残骸の月
 
 どうしても不可能なことは何かと考えていた。たくさんあるけれど、それはどうしてもできないことではなくてどうしてもさせてもらえないことで、どうしても条件がととのって、しいられてさえいるのにできないことは何だろうと考えていたのだ。そんなことを考えているのはだいぶ変わっているといまも思う。ひまでやることがなくて誰かやなにかにいろんな形でやることを妨げられてただぼんやりとしている他のない、そういういまだからこそそんなことを思うのかとも考えてみる。
 枯れ葉が頭のなかでずっと降っているのだ。どうして降っているのか、降り積もっていっぱいになったらどうなるのか、どこから降ってきていて、そもそもそれはほんとうに枯れ葉なのかということは怖くて考えられなかった。枯れ葉みたいなものはあかるい黄色とまだらな赤とわくらばのようなみどりと黄色の混じり合ったマーブルなものとでなりたっていて、頭のなかでおとは全然立てずに、降って降って、いまも降っているのだ。
 座敷牢というのだろうか、こんなふるくさい言葉を覚えたのは自分の置かれている場所のことをしりたいとおもっていたときのことだった。足下には畳が敷いてあって、その畳は青くまあたらしい匂いを立てていてどこか精液のようでさえある。がらんとしたうすくらがりにわたしはすわっていて、つくねんと天井をみたりしようものなら、蜘蛛が一匹華やかな巣を張っていてわきわくとあしをうごめかすのが見えるように思えてならない。あの蜘蛛はこちらのことをどう思っているのだろうか。残酷な女のようなあざやかさの印象を粘つく真っ白な巣になげかけている彼女のあられもない姿態。この部屋はいつまでたってもわたしのせいでなれた人間らしい雰囲気にはならず、誰もいない風の通る物置のようで変わらない。糸埃ばかりが西部劇のなかで荒野を走るなにか枝のまじりあった塊のように繁殖している。いつも、どんな場所でもいきものがいるところには脂じみた滑らかさがいつのまにかうまれてきてしまうものなのに、ここにはそんな親しみがやってこようという気配もない。
 ここはどこなんだろう。当ててごらん。
 誰だってこんな場合になれば自問自答もしようというものだとはおもうけれど、こんな意味のないことばかり考えていてはそのうち自由になったときでもダメなことばかりしか考えられなくなっていそうで顔をくしゃくしゃにして困ってしまう。いったいなにしてるのだろう。
 一日にいっぺんだけ、部屋の隅の壁、床から三十センチくらいの高さにある横に開く押入みたいなドアがあいて、たべものが入ってくる。たべものはそのドアのむこうにある押入のような小部屋に入っているのだけれど、その小部屋は這ってもはいれない天井のひくさとせまさで、おくにまたドアがある。隔壁みたいになっているので、誰が入れているのか分からないでいる。気合いをいれて探索というか探求というかしてみれば案外なにかみつかるのかもしれないが、そこまでして別に事を荒立てたくないという気分が先に立つ。
 食べ物はパンのようなものと牛乳のようなものだ。ただ、考えてみれば食べ物というラベルがあるわけではないので、わたしが日に一度、監禁されている人物にあたえられるものといったらたべものに違いないと決めてかかっているだけなのだ。入れているものがそういうつもりかどうかということを詮索しはじめたらきりがない。だからわたしは最近いろんなことがうるさいのだ。とりあえず、たべものの心配はないと、そんな風におもいだしている。
 真夜中になると窓から月がさしこむ。きれいだと手放しでいつもくちをぽかんとあけて見ている。月はどこの月かわからない、わからないなりに鏡みたいにこちらを見ている。月のなかになにかおおきな水晶がうめこまれていて、月はそれを覆うおおきな卵なのだと考え出してみる。そんなことをしているといつのまにか眠っている。
 真夜中に眼をさましたような気がしていつも眼をさます。真夜中に眼をさましてなにかしたような、けれどそれがなんだかわからない、そんな感触のみなれた遭遇で目が醒める。朝はいつもひどく退屈だ。気味が悪いくらい何の音もしない。小鳥の声が都会でも朝にはするものなのに、何の音もしない。そういえば、壁の向こうにはすくなくともたべもののようなものをもってくるなにかがいるはずなのに、その気配ですら耳を澄まして気をつけていた頃にもしなかった。
 ある日の真夜中、本当に、目が醒めた。月がしろく部屋を照らし出していた。真っ白だった。雪が吹き込んだようだった。だがそれよりも異様だったのは音がしていたことだった。声ではなかった。太鼓のような、何かを叩くような、重くドーン、ドーン、ドーンとひびく音だった。それはずっと続いていた。ばかげて単調だった。きこえてくるのは、窓のあるほうではなく、壁の側だった。窓は天井近くにあって、外は月の他はみることができないようになっていた。太鼓のようなおとはやがて唐突にやんだ。
 何日も、それが変化のきざしに違いないと考えていた。しかしなにも起こらなかった。ずっと、そのようなことはもう起きなかった。何だったのかずっと考えていた。誰かがわたしのことを巡ってあらそい、なかまに処刑されたのかと考えた。あるいはそれはある周期でおこなわれる何かの儀式か自然現象で、なにも特別なことではなかったのだとも考えてみた。
 その間にも枯れ葉が頭の中で降っていることだけはかわりがなかった。
 もう、このままでもいいような気がしていた。
 気がつくと、ひとりごとをいっている。独り言をいっているわりには自分でなんていっているのか分からない。宇宙の言葉でも喋っているような気がしている。でたらめな独り言なのだけれど、それを聞いている、そして理解して、会話の相手になっている何かがいるような気もして、なんだか一方的にはやめられないようなへんな義務感まででてきた。独り言はたいてい窓にむかっていうのだが、その窓は空か月かだけをうつしているのだった。真昼の月は月の影のようであいてにしていると幽霊をあいてにしているみたいな気になってくる。空は深い深い青い井戸をみているようでたましいが抜けそうになって、わたしはいつも危ないとおもって見るのをやめる。太陽だけは窓からのぞけることはない。いままで一度もなかったのだ。そのことから位置がもしかしたら分かるのかもしれない。
 しばらく、かんがえることもなにもなく独り言をでたらめにくちにしていると、ひどくいやな気分になってくるのが分かった。空気が足りないような、それよりもなにかに囚われて、からみつかれて、解きほぐすことができないという、イライラするしまりのなさというか、解決のつかなさとでもいうべきものが気になって気になってしようがないのだった。自分がへんに満足してどこかにいこうとしているような、そういう怒り、そう、強烈な対象のない、それでも、あ、わたしはひどくはらをたてていたのだ、という気がつきがわたしを圧倒したのだった。
 じっさいなにもかもが腹が立って仕方がなかった。けれどそれらのどれひとつとしてわたしが本当はおこっている相手ではないのだということはひどくくっきりと鮮やかにわたし自身にはしれているのだった。
 やがて、怒りがにせもののような気がしてきて、毎日がどこか過ぎていくのをまちのぞむ退屈の象徴のようにみえてきた。だから、ただ月が部屋にさしこむのを見ること、より正確には月の放射するひかりをあびて呆けることだけが待ち望まれる出来事になっていった。そのときだけは、何かがおきつつある、何かが生成しつつある、なにか不思議の分子たちがそこでわき上がってきて、舞いつつ、乱暴にぶつかりあって、なにかまだかたちを表さないものを形作ろうとしているのだという妄想にわたしはふけるのだった。
 ある日、部屋の変化ばかりを退屈してさがしていたわたしは自分の躰のことを思い出さずにはいられないことにであった。肌がひからび、とまでは、いまだいかないものの乾燥し、場所によっては薄い筋が、ちょうど剥がれ落ちる未来を予告するように走っていた。全身に蜘蛛の巣は這っているようだった。
 どうしても、そのひび割れが、何かを予告する文字のようなものにおもえてならないということだけは、ともかく否定することができないように思えたのだった。
 その夜ははやく床についた。
 ふと、夢の中で、わたしは糞便や躰の汚れや布団や着替えその他うまれてくるわたしの汚物たちをどのようにしていたのだろうと疑いを起こしてしまった。それは夢の中のことで殆ど漠然としたおもい以上のものではなかったのだが、そのことを追求するのはあまりにも恐ろしいような気がしていた。怖れはちょうどわたしの月への愛に似ていた。けれどその怖れはにせものであるような気も、一方ではしてならなかったのだ。
 目が醒めると、目の前には一枚の枯れ葉が落ちていた。
 どこから吹きこんだのだろう。