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Drifting Antigone Frontline

2003/05/13 00:00 JST

たばこ 06:48

http://www.letre.co.jp/~iwaki/smokers/

おもしろい。ぼくは煙草を吸ったことがないので判りませんが、やっぱりあれは麻薬だと思います。禁煙ではなく喫煙をやめることが重要だというのはそうだとおもう。分煙ていうけど、そういうアパルトヘイト(隔離)政策ではなくて、健康被害の問題だと思うのです。中毒性のあるものを公共企業が売ってはいけない。

実際僕は最初の一本を好奇心から吸うことさえしなかったので喫煙者ではないのですが(だいたいまだ喫煙者でない人がなぜヤニとニコチンのかたまりを、しかも最初からおいしくないのにすおうと思うのか、いまだによくわかりません。喫煙をはじめる理由って何なのでしょうか。毒だということはさすがに最初から知ってると思うんですが)、中学生レベルで、薬物や煙草や性教育はしとかないと、ものすごくあの年代はそういうものを甘く見るから取り返しがつかない。

というわけで、だれか、喫煙を止めることという言葉を募集。

禁煙は喫煙を我慢している状態の意味だから違うということで。

たしかに禁止するというニュアンスはおかしい。どうしても一時的にという意味が付きまとう。

同じページから。こっちが本命。「思いやりのある人たちへ」 07:08

http://www.letre.co.jp/~iwaki/shimin.html

シミンを市民運動をしている人たちを想定して考えるには及ばない。

ここでえがかれているような性質を私は持っていないという人も多いだろうけれど、すこしオブラートに包んだ、一見もっともな「良識的」で「折衷的」な態度でこそ、多数決主義的で相対主義的で対話抑圧的な態度は発現する。つまり、いわゆる情緒的な、というやつが問題を複雑にするのである。

ものごとはつきつめないほうがいいし、ことあげしないほうがいいし、たいはんのひとはおたがいにわかりあえるのだから、わからないことをいうひとや、おもいやりなくみえる(つまり私/私たちに不快な態度を取った)ひとは、ことの是非以前におもいやりのなさで非難に値する。こういう態度は、シミン的だ。

こうして、暗黙の相互理解の心情の共同体というフィクションによってつながれた多数派は、わたしたちはわかりあっているというサインをたがいに出し合うことで、相互に理解しあってるという幻想を確固たる物にし、それを暗黙のうちに前提にして、この前提に従わないものを、ことをあらだてるがゆえに排除する。

ひとは互いに根源的に違う。相互に暗黙の類似や理解が幻想できるのは、ひたすら、記号、符牒、つまりサインのおかげだ。サインの共通性が(たとえば隠語や言葉のスタイル)、中身の類似性や相互理解を想定させる。もちろん、実際は違う。

本当はそうごのそうした根源的な断絶を前提にして、星と星のコミュニケーションのように、普遍的なものをなかだちにした対話で葛藤は解決されるべきなのだが、実際にはそうではない。では葛藤はないのだろうか? 違う。葛藤はある。それはひとつには不可視にされている。だからそれをあらわにすると、あたかもそれを発生させたかのように思われてしまうのだ。つぎにそうしたあってはならない、あるはずのない葛藤は、対話以外の手段で処理されている。権力、権威によってである。簡単にいえば、「法」によってだ。それは公正なことのように見えるがじつはちがう。

対話を経由しない多数決主義、対話を経ない法による裁断は、暴力に他ならない。民主主義とは対話のことであって、多数決のことではない。対話なき多数決主義とは、議論を回避して現状に固執する方法なのである。

リンクは? 07:21

http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Cassiopeia/5916/geodiary.html

基本的には張るだとおもう。ちょっときぶんてきにあやふやだったけど。

なんか、ここ数年のような気がする。混線してきたのって。

貼るというのも、メタファーとしてはよくわかる。じっさい、コピーアンドペーストすることも多いわけだし。

つまり、張ると言うのは本来、ページからページへリンクを張り巡らすというイメージなわけで、それに対して貼るというのは日常実感からきてる。

このへんにもwebの浸透を感じたりはする。

最初のころは張るでとくに迷っていなかった記憶がある。ニューカマーがいっぱいはいってきたころから、貼るという言葉遣いが出てきて、ちょっとながされた感触。

id:kosekiさんが書いてるとおり、本筋から言えばやっぱり張るといってほしいな、というのは思う。


Comments(in hatena)

as_black_as_jet『私の周りはヘビースモーカーが多く、仲間内では禁煙者を絶煙(=絶縁)者と謂っております。』
jouno『なるほど、いい表現ですね。』
koseki『日常的な実感として、というのはよくわかりますねー。エディターにコピペするという操作から、貼るっていう言い方が通るようになってきたのかもしれません。』
koseki『逆に日常生活で「張る」という行動がほとんど無いことも、「貼る」派台頭の一因なのかもと思いました。普段リンク以外に張るものって思いつかないですよね。風呂に水を張るとか……ちょっとニュアンスが違うし。』
tetotan『確かに、貼る、ならいっぱいありますよね、プリクラを貼る、とか…。』
masah『私は煙草の中毒者なんですが、こんなもんとっとと違法にして、全面販売禁止にして欲しいです。 または一箱1500円とか。 280円、みたいな中途半端なむしりとりかたがずるいです。』
Hiroshima『ぼくはリンク「する」とかも使いますが、基本は「張る」にしてます。相手がいるのですから、そのほうが適当かと。「貼る」だと、リンクしたけどあとは知ったこっちゃない、みたいなニュアンスがあるように思えてしまうので。』
as_black_as_jet『一箱1500円!! 今吸ってる奴の13.6倍かyo!ヽ(`Д´)ノうわぁぁぁん! それなら本気で“絶煙”しちゃうyo!』
as_black_as_jet『やはり、“貼る”よりも“張る”だよな…。“web”の元の意味を知れば、“貼る”にはならないかと…。あ、粘着性!?』
watercolor『脱煙というのはどうでしょう。喫煙からの離脱。』
yukatti『煙草は自分で吸ってみたら存外うまかった。もう10年以上前の話になるのだけれど、大学2年のころ1年弱、外で数本吸うという暮らししました。好奇心と付き合い、かっこつけから。吸ってみてわかったのだけれど、自分が吸う煙草の煙の味は、ひとの煙草吸ってるのの煙吸わされる味とはまったく違う。頭にきゅーんときて、甘くてうまかった(と感じた…)。味の違いは、主煙流と副煙流の成分の違いからも明らかだと思います。で、副煙流のほうがはるかに有害。』
yukatti『呼吸器弱い体質に合わなくて吸うのやめたんですが、あれは中毒性ある。今でも「きゅーん」の感覚を味わいたくてふっと吸いたい気分になったり。もちろん吸うことはないけれど。』
yukatti『「絶煙」も「脱煙」もいいですね。』
yuzuki-m『「離煙」とかどうですかね。りえん。』
jouno『ああ、すいません、今日明日の更新は厳しいかも。』