民族学校と大学受験資格
なんだか、この件についてあまり好意的な意見を聞かないのはやはり北朝鮮のことがあるからだろうとは思うのだけれど、やはり、それはそれとして、考えるべきことだと思う。
こういうとき米英というのが何故でてくるのか、というのはやっぱりちょっと異様な気がする。総論としては、各大学が独自に決めるのがいいと思うけれども、たとえばアメリカンスクールも、朝鮮学校も、ここで問題にしているような意味では民族学校という意味でかわらない、ということはみすごされやすい。ヨーロッパというのが普遍として理解されて、それもまたひとつの特殊であるということはあまり見られないのだ。
総連系の学校が、民主主義社会と相容れないような思想教育をしているというのが事実であるならば、それはそれとして批判されるべきだし、その点についていえば、公正さが担保できるなら介入したっていいとおもう。ただし、そういう場合、たくさんあるほかの私立高校と同じ基準、同じ態度でのぞむということが肝心なはずだ。非民主主義的な、あるいは日本の憲法秩序とあいいれないことを教えているところを公的に認定するのはまずいのはわかる。
が、そのことと、民族教育をするということは別である。日本の市民、住民としての意識や教育、教養を持つ、ということは、日本以外の民族的アイデンティティを持つことと何ら矛盾しないはずだ。
まして問題は基本的には学力にかかわるはずで、なぜ英米の審査機関が必要なのか。そうしたことが必要であるなら、ほかのすべての私立高校と一律に、何年かに一度、学力レベルを基準にした認定試験を学校単位でするというようなことをすればいいとおもう。しかし、実際には私立は学力や風評によってさばかれるので、公的なそういう認定は必要ない、ともおもう。