イラクの影で パレスチナの現在
リスト、無味乾燥な、感情に何も訴えるような工夫のない、ビジネス文書のような。
そのようにして悲惨は語られるほかなく、そのようにして伝達は不可能ゆえに有効になる。
失望からはじめて絶望へいたるのではない。
絶望からはじめて、意志によって失望へと、そして失望を客観視するユーモアへといたること。
しかも、氷のような絶望はもはや手放すことなく、悲観楽観主義者になること。
死が蔓延している。
パレスチナにおけるイスラエルの暴虐は、イスラエルでのパレスチナ・ゲリラによるテロリズムによって、正当化しうるのだろうか。いや、両者は互いに相手を正当化することなどできない。
イスラエルは、これらの死者を常に、テロリストとその一味と呼び、防衛のためにやむを得ず殺すといいつづけている。それはただしいだろうか。本当に、パレスチナの土地への権利を待望するこれらの人々は、それゆえにテロリストなのだろうか。かれらの闘争がすべて、それが武力を伴うがゆえに「テロリズム」なのだろうか。