■ ジェームズ・ヒルトン
というひとが今日誕生日らしい。しらなかったのでちょっとくやしい。「チップス先生さようなら」の人だそうだ。この本は知っているのだがまだ読んでない。文豪といわれているという記述があってびっくり。そうかあ。そんなにえらい人だったとは。そのうち読んでみよう。でも青空文庫にあがってきてる海野十三にもひかれていたりする。新青年とかいいよなあ。
地球発狂事件
http://www.aozora.gr.jp/cards/000160/files/875.html
■ 未来少年コナンを見終わった
いやあ、なんというか、ラナの真剣さはただごとじゃないです。でも最後に記憶に残るのはやはりモンスリーが童顔だなあということだったりする。モンスリーはいいよなあ。ダイスはじつに人間らしいというか、でももうちょっと男を見せるところが欲しかったような気もしないではないけど。
あと言い尽くされてるだろうけど、重力無視しすぎ。
ていうか、モンスリーに「ばかね」っていわれてー。
■ 日記やらblogやらwikiやらCMSやらの連携について議論するML
http://kitaj.no-ip.com/tdiary/20030909.html#p02
できたようです。
■ 西遊記を読んだ。
慣れ親しんだ岩波の本ではなくて、百回バージョン。ちょっとダイジェストな感じはしたが、面白かった。にしても八戒はおもしろいやつだ。悟空は意外とまじめなやつなのな。それよりもなによりも、三蔵法師のなさけないこと。つかまるとすぐあやまるしぶるぶるふるえていたとかいう描写があるし、妖怪のことを「大王」とか呼んじゃうし。本当に高徳の僧なのか? とちょっと思うくらい。あと悟浄はやっぱり死ぬほど活躍しないのでこのひとの存在はなぞといえばなぞ。がんばれ。
■ トラックバック議論
http://d.hatena.ne.jp/yomoyomo/20030908#c
よその日記で議論して申し訳ないです。
とりあえず、大前提として、トラックバックが著者が送るものという自然な認識が大勢として存在するかどうかは、事実問題として知りたいところ。もちろん、その事実次第では僕の発言はほとんど無用だったことになる。
技術者的に、規格書や仕様を見れば一目瞭然で誰でもおくれるものであり、著者が送るものとみなす認識は変だ、というのは非常によっく分かるけれども、ムーバブルタイプにログインして著者が通知する機能としてはじまり、ほかのツールのユーザーもその後も大半のユーザーは毎日の使用においてそういう使用しかしないという事実から、著者が意識的に送ってくるものという認識が自然に形成されるだろう、ということが推測されるのと、経験的な感覚としてそういうふうにみんな認識しているように見えた、ということと、トラックバックに関する言説を見ていくと、やはり著者が送るものという前提に立ってみな発言していたようだった、ということが理由としてある。だから、実際問題として、実装の内部的なありようが、そういう使用以外もゆるすものというのは、規格書を読める層以外にとっては最近になって認識されたものであり、(また読める層でもむしろ実装の不備とみなされてきたと僕は思ってきた)それを実装の不備とみなすか、正規の使用とみなすかのコンセンサスはない、というのがぼくの事実認識なのだが、実際、どうなのだろうか。もちろん、これは事実認識の問題なので、だからどうすべきか、という話はここではしてないです。
ただ、必要性を感じない人が多いなら結構どうでもよくなってきたなあ。結局、これって、気になる人にとってしか意味がないわけだから、そういうひとがどれくらいいるかに依存するわけで。議論の必要性以前にコンセンサスが実際にあるなら問題はないわけで。
(ただ、規格や現在の実装がこうなってるからそのように認識しないのは誤解だという論法は無効だと思う。想定された使用法をまず考えて、それを実装したり規格にしたりするのだから、独立変数はなにが想定された用法かという可変的な社会的認識のほうのはずだから。)
Comments(in hatena)
office『(内部的には)自動的にTrackBackをするシステム(はてな)の上で「著者が送るものという前提」とか、それを確認したいという話をされても、なんだか合理性があまり感じられないのですが……』
jouno『ん? はてなは関係ないというか、はてなのシステムは話から除外してもいいんじゃないですか。それにべつにわたしははてなのユーザー向けに書いてるわけでもありませんよ。』
jouno『というか、ぼくがいまこの話を書いた媒体がどう関係するのか今ひとつつかめないのですが。』
office『「著者が送るものという前提」でないモノを利用していてその存在を敢えて除外するということですか。そうすることに非があるわけではありませんけど、そういう仮定のもとに「私は××という前提があるという結論に至った」と述べたところで、多くの人に顧みられる意見にはなりにくいと思います。』
jouno『やはりよく分かりません。文章に省略が多すぎます。「そういう仮定」というのはどういう仮定ですか。また、わたしが「著者が送るという認識の人が多い」という認識を得たのは、はてなを対象にしたものではありません。規格準拠の意味では、また実際の使用感でも、はてなのシステムは「トラックバック」と呼ぶには違いすぎます。それでもはてなのシステムをそういう認識を得るための素材として考えに入れた場合も、はてなのシステムはなおさら他人が送れないシステムでしょう。』
jouno『はてなのシステムをトラックバックと呼ぶことにかなり無理があるのは、「外部からの受信」の部分だけしか準拠していないからで、ほかの部分はぜんぜん違うものですし、違うものだという認識はかなり一般的なものだと考えます。そういう認識が一般的でないとしても、はてなのユーザーのトラックバックに関する思考は、規格に準拠していないという事実を反映して、ほかの普通のトラックバックを実装したシステムのユーザーとは異なるものでしょう。』
office『jounoさんは、必ずや「トラックバックが著者が送るものという自然な認識が大勢として存在する」という結論が成り立つモノとして、検証を行おうとしています。そのために、「著者以外だけどトラックバックを使う」と述べた個々の人々を除外しました。次に、「規格書や実装だけ見ればそう技術者的に見るのは当然だ」けど除外しました。さらに理由は不明ですが、「はてなのシステムは話から除外してもいいんじゃないですか。」と除外しました。jounoさんは、結論に不具合な事象は、全て自分の都合だけで除外しているようにしか見えない。私などには「まぁ勝手に『検証』すれば」という気分になります。その検証結果に意味があるとは思えないし、「みんなの意識」について有用な情報が得られるとは思えないし、さらに仕様について何か提案があったとしても「勝手にやってみれば」な気分になるだろうと思います。』
jouno『別に除外してませんよ。はてなを除外することについては理由を明記しましたし、除外しなくても結果は変わらないことも述べました。それ以外に、技術者的視点のひとも、個々の使うと述べた人も除外などしてません。単にそのふたつの層だけでは全体のサンプルにはならない、全体としてはどうなんだろう、といってるんです。』
bmp『「トラックバックは著者が送るものだ」ってコンセンサスはあると思うよ』
jouno『どこがどういうふうに、技術者的な視点の人や、著者以外で送ると述べた人を除外していることになるのですか。私はそういう人も含めて、全体としてどうなのか、と問うているので、そういうひとをのぞいたほかの全体が、などとは一言もいってません。』
bmp『論点整理して話しを進めたほうが建築的かと思うよ。話しが噛み合ってない 元は人工事実で起こった話しなんだけどこの話し。』
bmp『officeさんは、yomoyomoさんのところから見たんじゃないかな。』
office『除外したじゃなくて、「無視しうる」(大勢に属さない)と仮定したというところですか。それにしても「規格書や実装を見る技術者」をネグリジブルとした次には、「はてなのユーザは規格を理解しているだろうから」という(暗黙の)仮定があって、次々に出てくる都合の良い仮定に疲れます。』
jouno『規格を理解しているだろうから、ではありません。まず、はてなのシステムをトラックバックと呼ぶべきかどうか、という点があります。つぎに含まれると無理にみなした上でも、規格をはてなのユーザーが理解しているかどうかではなく、はてなのシステムは使用感も含めて実際に違うシステムであるから、抱くイメージも変わる、ということです。最後に、そうしたこともふくめて、はてなのユーザーは、他人が送ってもいいものと考えているとは到底思えません。はてなのシステムはむしろ普通の「トラックバック」よりも保護されたものであり、他人がおくれないものであるからです。繰り返しますが、はてなのトラックバックはきわめて特殊なのであり、規格をどう考えるべきかという議論に規格に準拠していないシステムをいれることは無理があります。そのことに、あhてなユーザーの規格の理解度は無関係であり、その意味であなたが「仮定がある」とみなしているのは間違っています。』
bmp『コンセンサスは別に一つである必要もないよ。大勢に属さないものはコンセンサスがあるとは居えないし、』
jouno『そのうえで、あなたがそこにこだわるなら、はてなのユーザーの意識を考慮に入れてもまったくかまいませんよ。再三、わたしははてなのユーザーのトラックバックに関する意識は、他人が送れないものだ、という意識に関してはほかのシステムよりも強いとかんがえられるからです。』
office『一応人工事実さんのところも目を通してはいます。そもそも、私はインターネットの事象について、「その事象の責任主体は誰か」と決めつけられるわけではないと思っているわけで、jounoさんがやたら事象(TrackBack)の責任主体に拘る理由があまりわからなかったりします。はてなの内部TrackBackと言うと規格がどうこうと言われるので 「referred」は、自動で行われますが、また外部からの本当のTrackBackも同じくreferred と表示されて区別されません。多くのユーザにとってはそれが自動であるか、記事の筆者の手動か、第三者が勝手にTrackBackしたのかなんて気にしようがないし、実際気にしてないだろうし、事象の責任主体なんて通常問われないのだという、好例だと思うのですがいかがでしょう。それでもネグリジブルだし、オレがTrackBackしたか、他人がTrackBackしたか重要だし明確にしなきゃいかんというのなら、そういう仕様を提唱(もし可能なら実装も)してみんなの喰い付きを見るのが一番よさげに思いますがねぇ。』
office『「はてなのユーザーのトラックバックに関する意識は、他人が送れないものだ、という意識」うーむ。参りました。はてなの refered は本人の意志にかかわらず送るのを止められないはずですが、そういうのはjounoさんの考慮には入らないのですね。もう徹底的に話が噛み合わないのだということがわかりましたので、降ります。降参です。』
jouno『ですから、それこそ、確認すべき事実でしょう。あなたの言もわたしの言と同じ程度には憶測です。主体が問われないというのは、なおさら、私には到底信用しがたい積み重ねられた仮説に過ぎません。』
jouno『そうですね、わたしも第三者にゆだねるほかないと思います。これ以上つづえkても相違点が深まるだけでしょう。』
otsune『HTTP_REFFERのログは、ほぼ「パスワードで保護されたa hrefタグ」から発生するので、本人が日記中にリンクを張ったとみなしていますよね。誰かが「jouno日記からのrefferログをartifactに残す」というのは、環境変数を自由にセット出来るツールでも使わないと出来ません(そしてそれは管理者のログ以外には残らない。普通の閲覧者の目に触れられない)。Trackbackはパスワードで保護されていない第三者が「jouno→ARTIFACT」という形でWikiリンク集のように作動できる。しかも閲覧者の目に簡単に触れられる。この点が違うと思います。』
otsune『もちろんいわゆる』
otsune『「偽reffer」を送るのは、本人では無いTrackbackを送るぐらい簡単だ。というのは理解しています。ただ偽refferという行為は、管理者以外に誘導できないという意味であまり使われていないと思います。(tDiaryのようなリンク元機能や、Webalizerを公開しているサイトを狙ったアダルトサイトのrefferスパムというのは最近有りますが)』
hoshikuzu『はてな内でなく、そこいらじゅうですが、私は任意の静的HTMLから他のHTMLへ、ブラウザIEとメモ帳だけで、refferを飛ばせます。』
hoshikuzu『すごい技術だと思っていたら、そういった機能を持つブックマークレットが、他にも公表されていて、しかももっとシンプルだったので』
hoshikuzu『あぜんとしました。。。。』
yukatti『『チップス先生さようなら』 先日読み返して泣けました。小学校時分に読んだころには響かなかった、老教師の衰えを自覚するところや恋物語のパートが沁みました。ちょっと昔(親の世代?)の特に教育分野などにおいてはなおさら、必読書的名作だったんだと思います。』
徳保『私が言っているのは、製作者に近い立場・文化の人だけがシステムを利用するわけではないのだから、ARTIFACTのような登録フォームがjounoさんが疑問に思うような使われ方をするのは当然の帰結だということです。jounoさんから見れば「実装ミス」であっても、例えば加野瀬さんやishinaoさんはその実装ミスを「便利な機能」と考えてリファラーのピックアップメモという用途に使っていたわけです。ARTIFACTはあからさまに匿名登録フォームを公開しているから、明らかに第3者によるTrackBackを想定できる状況。なのにjounoさんが驚くのは不思議。』
jouno『一言だけ。驚いた、という表現の仕方をしたのは、動機が予想できなかったから。そういうことが可能だということ、可能なことはいずれ誰かが必ずするものだということそのものには驚いたりしない。椅子で人は殴れるが、それは椅子の本来の用途ではない。椅子で人を殴れないようにするべきでそうなってないのだから、殴るのは椅子の本来の用途だ、とはいえない。とはいえ、もちろん、椅子で人を殴るやつが出ることそのものには驚かない。何で椅子で人を殴ったかには驚いたり興味を持ったり困惑したりということは当然ありうる。』
jouno『そうですか、チップス先生は泣ける名作ですか・・・・・・オトゥールの映画も名作の評判が高いみたいですね。』