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 猫をみているとぼくは手もなく幸せな気分に浸ってしまう。

 といってもヤツラはニンゲンではないので、よくよく見ていると怖いところがある。特に猫で怖いのは目だ。マンガなんかで描く猫の目は脚色して横長に描かれているが、実際にはまん丸に近くてしかも眉毛が見あたらない。もちろん猫にも眉毛はあるのだけれど、よくは見えない。そして猫というのは指向性の異常な集中力をもつドーブツなので、じいっと眠くないときは目を見開いている。このむきだしの目はかなりこわい。

 そういうことはありつつ猫はやはり定義上かわいいものだとおもう。しかし猫というのはじつに自分のことに見事なまでにかかりっきりだ。猫くらいナルシスティックないきものは存在しないのではないかとおもう。そういう猫がみていて不快ではないというのは希有なことかもしれないとふっと思った。

 たいていの場合、基本的にヒトというのは自己陶酔は不快に感じるものではなかろうか。猫だけが例外だというのは贔屓のひきたおしとしても納得がいかない。他人の自己陶酔は気色悪いもののはずだ。それで、考えてみることにしたのだが、どうも、自分が好きというのには、二種類あるのではないかと思いつく。

 不快なナルシシズムというのはつまり自意識過剰ということで、自分のことが大好きな他人ということになっていることなのだとおもう。それにくらべると猫というのは自分のことを対象化して好きだということなど全くなく、単に、自分のなかでおきていることに興味があって、気持ちがよかったり、気をそそられたりしているのだとおもう。

 どちらにせよ他人に興味のない相手はつき合いにくいしつきあって甲斐のないものでもあるけれど、それでも猫のようなナルシシズムは、どこかうるさいところがなくて、ひどく自然なだけに、美しくさえあるのではないだろうか。

 そんなことを思ったり、した。