とめどない夜のために



 欠落が、とめどなく外へ何かを漏れ出させてしまう傷口がなかにあいている。そのために、もうすべていいつくした、言うべき事はもうないと思うことが出来ない。おしまいというときに余計な一言を漏らし、またおしまいを流産させてしまう。傷口はもはや疼くことすらなく、ただいたずらに空回りする言葉をつむぎつづける。
 伝染する比喩はすくいがたく転移して、どんな切除手術もけっしてまにあいはしない。語ろうとしたことはみるまに凝固してかさぶたとなり、やってきたときのあざやかな赤さは見る影もない。たったそれだけのことだと言い放った自己の声に傷つけられ、そこに限りないごまかしを予感する。
 ありとあらゆることがかつて一度おきてしまったことであるような感覚の夜の中で、せめてその言葉と言葉のあいだの深淵に投身しようとするが、そのときに至高の恐怖が訪れ、ためらいはなんども言葉を繰り返させる。立ち止まった言葉はそれをかくそうともっともらしいオートマチズムを見いだし、ロジックは死の天使となれ合う。神の軍団を待ち望みかれらに虐殺される詩を願おうと、それはむなしい。
 書くことでなにを果たそうというのか。

 枯渇したのではないか、という恐れ、このまま終わってしまうのではないかという思い、だがそれらはいまだ、イメージの嘆きにすぎない。なぜ書くのかという問いは答えをむしろ呼び込む。書くとは何かという問いは漠然としただれかへのメッセージへと問いをはぐらかす。何を書いているのか。その問いはおそらくすべての書く手を虐殺する。だから、むしろ、このように問うことにしよう。何を欲しているのかと。いや、精確にはこうだ。
 何にわたしは渇いているのか。

 そして、恐れているのは?

 一歩づつ、自分だけの断崖へとにじりよる。深淵をのぞきこみ、全身で恐れのにがい味をあじわうために。投身のためではなく、ただ恐れと渇きのために。書きながら、そむきはじめる言葉と劇に、読むことの出来ないメッセージを予感する。書き手にはけっして読むことの出来ないメッセージが書かれた物には書き込まれている。だから、裏切りが、夜の本性なのだ。

 あ、と思ってもはやその驚きの意味をもう知ることが出来ない。あ、という瞬間にすべてはもう終わっている。そうしてなぜだかこころはその「盲点」にとらわれる。物理学では、微細領域には10次元が存在し、それがマクロな領域へと移行するにつれ減って3次元になるのだという。瞬間の内にはきっと他界がひそめられている。この盲点を、さかのぼってみいだそうと、記憶が編み出されていくが、記憶には無数の、こわれたイメージしか属さない。

 ふりかえることで、こわれる何かがある。そのことだけが、書くことのひとつの鍵なのだと思っている。

 //1999/08/13//