2000/07/25 スープパスタに感動。

 ジーンは決してサハラのことを忘れなかったのだな、とふと私は思った。
 こう書くと、まるで出来合いの月並みな小説の終わりみたいだ。ジーン・ポ−シャが千葉の沿岸のまるで工業の廃墟のような船着場の工場で働いているのに出会ったのは、ぼくがそこで一月ほどアルバイトをすることにしたからだった。こう書いたからといってもちろん彼女からすればぼくのそうした行動はただのランダムな因子に過ぎず、ぼくはどうにもこうして言葉というのが天動説的であることにうんざりしそうになる。こういう逸脱に走りがちなのはぼくがジーンの死のせいで憂鬱におそわれがちだからで、そしてジーンのあのあたたかな動物のような匂いのする体臭と、すべすべしてまるで鉱物のようだった清潔で決然とした肌を、彼女の聡明な井戸のような目とともに記憶しているからだった。
 貨物港での夕暮れは怪獣でも出そうなほどのとりとめもなくそして抗いようもない強烈な後の祭りの感覚に覆われている。それだけにつねよりもそこは廃墟めいて見え、彼女のからだが孕んでいたサハラとあまりに対称的でぼくはときどき可笑しくなったものだった。そうはいってもぼくの働いている工場での作業は夕暮れから始まるのだから、考えてみればぼくらは終わりの後から本格的にその仕事をはじめねばならないのだった。水はたしかに外海へとつながりそこからあのサハラや空の土地、そして年中うっそうとしたジャングルが無数の生物を臓物のように繁殖させている南方、想像もつかないような貧苦や物語、神話や夜毎の痛苦にみたされた幻の土地へと通じているはずだった。ぼくは直接あうことはない船員たちをそれだから仕事がはじまるまえに船をぼんやりと夕焼けの中でながめながら漠然とあこがれるのだった。ジーンとともにそれらの土地を経巡ってついにはサハラへといたることができたらどんなに素敵だろうか。

 ジーン、日本にはウラシマタロウという旅人の物語があるんだ、きみは知っているだろうか……

 それにしてもぼくの書き付ける言葉には無駄が多くひとつですむことを何度でもいい、焦ったように後追いでもっとまえに書かれているべきだった主語や目的語がつぎからつぎへと挿入され言い足されそれはたしかに見苦しいことかもしれないが、まるで追いかけられているかのように語りつづけるのはジーンの寡黙さを補いたいと思っているからだろうかそれともそれを忘れたいと願っているからだろうか。都心から一時間も電車で揺られてやってくるこの千葉の工場でまるでひどく解き放たれたような気分でいるのはおそらく移動そのものの効果であり、そして反響していやますような胸騒ぎの原因は間違いなくジーンなのだった。

 アッラーはこの異郷の湿気の多い土地でも偏在し、あの苛烈な空と太陽の信仰を支えているのだろうか。ぼくはそのことを思うたびにどうしても空の不在を痛切に思わずに入られなかった。無限から無限へとかけていく風も、砂漠のあの艶麗な流れもなく、まるで、海の果てで。

 「わたしは歌を歌っていた、いくつもいくつも歌った、収穫の歌、悪魔の歌、虚無の歌、アッラーの歌、村の歌、わたしは密通を歌った、死を歌った、誕生を歌った、サハラへと消えていく旅人を歌った、夜毎の宴を歌った、わたしの燃え盛る脱出の思い、女たちの挫折と歓楽を歌ったのよ」

 あるとき、ジーンと近くの雑居ビルの屋上にアルバイトが終わってからしのびこんで、しんと冷えていた世界に日が昇ってくるのをながめていたことがあった。ぼくもジーンも疲れていたが、まるで創世記の記述のように、星たちが消えていく代わりに世界はゆっくりと形をあらわし、そして静かに名前を手に入れていった。まるでなにか魔法の手がひとつひとつの事象に名づけの言葉をかけて、あらゆるものを更新していくのをみているようだった。まだ薄暗い中で奇妙に感動してぼくは殺風景ながらくたの散らばった屋上にへたり込んで世界をながめていた。すると、ジーンが背後で立ち上がる気配がして、それからゆっくりと、それはなんと言う言葉で、なんと言うことを語っているのか分からなかったけれど、ひどく残酷でしかも闇の底、時間のかなたからやってきたような、あいまいでやさしい、彼女の肌のにおいそのもののような歌声が聞こえてきたのだった。それはあくまでもしずかに、かすれるようなこえだったけれど、たしかにそのときだけは彼女は歌っていた。しかしぼくは振り返る気にはなれなかった。何とはなく、狂おしかった。

 今もなお、僕はその場に立ち会っているかのようだ。
 いまもなお、かすかな、沈黙に、耳を澄ます。終わりなく、世界は滅び、更新され。

 サハラのまだ見ぬ広漠を、懐かしんでいる、ジーン、ぼくはいま。