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Drifting Antigone Frontline

2003/07/11 00:00 JST

vermilion 10:05

過去日記に置いている方は、更新したとき最新日記にもvermilion :: textの文字を入れないと誰も気が付かなかったりすることもなきにしも。あと、vermilion::historyも追加しないといけないのだけどちょっと怠けていたりする。波動関数は面白い。仏教の五輪の世界観とかもある意味塔だよなとか。

「昼下がりの情事」 ASIN:B00005LMGP 06:25

ただれた感じの映画だと思ったらとてもよくできたしゃれたロマンチック・コメディだった。この邦題は失敗してると思う。オードリー・ヘップバーンぬきの世の中とかありえないことを確認する。ものすごくおもしろいコメディでもある。こういうのをみると、シモネタとかしぐさ誇張するだけの感覚に訴えるお笑いはやっぱり志が低いと思う。

不用意なひとと不審なひと 05:20

クセノス やあ、フィロン、きょうはまためかしこんでるなあ

フィロン 余計なお世話だよ、クセノス。ぼくはこれからディケーのところにデートに行くのさ。彼女はめったに口説きに答えてくれないからね。ぼくだってできるだけのことは事前にしておこうというものさ。それよりきみこそ、そんなところでぼうっとして、いったいどうしたというんだい。

クセノス そうなんだ、フィロン。ぼくはさいきん取り付かれたように考えていることがあって、それを考えていると奇妙なダイモンの声に招かれているような気分になって気が付くと日が暮れているということも少なくないんだよ。

フィロン おやおや。そんなことではクセノス、きみはポリスのよき市民とはいえないだろうねえ。それというのもクセノス、市民とは自らに配慮するのと同じようにその属するポリスのよき風俗にも配慮する義務があるものだといわれているからね。

クセノス ああ、そのことなんだよ、フィロン、ぼくが考えているのは。数日前のアポロンの祭りのときだったのだけれど、ぼくは詩人のエウダイモニオンがひらいた饗宴にまねかれたんだ。それはすばらしい盛況で、後の世の語り草になるような会話がいくつも交わされ、うつくしい音楽が奏でられ、料理もすばらしいものだったんだが、その宴のなかに、誰からも招かれず、誰からも欲せられない、悪臭を発するよそものがまぎれていることにみなが突如として気が付いたんだ。

フィロン なるほど、エウダイモニオンは心の正しい男だからまずその男に招待をしなかったことを詫びて酒盃をささげたことだろうね。

クセノス そうなんだ。エウダイモニオンはかれの詩に現れているような人物だから、どんな人物でも歓待しないということはないし、その人物の中にどんな宝石が眠っているのかに思いを致さないことはない。ところが、フィロン、そのとき、まねかれていた客のなかから、ミレトスのアリストスが立ち上がってこういったんだ。『尊敬すべきエウダイモニオン。わたしはこのようなどこのものとも知れぬ、悪臭紛々たる男と同席することはできません。あなたが歓待を旨としていることは誰でも知るところですが、それでは正式にまねかれ、たがいに不快を与え合うことなく喜び合っているものへの歓待をそのことによって犠牲にしてよいものでしょうか』、と。そこでいくにんものひとが立ち上がって意見を述べたのだが、結局議論は決着がつかないままにその奇妙なよそものがいつのまにかいなくなっていたので終わりになってしまったのだよ

フィロン アリストスのやつがいいそうなことだけれど、それはエウダイモニオンはさぞかしこまったことだろうね。しかしクセノスそれがきみの思い煩いとどんなかかわりがあるんだい。

クセノス そうなんだ、ぼくはまったく分からなくなってしまったのだよ。誤解してほしくないがフィロン、ぼくだって宴がもし見知らぬものの闖入によって台無しになったとしたらそれを喜ぶつもりはないんだ。だけど、アリストスのいうことにもどこかおかしなところがあるという気がしてならないんだ。その理由をずっと考えているのだよ。

フィロン ふむ、たとえばこういうことかい? アリストスが正式に招かれ、よそものは許されずに訪れた。その違いはそんなに大きなものだろうか、そうはおもえない、と。

クセノス いや、フィロンぼくはそのふたつにはたしかに大きな違いがあると認めるよ。そしてまたたしかによそものはまわりに悪臭によって迷惑をかけてもいたんだ。問題なのはこういう事かもしれない。アリストスがそのよそものに声をかけずにエウダイモニオンに頼んだということが。

フィロン それはどうだろうか。たしかに問題はアリストスとよそもののあいだのことのように思えるけれども、エウダイモニオンはほかのお客に快適な宴を楽しませるだけの責任があるはずじゃないか。

クセノス なるほど、でもそれはエウダイモニオンもまたよそものと話せばいいことであり、アリストスがエウダイモニオンによそものを抜きにして語りかけたことを正当化してはいないよ。

フィロン ふむ。ではこう考えたらどうだろうか。宴に招かれたものは宴に招かれた返礼に宴をよきものにする義務を負うているのだとね。宴がよきものであることはエウダイモニオンの利益には違いないし、またそれは招かれたもの自身にとっても利益なのだからね。

クセノス ちょっとまってくれフィロン、それはやはりエウダイモニオンと招かれた客とのあいだの誓いだろう? それはお互いを拘束するだけで、その誓いにそもそもあずかっていないものまでききめのあるものではないのではないだろうか。アリストスがエウダイモニオンに話し掛けたのはたしかに客の責務によって説明されるのかもしれないが、アリストスがよそものに話し掛け「なかった」ことはそれでは説明できないよ。

フィロン だがよそものはそこにいるべきものではなかったのだろう? だったらそういう扱いを受けても仕方がないのではないだろうか。そこは結局エウダイモニオンの屋敷だったのだし、そこでどうふるまうべきかもかれの決めるべきことではないかな。

クセノス ふむ。たしかにそうかもしれない。けれどフィロン、きみはいまなにか恐ろしいことをいったようにぼくには聞こえたよ。招かれなかったことといるべきではないということはひとつなのだろうか? 歓待とは招かれぬものを歓待することであるとゼウスによっていわれてはいないだろうか。

フィロン うーん、ぼくはディケーを待たせているのですこしさきばしってしまったかもしれないな。だけどクセノス、招かれなかったものは望ましく振舞う義務も負っていないことになるだろう? ぼくらがさきに合意したのは、客の義務は招かれたことへの返礼だということだった。ということはよそものはやっぱり宴をぶちこわしにすることもありうるわけだし、実際悪臭によって迷惑をかけてもいたのだろう?

クセノス そうなんだ。けれどね、ここは十分慎重に考えるべきところのようにぼくはおもうんだ。招かれていないことをいるべきではないこととみなしてしまったら、いったい、ぼくらは自らの好む人とともにあることができなくて、喜ばしき出会いを経験することもなくなるのではないだろうか。それにまた、招くものの権能は招くものの宴にかこつけて出会おうとする一方は招くものに好まれ、他方は憎まれている恋人たちの結合を裂きはしないだろうか。

フィロン だがクセノス、きみの心配があたっているとしても、宴そのものが台無しになってしまっては仕方がないのではないのかい。エウダイモニオンはそうした利益のために、自ら招いた眼前の人々の利益を踏みにじってもいいものだろうか。

クセノス おお、フィロン、きみはたしかに痛いところをついたよ。だが考えてみよう。エウダイモニオンが宴をよきものにする責務を負っているということが、招かれていないものを歓待することと本当に矛盾するのかどうか。ぼくにはどうもまだ考えられていないことがあるようにおもうのだよ。それはね、やはりアリストスの言い分の何がまずいのかをきちんと吟味することでわかるように思うのだ。

フィロン きみがいいたいのはやはりアリストスがよそものを語りかけからのぞいたというそのことなのかい。しかしクセノス、よそものがよそものであることはたしかなのだし、かれといまさらなにをかたればいいというんだい。招かれずに訪れることそのものがかれから資格を奪ったとはいえないだろうか。

クセノス フィロン、きみらしくもなく、なにかもとの議論に戻ってしまったような気がするよ。きみはすでに彼から一度そこにいる権利をうばったけれども、今度はそれを一時許す代わりに、語る権利を奪うというわけだね。ぼくはよそものに非があることを認めないわけではないのだよ。たとえかれがそこにいるべきではないとしても、そのことは、かれと語ることによって伝えられなければならないし、そして、僕は思うのだが、かれが歓待に値するのなら、そこでふたたび招くということをしてもよいのではないかとね。

フィロン まってくれよクセノス、それでは無法が法になるというものじゃないか。それにまた、かれが歓待にも値せず、去ることも受け入れなかったらやはり腕ずくで退去させるほかはないじゃないか。ぼくには無法を犯したことによって得をするなんてことが義だとは思えないよ。

クセノス フィロン、招かれずに訪れることは私は罪ではないと思う。 それは歓迎されざることでありうるけれども、禁じられたことではなくて、望まれていないことでしかないだろう? ひとびとが互いに異なっており、その家がたがいにことなる法をもっているのだから、わたしたちは、禁止を言葉で伝える以前に、望まれぬことでしかないものを、禁じられたものとみなすことは控えなければならないのではないだろうか。禁じられていることを知らないものは禁じられていることを禁じられたものとして破ることはできないのだから。

フィロン しかしクセノス、招かれずに来るなかれという掟をロゴスによってつたえていなかったとしても、招かれずに訪れることが禁じられているかどうかはさだかでないにせよ望まれぬものであることは誰にでもその知性によって知ることのできるロゴスじゃないか。

クセノス たしかにそのとおりだ。しかし望まれぬことをすることと禁じられたことをすることは同じだろうか。すくなくともそこには、語り理解しようとする対象となり、歓待に値するものなら歓待に預かる、そういう権利は与えられてよいのではないだろうか。

フィロン そうなんだ、さっきからぼくは気になっていたんだが、クセノス、その歓待にあずかる資格というのはどんなものなのだろうか。もしきみがそれをエウダイモニオンが随意に決めることのできる「許し」を意味するとしたら、きみのいうことは、ほかのすべてを認めたとしても崩れてしまうのではないだろうか。

クセノス 歓待にあずかる権利とはなんだろうか。ぼくはそこで、歓待につりあうというようなことを漠然と考えていたんだが、たしかにそれははっきりしない言葉だったようだね。そう、たとえば、それは歓待の負わせる義務を守るということだろうと思うんだ。

フィロン だがクセノス、歓待の義務を守るかどうかは、宴が終わってからでないとわからないのではないだろうか。宴に参加する時点で、そのようなことを不死の神々ならぬわれらに判定することができるのだろうか。

クセノス なるほど、たしかにそうだね。だとしたら問題なのは、よそものが歓待の義務に値しないことをおそれて語ることもなく放逐するか、歓待に値するのに不当に放逐するのを恐れてやはり語ることなくうけいれるか、どちらかしかないのだろうか。われわれはやはり語ることの意味を失ってしまったのだろうか。

……

以下延々とかれらは対話をつづける。とりあえずここで中断しておく。ディケー(正義の女神)はフィロンをまっているが、かれは彼女とのデートに間に合うのだろうか。


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