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Drifting Antigone Frontline

2003/07/14 00:00 JST

美しい日本のかわいそう 08:35

http://d.hatena.ne.jp/skeita/20030713#p2

よくわかります。

これは僕の考えだけど、応報主義をとなえるひとは、いつも思うのだけど、被害者のことなど考えていないと思う。自分の、この世には応報があってほしいという道徳的な「願い」を投影しているだけだ。(もちろん、応報がなにか失われたものを償うということを信じていなくても、せめてとそれを願う場合があるのはわかる。当事者などはそうなんだろうと思う。だがそれは、応報のことをおもに考えている人とは違うはずだ)

失われたものが報復によってかけらでもあがなえるものならよい。そして、そういうひとは、まさに、報復によってあがなえる程度のものとして、失われたものを語っているのだ。

悪いことをしたからには何をされても文句は言えないということはないので、「何々するにこしたことはない」という言葉遣いにはいつだって注意が必要で、それは相手に同情するとかそういうことではなくて、報復がどういう場合に意味を持ち、持たないかということをきちんと考えたとき、応報が必要な場面というのはどれだけあるのかという疑問なのだ。暴力的だったり隣人にとって脅威となる人間を慎重に判断した上で自由を奪うことはつねに必要だし、できることなら社会復帰できるように更正させることも必要だろう。しかしそうした行為を、応報の観点から見てしまうとゆがんでしまうのではないか。刑罰は社会生活の公正と安全のためにあるのであって、応報のためにあるのではないだろう。

リベリア 08:40

http://d.hatena.ne.jp/koseki/20030714#1058134978

ちょうど、こういうニュースが

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030712-00000681-jij-int

http://nsearch.yahoo.co.jp/bin/search?p=%A5%EA%A5%D9%A5%EA%A5%A2&st=n

実際、純粋に死んだ人数基準のニュースとかないかなあと思う。死人の資産価値と情緒的訴求力がどうしてもメディア報道にはかかわってくるので。


Comments(in hatena)

nazoking『死んだ人数基準ニュースって需要あると思います(どこまでを一つの事件として扱うか難しいですが)』
jouno『メディアのフィルタリングだけじゃなくて、別の機械的なフィルタリングも対比して存在すべきだと思うんですよね。たとえば記者は特定の社に属するんじゃなくてギルドみたいにして、新聞社はフィルタリング機能に徹する、とか。ニュースサイトやウェブログってある意味、再フィルタリング、コレクトのしくみなわけで。』