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Drifting Antigone Frontline

人間の盾

2003/03/07 04:56 JST

 なぜか「人間の盾」は嫌われているような印象を受けた。一方的に賞賛するのはばかばかしいことだが、こうした奇妙な嫌悪には理由がない。忘れてはならないのは、普通の人が、普通の勇気をふりしぼってやっていることで、なにがといって、死ぬのが怖いということを笑いものにすることができる人間などいるはずがない。とどまるひと、逃げる人、それなりの思いがあり、事情があり、悔いがあり、恐怖があり、即断できるようなことではないではないか。「人間の盾」というのは、考えてみれば著しく皮肉な戦術だ。しかしわれわれはその皮肉にきわめて不感症だ。それは人間の命の価値はぜんぜん違うということを露にさせ、表面化させ、いかにイラクの住民たちの命が軽視されているか、ということをわたしたちに突きつけているのだ。
 戦術として実効性があるかどうかはわからない。国家や軍隊は結局、市民の命など尊重しはしないだろう。名分が立ちさえすればいいのだ。それでもしばらくは名分がたたないから、人間の盾は無意味ではない。
 戦争は葛藤を解消する手段だ。人間の盾で戦争が回避されても問題の解決にはならないではないか、というひとには、たしかにそうだと答えつつ、しかし、実際に戦争が起きなかった、ということは、それで死ななかった人々にとっては間違いなく何事かではないか。
 わたしは「人間の盾」という行為を、表立っていえないだけに隠微に憎悪して、すこしでも弱みが見えるとやっぱりじゃないか、と言い立てる、そういう心理のなかには、本来持つ必要のない、引け目のようなものが、ねじくれた屈折をして存在していると思う。
 たしかに人間の盾は現地にいるだけにフセイン政権に利用されるだろう。それは強烈な幻滅を招きもするだろう。わたしたちはここでも想起すべきだ。イラクの政権もアメリカの政権もおたがいを敵にしているだけだが、われわれそれ以外の人間たちは、その二つに対して二正面作戦をたたかわなければいけないのだ。平和主義とは、軍事的戦争の二つの陣営への戦いなのであり、もちろん、実力行使を伴うし、傷だって怪我だってする。