距離の危うい戯れ 「草枕」というファルス論
 1999/4/28

 1 様々な問い
 
 「草枕」は実際に笑いを誘うかどうかを棚上げにすれば、方法的には(ミハイル・バフチンのいう「薄められた笑い」にも比せられるが)滑稽な作品であり、またその物語性は偶然によって織られ生み出されている。言い換えれば、断片的であり、唐突でもある出来事が主な役割を果たしている。
 美と滑稽の関係という点で、たしかにそれは俳諧的であり、漱石のファルス的(坂口安吾的)側面を露わにする。漱石が自ら示す比喩は川柳=穿ちと、俳句=美という配列なのだが(「余が『草枕』」、明治三九年一一、一五『文章世界』)、そこに普通名的な意味性と固有名的なモノ性との対立を見いだすことはさほど穿ちすぎともいえまい。美の概念は曖昧でとらえがたく、殆どいかなる内容にも適用されうる。だから、その内実こそが問題である。以下では、この点に関して、未決定な生成状態の問題として、美という言葉を、いわゆる漱石のユーモアとの関わりで考えていくことにしたい。
 また、偶然的な出会いによる創作法は、唯物論的とさえいえるほど、身体の物語への焦点化を導く。意識によって統括されない物語の連続性は無意識のレベルで働き、そのことによって、身体的な体験において会話のごときものが成立し始める。この観点からは、また物語は眠り=思索と覚醒=身体との間の往還として構造化される。水についての議論などからすでに明らかなように、重要なのは、往還の波動のうごき、反復する周期的な律動こそが「草枕」の中心のひとつを成す。
 一方で、那美の観点からは、那美の身体はあくまでも対象化されたままにとどまる。那美にとって、たしかに画工の物語、あるいはより適切に言って「趣向」は、ほぼ対等に戦いうるステージとしての意味をもち、「見られる」ことから「見せる」ことへの転移さえ引き起こし得た場であったが、那美の身体的世界把握のレベルでは、画工は、漸く結末部でそれを主体化しうるにすぎない。つまり、最後になるまでは、画工は、那美の表情を意味づけることしかできない。
 画工の芸術論は事実上、一つのファルス論であり、また、方法論、実践論を欠くほかは首尾一貫している。画工の理論は、対象に働きかける側面を欠き、それゆえに理想の鑑賞者の理論ではあっても創作者の理論ではない。解釈することに拠点をかまえた世界の矛盾、不調和への闘争は、孤独の思想であり、いかなる他者とも共有可能な条件を欠く。詩といい、絵といい、音楽といい、彫刻といいながら、散文を欠くのは著しい証となる。
 「山路」でこの考えが展開しだすのは、山が擬似的に歴史的現在から括り込まれているからであり、もうひとつには、この道とは境界空間だからであり、坂だからである。画工はいかなる生活実践からも離れて、純粋な思考という理想そのものであるかのような状況に偶然にもおかれている。ありていにいえば考えるほかにやることもない。孤独に歩くことが思考と結びつくのは、思考は運動とリズムを生理的に欲するからだ。
 さらに、連想の働きを重視すれば、山路愛山の名と、そこから引き出される北村透谷との、「人生相渉論争」を想起しておくべきだろう。偶然とはいえ、ここでの画工の思考は、透谷のはげしさを俳諧によって妥協させたもののように映るからだ。透谷にとって、実生活での敗北からはじまる想世界での闘争は非人情とはとてもいいがたいものだが、にもかかわらず、そこには、イデアへの志向という点で、つよく共通するものがある。世代的な共通性と、漢学の素養から来る、漢文学的芸術観をひきついでいるからということは当然、前提としてあるのだが、そこで視ることへの姿勢としても、見逃し得ない共有される場があることは否めないように思われる。透谷は芭蕉の「名月や池をめぐりて世もすがら」という句について、つぎのように言う。

 池は即ち実なり。而して彼が池を睨みたるは、暗中に水を打つ小児の業に同じからずして、何物をか池に写して睨みたるなり。何物をか池に打ち入れて睨みたるなり。何物にか池を照さしめて睨みたるなり。睨みたりとは、視る仕方の当初を指して言ひ得る言葉なり。視る仕方の後を言ふ言葉は Annihilation の外なかるべし。彼は実を忘れたるなり。彼は人間を離れたるなり。彼は肉を脱したるなり。実を忘れ、肉を脱し、人間を離れて、何処にか去れる。杜鵑の行衛は、問ふことを止めよ、天涯を高く飛び去りて、絶対的の物、即ち Idea にまで達したるなり。
 (「人生に相渉るとは何の謂ぞ」北村透谷)

 ここでは一見、もはや似てもにつかないような激越な形態で、ではあるが、視ることにおける自己無化(Annihilation)が語られている。鏡としての池を凝視することで、自己を拡散させ、観念の高みへと飛翔することは、画工が望んだことでもあった。しかし、透谷とは異なり、漱石にとって問題となってくるのは、この鏡が散乱し、歪んでいたらどうなるかということである。もはや、名月を目標とする自己への帰還は不可能になりはて、むしろ椿の下降の運動こそがあらわれる。
 空を撃つ戦いは漱石に置いて放棄されたのか、引き継がれたのか、そのことも「草枕」はあらわにしていくにちがいない。漱石が若き日の読書において、殆ど同年にうまれた透谷のことをどれだけ意識していたかは正確にはたしかめえないが、想実の問題はかれにあっても重要な位置を占めているし、英文学もまた共有される因子としてある。
 画工の現在の思惟は自分の考えを、自分の奥底から出た、自己の本質の表現と見なしたい。だが、都会を離れて坂という境界空間を登る苦難のさなかで、考えることを無為と孤独によって強いられるというお膳立てぬきに、この思想があったかどうか。
 実際、温泉場に向かうかれの運動とこの考えのあいだには見やすい連関がある。かれの思考はかれが今現にやっていることを反復しているのだ。その逆ではない。温泉場に休息に行くという通俗というほどのこともないが独創的でもない現実を、かれはいま、たまたま、考えるくらいしかやることがないから、観念化し、一般化してみているので、すくなくともこの時点(最初の五行目まで)では思いつきの域を出ない。知情意の分類も、つまづき、滑り、踏ん張るかれの登る行為によってモデル化されている。原因、および背景として、かれの厭世の理由を、小説の語られざる内部に想定することはできるが、それは一般的厭世の一般的原因として想定しうるにとどまるだろう。したがって、ここにもある種の偶然が潜んでいる。
 同時に、この考えの歴史性というよりも、この湯治という行為の歴史性を考慮して置かなくてはならない。しかし、この考えの展開と行為の展開は以後独立して働きはじめる。湯治の行為はいやおうなくかれを那美へと引き合わせる。当初、湯治の表現であった「趣向」は湯治の行為を規制する一方で、湯治の意味であることから逸脱し、那美の表情という謎を生み出し始める。通底するものは、時間的順序を無視しない限りさほど「ない」が、この過程が生成しつつあるのは、距離の戯れとしての、想と実とのあいだの緊張関係だろう。だから、過程の生産結果としての「胸中の画面」にあまり拘ることには無理がある。テーゼとして提出される冒頭部の画工の存在が、結末部でのこの絵に変換されることに、なにか必然性を見いだすことは不可能だからだ。そのことを、とりあえず、冒頭部の身体性と思考との対応として確認しておきたい。
 まず、画工を、喜劇の主人公として見ておく必要がある。我々には、かれの言動がどこまで言い訳なのか確かめるすべはない。画工は第一みずから、酔狂と認め、忘れることを理想としている。衣装をひとまずは度外に置けば、これは間違いなく道化の所作だ。道化の所作に、理屈や思想性があろうとなかろうと、それこそ問題ではない。道化は理屈張ることによってなおさら道化なのである。もうすこし、この小説は落語的に読まれることがしあわせなのではないか。実際、かれは那美さんのまえで、道化らしい振る舞いをしてしまう。勿論、かれとしてはそれは承知している。しかし画工の言動には分裂があるのであって、自覚が道化に見える振る舞いを有効に抑制するわけではない。
 全体的にみれば、画工の非人情論は、それ自身としての真理を問いかけているわけではない。そうではなくて、そのテキストにおける機能というのは、画工の行為を、にせの目的として導き、そこから、物語の糸を導くことにあるのである。ではそれによって、導かれる、特異な物語の線とは何だろうか、それは、志保田那美の線ともかかわってくるのだが、つかずはなれずの関係のなかに顕現していく、一個の、いや無数の亀裂の事態である。あやうさの感覚こそここでは重要なのであり、この危うさによって、問題は、一つの転機を迎えることになる。ここにいたって、いまだ生成しない世界のもつ美ということが、焦点となってくる。

 2 境界を行き来するもの

 「草枕」は境界で出来事があらわれてくるという物語である。エロスとタナトスへ引き裂かれた自己の物語としてよりも、さきに大前提として境界領域という事態があるようにおもわれてならない。物語の内容から、些細なできごとに至るまで、すべてが境界ということにまつわって、そこにおいて起きる。しかも、あらゆる境界では出来事は不鮮明で未確定であり、律動して現れては消える運動を行う。
 画工は、山路という境界で物語をはじめ、峠の茶屋へと至り、那古井の宿では、眠りと覚醒のさかいを浮遊し、闇と光の境に那美さんの定かならぬ姿が浮かぶ。襖という境をはさんで画工と橋のうえの那美さんは向かい合い、那美さんがかたる長良乙女の物語は、二人の男のあいだにいる女の話であり、床屋では、画工は、髪を切られているために、一種の生まれ変わりの過程にいる。宙づりの状態にあるかれはそれゆえに暢気である。再び宿では、那美さんは振り袖で廊下を行きつ戻りつする。

 黒い所が本来の住居で、しばらくの幻影を、元の儘なる冥漠の裏に収めたればこそ、かやうに間静の態度で、有と無の間に逍遥してゐるのだらう。

 画工の脳裏にうかぶのは生死の境という夢のことである。久一の見送りで、最後にかれらは、停車場へとおもむく。
 この境界性は、画工の意識にあらわれるときはいつも、唐突さ、偶然さという形態をとる。それは境界では、外部から現れるものは、内部にあるものと違って予測できない物だからである。

 端粛とは人間の活力の動かんとして、未だ動かざる姿と思ふ。動けばどう変化するか、風雲か雷霆か、見わけのつかぬ所に余韻が縹渺と存するから含蓄の趣を百世の後に伝ふるのであらう。世上幾多の尊厳と意義とは此湛然たる可能力の裏面に伏在して居る。動けばあらはれる。あらはるれば一か二か三か必ず始末がつく。一もにも三も必ず特殊の能力には相違なからうが、既に一となり、二となり、三となった暁には、他泥帯水の陋を遺憾なく示して、本来円満の相に戻る訳には行かぬ。

 という状態の端粛の意味での静は、動と静が分かれる以前の状態であり、厳密には静と呼ぶことは出来ない。ここから何らかの動がうまれる以上は、そこにすでに無数の生成的な差異が泡立っているはずであって、際だつものがなにもないからといって、この状態を平静とみなすことはできないだろう。
 このような状態の時、つぎになにが現れるか、予測することは出来ない。また、それがかえりみて必然であったということもできないだろう。状態として境界的であり、偶然性を本質とするこのようなありかたが、「草枕」の全編を覆っている。その意味で「草枕」は無時間的なユートピア文学というよりも、境界的な、非時間的な、揺らぐ緊張したあやうい均衡の物語なのである。
 さて、このことは、明確に、他方の特徴、ファルス的であるということとふかい関係をもっている。そのために、まず、坂口安吾の主張するファルスの概念を瞥見しておくべきだろう。勿論、ファルスの概念を使用する内在的根拠は漱石の側にはないが、美的なアモラルさの理念と、ユーモアの概念がファルスの概念に拠ることによって、より明確に関係付けうるようにおもわれるのである。
 きわめて単純化したいいかたをすれば、ファルスとは、「らんちき騒ぎに終始するところの文学」であって、人間的なあらゆる矛盾を、その混沌のままにえがきだし、肯定するものであるとされ、その空想的で、アモラルな点に美があるとされるもののことである。矛盾を解決することなく、矛盾のままに爆発させることによって、矛盾を矛盾としてえがく。ここで、漱石の、とくに「草枕」を一種のファルスであるとして読みを行うとき重要なのは、このファルスの矛盾した肯定性が、画工の理念とする、端粛と、意外に近いのではないかということである。また、画工は客観的に見た場合、那美さんによって笑い物となった僧侶と同様、一個のピエロの役割を果たしている。二人の関係が、正確にはいかなるものだとみなされるべきか、ということはさておいても、ちぐはぐで突飛な関係は、いいわけをしながら惹かれていき、しかし結局は心を得られないという通俗的な整理をしてみれば十分に間抜けであると呼べるのではないか。
 勿論、画工の姿勢も理論も、逃避的な側面と、ファルス的な肯定性の側面とで揺れ動いており、或る意味では、たしかに那美さんの表情に関心がうつるまでとまえとでは、レベルに違いがあるとさえいってもいい。しかしそのうえでいえば、画工と那美さんの誤解とすれ違いと深読みのドラマは、まさにファルス的関係であることによって、線的で継続的な「人情」的関係に陥らずにすんでいるのである。過剰さ(那美さんの挑発的態度)、あるいは過小さ(画工の非人情論)によって、かれらの関係は予測不能なものとなっている。たしかに表面上は、臆病な男女関係であり、何事もおきそうになく、そもそも、当時いわれたレッテルのように、これも「無恋愛小説」ではないか、といわれかねないのだが、この何もなさ、は一歩間違えば何もかも起き得たという鋭く危うい緊張の激しさにおいて、単なる淡々とした文人画の世界とは質を異にする。

 

 参考文献
 
 北村透谷選集 岩波文庫
 反復 キルケゴール 岩波文庫
 堕落論 坂口安吾 集英社文庫
 
 『透谷と漱石 自由と民権の文学』 小澤克美 双文社出版 1991/6/24
 『日本文学研究大成 夏目漱石氈x 平岡敏夫編 国書刊行会 1990/10/15
 『行為としての小説』 榊敦子 新曜社 1996/6/25
 『漱石論 鏡あるいは夢の書法』 芳川泰久 河出書房新社 1994/5/20
 『日露戦後文学の研究 上』 平岡敏夫 文巧社 1985/5/20
 
 「波動する刹那-『草枕』論-」 大津知佐子 成城国文学 1988/3
 「ナチュラリストは《外》へ出る」 永野宏志 国文学研究 1998/6