異邦人T
現実とは何だろう?
All That Cragy Question.
Paranoia quite equals Paradise.
I Wanna His Amaging Greece.
僕が彼に逢ったのは八月の暑苦しい雨宿りのことである。蒸す夜だった。車道は濡れそぼり闇の色にテカり、まるで鏡のようだった。雨は間断なく降り砂糖が入っているかのようにベタついていた。傘から漏れる滴を有り難く頂戴しながら僕は自棄になってニヤついていた。明かりが煌めいて、ガラス細工を思わせた。僕は夏の悪口を繰り返しながら目の前の本屋のひさし目がけて歩幅を広げた。
何万回となく繰り返した雨宿りだ。うんざりだった。
本屋は暗いのにご苦労なことにいまだに営業していた。
傘も持っていない不用心な連中がたむろしていた。
急に腹が立って僕は傘を傘入れに突っ込んだ。
そこで彼に逢った。
つまり、まあ、それを始まりに置こう。
名前とは何だろう?
Wo ai de Ni,jiao Tianzhong, shi shuei?
それだけのことだ。くだらない。
僕は部室の薄汚れたやにいろの黄色いドアを、そこにはニカラグアの革命のビラが貼ってあったが、軋むのもかまわず、というのは、それはいつものことだったからだ、あけた。
開けたドアは投げやりだった。
部室には→誰も?!い…な…か…っ…た…=からといってドアの不届きな態度とは関係ないのはたしかだ。
だれもいない海のような部室に仕方なく僕は座った。
といって部室に座った訳ではない。部室の退屈な椅子に座った。照明は暗かった。昼だが曇っていた。どんよりとステレオタイプに曇っていた。真っ黒に曇っていた。曇りのように曇っていた。血のように曇っていた。過去のように曇っていた。難破船の見た空のように曇っていた。曇っていた。曇っていた。
調子に乗るんじゃねえ。
田中は返事をしない。つめたいなあ。ぼくは振り上げた。
…僕はふられそうだ。僕は悲しげにつぶやいた。
僕は田中を待っていた。僕は絶望していたのだとひとは云う。木の古い椅子が冷ややかで堅かった。彼女は僕を見てもくれない。レポートも上がらない。進級もできない。金もない。下宿の契約は来月までだが、引っ越し先は見つかってない。探す気もない。家賃がない。それらは嘘だ。僕は笑った。ユカイユカイ。
……………………………………二時間…………………………………
日が暮れた。電気をつけると濃厚に血の匂いがした。勿論気のせいだろう。人間は激怒すると血を口に含んだような鉄の味を感じるというがほんとうであろうか。とにかく僕は田中を待っていた。
田中は毎日ここにやってくる。
とにかくそういうことになっている。
ライトが瞼の向こうで僕を照らす。
誰かが喋っている。
「もし夜が来るなら、
朝が来るはずはない。
朝という事象が夜と弁別される瞬間
すでに夜はある
夜が朝ならば
朝は夜でなくなり
それは本性朝なのだから
何の照明にもならぬ以上
オッカムの剃刀に従って削除されるべきである」
つまりかれはフランス人のエッフェルなのだ。
つまりそういうことになっていると聞く。
肩をこづかれた。上着をかぶせられた。
春の苑 紅匂ふ梅の花 下照る道に 出で立つ乙女
僕はやっと息をつくのかもしれない。
嵐が激しくなった。僕はジョン・ワトスンを招請した。かれの名がジェームスかどうか僕はしばらく迷って、けっきょくジョンということにした。彼は居心地が悪そうだった。キングズ・イングリッシュでドクトルは尋いた。何の用かね? 僕は答えを用意していない。
どうしようか。
アフリカの爆弾とは何なのか尋こうと思って、どうせ知るまいと気づいて僕は質問を変えた。
田中って誰なんですか?
手錠は僕の手には堅すぎる。警官は真摯に尋問を続ける。かれらはいつもそうだ。
博士は反問する。
田中とは誰なのか。当然ぼくは言い返さねばならない。それが論理的手続きというものだ。知らない。そこで博士は再度反問するそれが三段論法というものだ。何を知らない? そこで僕は何を知らないか知らないことに気づく。
では何を知っているだろう。博士は尋く。名前は。田中弘。いな。それは非科学的だ。
やり直し。私は彼が田中弘と名乗るのを何度か聞いた。
まだ不正確。博士はまゆをひそめる。
彼とは何をさすのかね? 全く昨今の学生は。
彼とは、私が某日某時に某地で見た人物です。
博士は満足してくれない。
彼の同一性の科学的根拠は?
かくてオッカムは非情な剃刀で田中を剃り落とす。
したがって田中はもういない。
それが弁証法というものだ。
そして驚いたことにそれは可能なのだ。
ワトスン君。きみはいつもゲッチンゲンの大学で電話作りに精を出しているんだね。最近は細胞の進化に関する本を書いたそうじゃないか。今度は契約を結ぼう。
三平方メートルが僕の世界だ。蜘蛛女が笑う。耐えられないなどと死ぬほど月並みなことはいうまい。床が冷たいのが唯一の不満ではあるがそんなことは知らない。
昨日田中に会ったぜ。友人が云った。二年前のことだ。そう書いたのは三年後のことで、それは明日のことだ。それで僕は一昨日彼が田中を見たという食堂に行ってみた。それからも僕はよく田中に会う。みな特徴はことなるがどうせ田中なのだから変わりはない。この世は田中にあふれている。だが田中はいない。
田中はもういないのだから当然だ。
ゆえに記号論理は証明される。
何という美しさ。
ナガラエバ シノブルコトノ…
それから僕は一日一人づつかみそりで消して行った。こうした几帳面さはヨーロッパではよく見られることだ。
いまでは誰もいない。
まあ、そういうことだ。
囚人は理路整然と話すと聞く。
あなたの意見は?
ぼくはあいしていましたよ。
1994/09/19 For Fanatic Readers
Que Cherchez-vous?
Das Ende.