車中、ぼくはずっと憂鬱だった。
憂鬱? 何故だろう? ふるくさい寝台列車はぼくを故郷の街へとつれていく。
この街には、ふるさとのイメージに似たなにものもない。
まるで、滅びた帝国の、風にさらされた廃墟のようだ。
この街は、ぼくが育っていた頃から、埋め立て地ばかりで、そこではずっとコンクリートと鉄による巨大建築の建設がつづいていて、団地や工場がふえていく。
植民地みたいだね、と母にいったら、母が涙ぐんだことがあって、そのときくらい、ぼくが驚いたことはなかった。
車中、一匹だけ蛾が車内にまぎれこんでいて、気になって仕方なかった。
蛾は、忘れていると、見えなくなって、探すと、みつからず、でも、また忘れているとあらわれて、そしてやっぱり、恐らくは同一の蛾なのだった。
ぼくは自殺しにかえるような妄想をいだいて憂鬱だった。
故郷は海岸と、それに迫る山地のあいだのごくごく狭い街道筋の平地にできあがった土地なので、すぐにひとけのない、荒涼とした山にも、見捨てられた海岸にもいけた。かんがえてみれば、緑はいつも暗い鬱蒼とした物凄い威儀ある静けさとひとつであり、海岸は、砂漠のような荒廃と漂着物の印象とひとつで、のどかな田園地帯は、うそのように狭い部分でしかなかった。そしてその少ない田園はつぎつぎに工場と団地におきかえられていくのだが、その平穏さはもともとたいした勢力をもっていたわけでもなく、まるでそのことに哀惜など感じなかった。いつも田園はぼくに、ビニールハウスのような虚偽のかおりを嗅がせる。
幾度かゆめうつつのように乗り換えると、もう駅についたときは暗かった。
電話を一本入れて、タバコに火をつけた。
すると急にぼくは、その森へいきたくなった。
森と云っても、ふつうは、ヨーロッパの平地の森のように境界があるわけではないから、山と云った方が正確なのだが、そこのことを、とくにぼく森として記憶しているのは、それが四囲をフェンスで囲まれて、飛地のようにして、かつて山地であった開発済みの地域にのこっている森だったからだった。
駅からそう遠くはない。あるいて充分いける。ぼくはコンビニでまず懐中電灯を買った。
森になにがあるというのか、それは曖昧で記憶もぼんやりとしていたが、そこにいきたいという気分は強烈だった。
森の入り口は、相変わらず、横に雑にわたされた丸太で閉じてあった。なかは完全な暗黒で、だれがひらいたのか、一本、軽自動車ならとおれるくらいの道がそのなかへ続いている。懐中電灯をつけて、丸太を乗り越えた。
歩き出すと、洞窟をあるいているようだが、しかしまわりの闇からはかすかな鳥の身動きや声が聞こえてくる。ぼくは憂鬱ではあったが、どこか、せかされるような気分でもあった。
この道はなにかに通じていた。ぼくはたしかにそれを憶えているらしかった。
上京以来、一度も帰っていない故郷で、ぼくは子供のような真似をしている。
草を踏みにじりながら、ぼくはひたすらに暗闇をあるいた。
ますます静けさが、水位をましてきた。
懐中電灯をまえに向けると、なにか黄色いものが見えた。
駆け寄ってみると、工事用のハードルみたいなものだ。虎縞がかすれている。
なんだと思い、そこで目をその向こうに転じると、
黒々とした、大きな、深い、沼が、そこにはあった。
ぼくはその沼を見たとき、まったく理由の分からない畏怖と感動に襲われ、どうにもしかたがない気分だった。この鏡に似た不気味な沼には、なにかが眠っていると、ぼくは思った。
そしてぼくは急に、殴られたような鮮やかさで、母のことを思い出したのだ。
そう、それはイメージだ。一瞬の、幻想にも似た壮麗なイメージ。
母は、ぼくの母を辞める数日前に、ぼくをこの森につれてきた。七つの時だった。
普段でも呼んでいるようなこの森が、なおさら謎めいて見えた。
この沼の前までくると、母は、ぼくに、泳ごうといった。
さすがにそのときのぼくでも不審におもったけれど、泣き出すことすら憚られるような真剣さに逆らえなかった。
服の儘で、飛び込むというのでもなく、母はぼくを抱きかかえて、足を水に踏み入れた。
胸元に抱きかかえられたぼくもなかば水に浸されて、思わずそらを見上げると月が浮かんでいた。
舞へ舞へ蝸牛 舞はぬものならば
馬の子や牛の子に蹴ゑさせてん 踏破せてん
まことに美しく舞うたらば 華の園まで遊ばせん
そのまま、母はずっとそのさきの一歩にためらってたちつくし、ぼくはやがて寒さと不安で泣き出した。
すると、母は、ぼくを見つめて、見まがう筈もない、瞬間の憎悪の表情を浮かべた。
ぼくはその恐怖に凍り、永遠のあいだ、どうしようもない叫びをうちに感じていた。
突然、鴉が鳴いた。
そこで、彼女は急に表情をやわらげ、泣き出した。
結局、それからしばらくしてぼくは母に連れられて近くのホテルでシャワーを浴び、翌日、家にかえった。
大騒ぎになったはずだったが、不思議とそれからのことは憶えていない。
母が幼い息子と留守をしただけなのに、警察に捜索届けが出るところだったという話だった。
けれど、ぼくの記憶にはあるはずのない鮮やかな記憶が刻まれている。
その壮麗な記憶は、この照りわたる鏡のような沼をかがやかし、おそらくはぼくを呼んだのだ。
ながれたときをすべて、なかったもののようにして。
沼の中央に、何故か、真っ白な裸体の母は、両手をだらしなく広げ、
死骸のように、目を剥いて、ゆるやかに、水のなかに漂っている。
母の浮かび漂う裸体のまわりには、さだかではない、黒いなにかが、
あつまり、まるでそのからだをいけにえとして、貪ろうとするかのようだ。
天には異常に鮮やかな月がかがやき、母を照らし出す。
そして、そうだ、蓮の花や浮き草やなにか白い花びらが、そのうえに、
どこからか祝福のように降り注いでいてそれをぼくは、
息をとめられるかのように、首を絞められるかのようにいきぐるしく、
魅せられてひたすらに見つめている。
ぼくはいつか懐中電灯をけして、沼をみつめ、
放心して、帰路のことを、忘れる。
なぜか、あのときの、憎悪の眼のはげしさが、傷のように恍惚をまねく。
明日、ぼくは彼女の墓石をさがしに行く。