アメリカのチープなトリック
米、新決議案めぐり不正工作?=国連代表団の電話盗聴など指示-英紙
これって結構、ゆゆしいことじゃないだろうか。国連軽視とだけいって済まされるものでもないと思う。一方で、
これはひとつ、好材料。
また、こんな話もあり、京都議定書のこともあり、アメリカの大陸外のことへの利己的対応というのがすけてみえる。
しかし、遅ればせの革命でいわれているように、じつは、反米主義や、その対抗馬としてアラブやヨーロッパをかつぐ、というのでは少なからず不毛なのだ。非米では現状ではわたしたちはあらざるをえないけれども、ナショナルな、プレイヤーの戦国時代、という、国家を最小単位として歴史が動く、というイメージから、なるだけ抜け出すことが必要なのだと思う。
国連軽視に対して、そもそも国連というものは無力な理想主義的機関なのだから、国連信仰のようなものがある日本人はおかしい、という論調をたまにみる。間違っている。まず、国連は軽視されているから相対的に無力なのであって、そのような軽視する言説そのものがその力をそいでいるので、原則的に、もとから、あるいは元来が無力でしかありえないわけではない。ついで、国連を重視すると世界政府になって、活力や自由や葛藤のない管理主義的世界へ近づくからいけない、というのもある。けれど、連合、連邦という理念は、世界統一政府、という考えとは違う。統一か競合かという二元論ではなく、柔軟で有効な連帯と協働というのは可能なのである。
ちなみに、アメリカの連邦制度のヒントになったのはアメリカ先住諸族のつくっていた、たとえばイロコイ連合などの連邦国家の形態で、連邦という思想はヨーロッパには弱かったのである。
http://www.hotwired.co.jp/ecowire/hoshikawa/010522/textonly.html