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Drifting Antigone Frontline

2004/01/29 00:18 JST

 その頃、酒鬼薔薇聖斗に意味を見いだそうとする同時代の年少の人々の奇妙な盛り上がりにぼくは冷めていた。いまも、かれらはあの事件に何かの意味を感じているのだろうか。あの頃の雑誌やテレビで語られる言葉の強引さと盛り上がりにはどんな意味があったのだろう。人並みに、ソ連の崩壊、東欧の革命、壁の崩壊、天皇の死去のあの異様な戒厳令下のような雰囲気にぼくは興奮したりもした。だが、ぼくには地震は内的な「出来事」だったけれど、オウムはワイドショーの話題でしかなかった。東京に住んでいたのに、かけらも身近な出来事だとは思えなかった。ぼくにとって、地震が今も続く問いかけでありつづけているのに、オウムは結局、挿話でしかないのはなぜだろうか。おきつつあることのすべての雛型としてのあの地震。もしかしたら、オウムがぼくにとって挿話としか思えないのは、それが起きる前に、すでに想像のなかではもはや陳腐な上にも陳腐なものになってしまっていたからではないのか。あまりにも陳腐すぎて誰も実際にいまさらやる気にもならない行為……そして実際にやったからといってそのことが何者でもないような。怒りがあるとしたら、なんと退屈なことの為に、なんと退屈な手段で、人を殺したのかということだった。それは筋違いなことかもしれないけれど、この陳腐さへの感覚の欠如はいたるところに広がっているようでさえあった。面白ければいいというのも、正しければいいというのも、退屈さへの感覚が失われた徴候のように思えてならなかった。面白さにこだわることでひとは歴史から身を引き離す。歴史のなさと退屈さには内的な関係がある。面白いものは退屈だといえば逆説めくだろうか。あのころのことでぼくが鮮明に覚えているのは、校庭にならべられた机が描き出す9の文字のイメージだけだ。

 むしろ安部公房のキャラクターたちが溢れ出したような世界。

 ……ヘレニズムについて考えるべきなのだろうか。ディックのように、現在は同時に紀元後のローマ帝国でもあると断言すべきだろうか。いや、断言すべきなのではない。そのように景観を歩き回るべきなのだ。地図のありようにこそ、それはかかわっているのだとおもう。

 言葉がますます観念的になっていくというたしかな感覚と、その観念的な言葉がますます現実的で政治的な効果を担っていくという経験。言葉は、振る舞いにおいて政治的であればあるほど観念的になっていくのだろうか。誰も現実を動かすことにしか興味がない。現実を知ろうとはしない。求めているのは、現実が観念を証明してくれることでしかない。

 愚かさとつつましさにおいて、過激で、恐れ気なく。ただ、願うこと。

 刹那を神秘化しないこと、歴史をお話にしないこと、ある一定期間の持続こそ、何かが宿るものなのだと思う。永遠も、刹那も、まやかしだ。季節とそれを呼べばいいのだろうか。だが、そのイメージはやはり永遠の磁場へと近づいている。滞留と、むしろそれを呼べ。