2000/07/03 アンティゴネの記念に

 オイディプスの娘にして妹であるアンティゴネは、追放され老いさらばえた父にただひとり付き従い、異境を流浪する。叔父クレオンも、かれの息子たちもかれの追放に荷担した。妹イスメネはかれのために働いているが付き従ってはいない。残された二人の兄は王位をめぐって争い、ひとりは追放されて他国の軍勢を率いてもうひとりへと挑む。故郷を攻めようとするポリュネイケスは父のもとを訪れ、彼の側にたって帰還することを願うが(神託はオイディプスが味方に付いた側が勝つと告げた)、決定的に拒絶される。そしておまえはもしなお戦うならば死ぬであろうという呪いをオイディプスによって与えられる。アンティゴネはかれを引き留めるが、ポリュネイケスは、拒む。このときの彼の言葉は感動的だ。

 ポリュネイケス そうだ、引き留めないでくれ。おれは、このおれの父親とその報復の女神たちの忌まわしい運命の不吉なこの道を歩まねばならぬ。おれの生きているあいだにはもうふたたびおれにしてくれることはできないのだから、おれの望みを死んだ時に果たしてくれれば、ゼウスがお前たち二人の道を幸多くしてくださいますように。さあ、放してくれ、ご機嫌よう。もう二度とふたたび生あるおれに会うことはあるまい。

 アンティゴネ ああ、なんと悲しいことを。

 ポリュネイケス おれのために歎くな。

 アンティゴネ 前もってわかっている死にお急ぎのあなたを誰が歎かずにいられましょう、お兄さま。

 ポリュネイケス 定めとあれば、死ぬほかはない。

 アンティゴネ いいえ、そうではございません、わたくしの言うことをお聞き入れになって。

 ポリュネイケス 無役な説法はするな。

 アンティゴネ お兄さまをなくしては、どんなに悲しいことか。

 ポリュネイケス いや、それは運命の神にかかっている、こうなるか、ああなるかは。お前たち二人のためには、けっして不幸にあわぬよう、おれが神々にお祈りする。誰の目にも二人は不幸になるにはふさわしくないからな。

 こののち、ポリュネイケスは戦いの後、弟と差し違えて死に、王権はクレオンの手に渡る。なにがかれを駆り立てるのかは分からないが、このとき、かれは父の権威や後ろ盾、運命や神々のすべてに逆らい、死を覚悟して自己の運命を自らひきうけようとしている。このとき、ジュネがどこかで語っていたように、運命は、引き受けられること、見事に成就されることによって、むしろ、からかわれ、ひとつの戯れになる。不条理な偶然は、冗談のようにして決定的に(坂口安吾「彼らは遠足に行ってしまった」、「真珠」)引き受けられることによって、かろやかで厳粛な必然へとひらめくように変わる。(しかもかれは最後まで運命に従属しようとはしないだろう)おそらく、ここで、決してオイディプスとポリュネイケスが和解しない、ということにこそ、感動的な何かがある。彼が来る直前にクレオンも保身的な動機からオイディプスを引き取りにやってくるが、そこにはなにひとつ高貴なものはない。死期が迫ったオイディプスは、森の中に入り、ただかれに何の利得もないのに「旅人/よそ者への無償の好意」(DickはそれをKindnessと呼んだ)を与えたテセウス王に祝福を与えた後、誰も見ていないところで、雷鳴と電撃のうちに、忽然と姿を消す。それはあたかも生きながら取り去られたようでもあり、地に瞬時に引き込まれたようでもある。
 アンティゴネとイスメネが故国に戻ると、王となったクレオンは、町を守って死んだ兄を褒め称え弔い、町を攻めて死んだポリュネイケスを葬ることを禁止し死骸のまま戸外に放置している。一見、これはとても納得のいく措置に思えるが、しかし、しょせんこれは共同体の敵味方という都合でしかない。アンティゴネは、兄ポリュネイケスを正当に葬る権利をやむことなく主張する。彼女のよってたつ正義はあたかも共同体をこえた普遍の正義、自然法の観念の萌芽のように受け取られているが、なによりも、兄との約束に起源をもつ。彼女は兄を葬り、その咎によって、幽閉され生きながら死を待つようにされるが、殺害の汚れをひきうけようとしないクレオンの意図に逆らい、彼女はそこで首をつって自殺する。クレオンの息子はアンティゴネのいいなづけだったのだが、かれも彼女の死を知って自殺し、それを知ったかれの母にしてクレオンの妻エウリュディケも命を絶つ。
 死者への誠実は、およそ異様なものというほかない。かれらはもはやいないのだから。ましてや、かれらの望みが、まさにかれらの沈黙によっておよそ推測によらなければならないとなれば。アンティゴネはオイディプスの追放にはじまり、内戦の惨禍と追放の悲惨のなかで弔われることもなく死んだすべての死者たちへの弔いとあがないのために死ぬだろう。(生者は死骸から目をさらし続け、なかったことにしようとする)クレオンの地上の論理が、死者を生者の都合によっておとしめ、あるいは美化して利用し、名もなきものたちはただ忘却してすませようというとき、ひとりの存在が、その約束を真に受けると言うこと、そしてそのことをみずからの運命とみなすということは決定的に異様なことだ。だが、自殺は肯定されるべきだろうか? アンティゴネは死ななければならなかったのだろうか? たしかに、アンティゴネは父への(兄への)愛によって、それこそオイディプス・コンプレックスの裏返しのような、エレクトラ・コンプレックスに突き動かされているのかもしれない。しかし、アンティゴネのどこにも、母への敵意を見ることはできないのだ。そしてまた、彼女が抗議したのは、クレオンの父性的な法律と共同体の掟にたいしてだった。彼女は孤立していて、理解されない。それはもはや近親相姦のドラマや血縁への忠誠というものではなく、名もなく、忘れ去られようとする言葉や、存在への、痛みと誠実ではないかと思えてならない。

 クレオン だが、良い者が、悪人と同じもてなしを受けてはすまされない。

 アンティゴネ 誰が知ってましょう、それがあの世でまだ、さしつかえるか。

 クレオン いや、けっして仇が、死んだとて、味方になりはしないぞ。

 アンティゴネ いえ、けして、私は、憎しみを頒けるのではなく、愛を頒けると生まれついたもの。

 だが私は何処かで、それでも彼女には生きてほしかったという感情がぬきがたく、ある。