小説を書くというのはきわめて現在では普及した「趣味」だといっていい。これほど供給過剰なマーケットもめずらしい。書き手を対象にした雑誌が商業的に成立しているということがなによりの証拠だ。しかも、新人賞というシステムは、一気に、中間の過程を飛ばして「作家」になれるという幻想を与える。まるで、誰もが読まれるかどうかさえ気にしていないかのようだ。そしてなにより誰も気にしていないのは、「読んでいるのは誰か」ということだ。
小説を書くと言うことはひとつの制度に参加するということになっており、そこでは内容と形式との間には、きめられた区別がすでにたてられていて、その区別にのっかったうえでの、内容にしか創意の余地はない。前衛というものも、この意味では内容の分野のうちでの、「形式」の問題に過ぎない。前衛的内容が小説という形式に流し込まれる。
日本語で書くと言うことは日本標準語をうけいれる、うけいれた、うけいれさせられたひとを対象にするということだ。
言葉を、選ぶ、という、こと。
Sorry! Japanese Only.
聖なるかな、聖なるかな、主なる神。
まじないのことば。
余計なことかも知れないが、気になって仕方がない。
//1999/10/10//