飛ぶ狐
……ぼくの友人が先日、こんな話をしてくれた。酔っ払っていたらしかったが、不思議な酔余の明晰さとでも云うべきものを伴って、彼は居住まいを正して居酒屋の座敷でコップ酒しながら語ってくれたのだ。
狐が一匹或る山に棲んでいたのである。呑気な奴で世上の患いなど知らずに仲間付き合いを避けて自適の生活をしていたのだ。ことによったらもう仙人への道はさほど遠くないと自惚れていたかもしれない。処が或るきれいな満月の夜に、狐は一匹の白鶴を見たのだ。白い羽が夜空を後ろに二三度、何とも艶に羽ばたいて丘に憩いを求めている。嘴は高く月を望み、地上の四つ足どもなど忘れ、ゆるやかに透明なうすみどりいろの風のながれになぶられている。狐はこの白鶴を見て、どういう弾みか劇しい懊悩に見舞われてしまったのである。草むらから何の気無しに狐が出て来て見ると、ちょうど白鶴が飛び上がろうとする、スローモーションのあざやかな眺めがぱあっと開けた情景のなかに狐を巻き込んだのである。しんとした奥山にこんなひらけた場所があったのも我が庭ながら狐には意外であったが、この情景は狐にはどこか体内の底の底の方から引っ張られるような痛みを与えた。惚けて打たれて、狐がようやく気を取り直したときには、その物音に驚いて白鶴は星々の水面へと飛び立ってしまっていた。その小さくなって行く姿を追いながら、狐は大きく息を吐き、蟋蟀の遠くからの如く鳴く草むらにぺたりと座り込んで、魂は潰れたか或いは透明になりその薄皮が破けたかして、限りなく我が心のうつろな容れ物と化したことを感じたのだった。
俺はなぜ飛べないのだ。この黄色い皮はどうして破り脱ぎ去ることができないのだ。ああ。俺はなぜあの月へ行けないのだ……
狐は思わず知らず目の前の地面を前足で無茶苦茶に掘り、血の出るまで鼻先を埋めながら掘り続けたのだった。
しかし、無駄なことは無駄だ。彼は呟いて一杯やった。
それから数日して、山にこういう話が囁かれた。狐が物狂おしいような目で、しかし無理にも子細らしい顔をして鳥の羽を買い求めているというのだ。白い羽根、殊に鶴のものならば大枚をも辞さないのだという。どこから出回ったものか、或いは狐本人が出所だったのかもしれないが、狐が白鶴に狂うたのだということを知るものなどは、まさかあの利口であくどい奴が、本当に飛ぶ真似をしはすまいが、思うよすがにでもするのであろうと云うものが多かった。しかし狐は、本当に空を飛翔するつもりであったのである。そして、狐は、必ずしも恋に盲いていた訳ではなかった。獲物をすべて交換にして必要なだけの羽を手に入れると、狐はつぎに仲間の墓を暴いて軽くて丈夫な骨を求めた。幽鬼のようなその有り様はしだいに親しい知己を遠ざけ、狐は死んだということさえ囁かれた。白鶴を見た丘に座り込んでくる日もくる日も狐は骨を組み立てて翼を作ろうとした。狐は白鶴がいつか帰ってくると信じ込んでいたのである。そして満月が巡ってくると、決まって何処とも決めず憑かれたように山中を走り回るのであった。そうしていくうちにだんだん狐は軽くなって行き、このまま浮かび上がれるのではないかと錯覚したことも一度や二度ではなかったが、そのたびにしたたか全身の痛みに襲われ、穴蔵に遺棄されたように眠らねばならないのであった。そうして何度目かの満月の夜、狐はついに翼を作り上げた。
丘から狐は崖へと走り、翼を四つ足に不器用にくくりつけ、澄んだむらさき色の夜風へと身を託して飛び上がったのである。狐は飛び上がった。確かに狐は飛んだ。皓々と射るごとく天の底に差し込む月明かりのなかで、汚れた黄色い皮をまといながら狐は飛んでいた。高く高く風の上を舞いながら、狐は必死で飛び続けた。四つ足の足掻きは絶え間無く狐の体力を絞り取り、ますます透明にかなしげなひかりをたたえる顔はしかし少しも窶れを見せていなかった。
そして、狐はふと、墜ちた。出来損ないの狼のように鳴いた。
狐がはたして白鶴を見たかはさだかではない。見たかもしれない。だがもはや狐はそのとき白鶴ではなかったか。いや、そのことさえ狐が墜ちたことに比べれば大したことではない。飛ばなければ墜ちることはできない。墜ちた狐は崖の下に叩きつけられ、汚い皮袋と見分けがつかなかった。しばらくは見窄らしく命をとどめ、見苦しく生を求めて、飛び上がろうとしたものの誇りの陰もなく悶えた。果てることのない苦悶の中でなおも生きたいとだけ念じながら狐はついに死んだ。雨と風が死骸を洗い、すっかり狐の叩きつけられた岩を晒してしまったが、その岩はずっと残った。
きれいな話だろう。自嘲するように彼は云うと、泣き出した。あほくさ。ぼくは迷惑がりながら一杯干すと、なみなみとコップに酒をまた注ぎ、ほとんど自分が何をしているか意識しないで彼にぶっかけた。
そして帰って一晩中飼い猫と戯れていた。
飛ぶ狐の足掻きには何処か愛らしいところがあるかも知らない。