠の盾として熱愛する教育がなされるべきだろう。
以上、テロリストの撲滅のための方策を提案する。

あはは。けっこう陽気な気分で書きました。