ツールとコミュニケーション
印象でしかないから割り引いて聞いてほしいのだけれど、ニュースソースとしてではなく、対話相手として言及する、そういう範囲が境界を持つ傾向があるとき、コミュニティ的な関係だということにすると、weblogと銘打ったツールを使っているひとは、少しだけ、やはり同様のツールを使っている人に話し掛ける傾向が強いように思う。ツールにまつわる技術的なことなら自然なことだけれども、それは危ういことだ、としかしこれは大半は自戒として、ぼくは考えたりもする。
ツールが文章のスタイルを決める、という側面は確かにあるのだけれど、そのことに距離を保つことも必要だ。初発の自分にとっての書くことへの位置付け、という問いが、出来合いの答えによって答えられてしまうからだ。
ある意味で、ツールはすべて、ある理念的なツールの部分的実現に過ぎず、どれも同じものだ。フォームから入力したデータをデータベースに格納し、それを何らかのルールでソートして表示する。やっているのはどのツールもそういうことで、あるイデア的掲示板をちまちまとカスタマイズしていくうちに、意味付けによって、まったく違うものに見え、使用法が実際に全く変わっていく。
インターネットで定期的に発表される個人的文章にはさまざまなジャンルが確かにあるにちがいない。そしてそれらのジャンルはあるツールや人的範囲によってまとまる傾向をもつかもしれない。しかし、書くことというのはつねにジャンルを逸脱せざるを得ないもののはずだ。みずからが現在形で問い直しつづけなければいけない書くことの意味を、自分以外の人が決定してくれるはずはないからだ。だからこそ、ジャンルとの距離を確保しようとするとき、実際にそれらがつくっている社会に対して横断的であろう、と意志することも、ぼくはとても大事なことだと思う。
なるだけ、ハイブリッド・チャイルドでいることを忘れないこと、そういう気恥ずかしい自戒を、いまぼくは考えている。あたらしいツールを使い始めたせいで、ちょうど、そのツールが使える相手に言及したい傾向が強まっているのは、事実なんだけどね。(トラックバックとかpingbackとかrssとか)
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