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Drifting Antigone Frontline

こゆうめいし

2003/04/16 00:00 JST

ぼくがたんにこんらんしているだけなのかもしれないが 22:59

 固有名詞って、物の名前の場合はぼくも馬鹿ではないのでわかるんですが、概念語の場合、固有名詞と普通名詞の区別って、いまひとつ、ぼくにはよくわからないので悩んでしまう。概念の固有の存在ってどういうことだろう……

先日 23:07

 ローマの休日を見たとき、うーむ、アン王女はなぜ英語をしゃべるのだろうか。などと考えてしまった。

 そういえば、「サウンド・オブ・ミュージック」も見たのだけれど、どうしても、ジュリー・アンドリュースの品のなさが気になる。いや、悪いといってるわけではないのだけど、がさつ、というだけのはなしじゃなくて、たとえば、ぼくはメグ・ライアンはがさつな女の人の役をよくやるけど、品があると思うし。オードリーをほかの女優に要求するのが間違ってるのかもしれないけど、どうも、ジュリー・アンドリュースには、生硬さを感じてずっと見てるあいだ気になった。

 それから、ハリウッド映画一般の話なのかどうかよくわからないのだが、この映画では葛藤がどうも二元論的だ。

 つまり、分かり合える人と分かり合えない人はかっちりわかれていて、誤解をとくのに長い苦しい時間があったり、ということがない。

 主題としてのディスコミュニケーションがないというか。簡単すぎる。トラップ一家の子供がなつくのも簡単すぎるし、大佐が軟化するのも簡単すぎる。

 もちろん、あいまいな人々、男爵夫人とか、配達のにーちゃんとかはいるんだけど、結局、立場が離れるとすぐさま一家から離れていってしまうわけで、ディスコミュニケーションのまま、しかし共存しなければならない、という状況は描かれない。この理解困難な相手との共存というテーマって、アメリカ映画であんまり見たことがない気がするのだけど、これって偏見だろうか。あまり見てないので口幅ったいことはいえない。

トラックバック 23:11

 トラックバックという表記もキーワード化。

ぼくはどうも 23:15

 セクションを上に下にでたらめに追加するので、どうかと思うが、統一するのが面倒くさい。分類も、話題を分類するのって苦手なのでやらない。ものを分類するのは苦手だ。つねに別の分類の可能性を考えてしまう。

 それはともかく。

 固有名詞の続き。というか、概念の固有名詞……つまり概念実在論をとってだな、もし唯名論的に考えるなら、固有性というのは……

 債務奴隷 23:22

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030417-00000063-mai-int

 戦争賠償金という発想自体が、ふるいのではないか。ドイツへのフランスの過酷な賠償金取立てがヒトラー台頭の一因だったことを想起してもいいし、そもそも賠償金が取れるという考えが戦争を奨励してしまうという効果もある。侵略された国が侵略国に復興援助を義務付けるという意味で賠償は要求する義があるが、これでは逆だ。

 借金というのは、とくに利子の問題があるだけに、南北問題でもそうだが、支配の方法としてはもっとも有効なものだ。

 だいいち、アメリカは正義のために戦争したといっているのだから、アメリカがいかなる権益も、すくなくとも戦前以上に、獲得しないように監視すべきだし、そういう権益獲得は、はっきりとこの戦争の不義を声高に明かしだてるだろう。

 ところで、大量破壊兵器は? アルカイダ支援の証拠は?


Comments(in hatena)

yukatti『ハリウッド・メジャーの映画作品には、特に娯楽色の強いものは(やっぱり観てわかりやすく・気持ちよいものが求められているからか=興行成績にひびく)「ディスコミュニケーション」「理解困難な相手との共存」をテーマとしたものは作られにくくなるんだと思います』
yukatti『アメリカン・ニュー・シネマのころのハリウッドメジャーにはけっこうそういうのあるんだけれど(共存、ではなく破滅に向かっちゃう映画が多いんですけど)、それは当時、映画興行が落ち込んでいた時代だから思い切って…かつ低予算で…という冒険ができた時代でもあったんですね。ニューシネマの成功で映画製作会社は息を吹き返し、今はまた、製作費をかけてつくって=だから最初から興業を成功させないといけないから→単純なものになってきてしまってる、という図式に。しばらく前に読んだ町山智浩の「映画の見方がわかる本」のちょっと受け売りでした^^;』
yukatti『古いところでは『風と共に去りぬ』なんてけっこうディスコミュニケーションなところがぷんぷんあるような。』