戦争反対への反対に関するコメント
戦争根絶は無理だ、という議論は分かるし、もしかしたら全くそのとおりというほかないかもしれない。だが、そのことはすべての戦争の不可避性を意味するわけではもちろんないし、「この戦争」がどうかという議論にもまるで関係がない。
戦争と人間性の関係からいえば争いをすべて管理する豚の平和という社会像はオーウエル的な不自由の幸福とでもいうべきうとむべきものだろう。問題はそういう議論をするとき、争いや葛藤一般と、その特殊な形態としての戦争についての問題を一足飛びに飛び越すことにある。むしろ、戦争とは争いの管理された、不自由な、そしてそれゆえに悲惨で活力なき形態なのである。つまり、戦争は多様な争点を一元化して、争うべき内部の不和を強制的に、錯覚的に「敵」へと統一してしまう。このような戦争による平和はいかにも警戒すべきものだ。そして実際の様相においても、戦争は兵士たちをきわめて強い統制の元におき、国内は戦時体制によってあらたな発想や逸脱はなるだけ管理されない形では禁止される。争いや葛藤一般のもつ、人間性の発現や活力という点から言えば、はるかに平時のほうが多様で生産的なことはいうまでもない。たとえば端的に犯罪が戦時に減少することを考えてもいい。
戦争が人類史にとって不可避であるということをもって、この戦争が不可避であるという議論をするものがいたとしたら、そのひとは間違いなく詭弁家である。