そして、いくつもの幻が吹き寄せる

　＠１

　「でさあ、夢とかおぼえてたりとかする？」
　「しねーよ。ていうか返してくれ、免許証」
　「ほら、切符。毎度どうも」

　「いつも、デート、部屋だね」
　「外行ったってつまんないじゃん」
　「ていうか、やっぱり、もう、するんだ」
　「いいから、いいから」

　「お別れぐらい水泳着はやめて」
　「だってここプールだし」
　「せめて、足ヒレははずして」

　「いい加減、ひきのばすのはやめてよ」
　「……そんなつもりじゃなかった」

　「結局そんなつもりだったのね」
　「やっと分かったか、はっはっは」

　「歌、好き？」
　「人間の声はきらいだ」
　「……」
　「だからって、返辞ぐらいしてくれよ」

　「ぼくが断崖で落ちそうになってたらきみどうする？」
　「線香は欠かさないわ」
　「そんな話はしてねーよ」
　「……わかんない」
　「真顔で云われると、余計、いたいよ」
　「文句、多いわよ、あなた」

　「どうしてひとを殺してはいけないの？」
　「ゆるして、お願いです、助けてください」
　ぱん。

　「泣いたことなんてないよ」
　「すんだら帰って」

　「存在しない手の感覚があったりするんだって」
　「じつはさあ」
　「なあに」
　「さっきから翼がかゆいんだ」
　「あたしもよ」

　「きらいなものをひとつだけ教えてくれ」
　「再会ね。で、あなたは？」
　「再会のきらいな女」
　「ばかじゃないの」
　「うるせえ、はらみ女」
　「できるものならあなたもなってご覧」

　＠２

　（BGM　"All Along the Watchtower" Bob Dylan）

　流しからネズミが出てきた。
　しばらく話し込んでいると、彼女が来た。
　二人連れでドアから戻ってくると、ネズミはいなかった。
　彼女が帰るのを駅まで戻ってくると、ドアのまえにネズミがいた。

　ネズミが流しの中に案内すると云った。
　流しの水道管にはいると、なかには白い花をつけたつるくさが蔓延って明かり代わりになっていた。
　ネズミが急にふりかえって、そのぎろぎろした目でこっちを見た。
　「愛と云うことをご存じですか」
　陰鬱な口調で云うことではないと思った。
　「花をくさらせたことがあるよ」
　このはびこる白い花に似ていた。
　「愛していたのですか」
　ネズミはひどく沈んだ口調で訊いた。
　「どうしてもにおいがとれないんだ」
　ネズミはまただまってさきをいった。

　つきあたりの下水の泥濘の中に汚れたトランペットが沈んでいた。
　ネズミはそれを素手でへどろからもちあげて、不器用な手で洗い始めた。
　つるつるとすべって、何度も取り落として、どうしても汚れが取れなかった。
　「どうして＊＊＊が欲しいのですか」
　ネズミはけんめいに、かなわない努力をしながらたずねた。
　「どこかに欠陥があるんだ」
　風がどこかへ吹き抜ける音がした。耳鳴りのようだった。
　「恐れていて、ゆるそうとしても、傷むのですか」
　「たねを、さがしてるんだ」
　ぼくはネズミをおいてひとりで流しを出た。

　何度も、＊＊していると云おうとして、言葉が凍り付いた。

　海のそばをどこかへいこうとして歩いていると、海への排水溝から、ハトがあらわれた。
　「ネズミは死んだよ」
　ハトは、電柱まで飛び上がると、そういった。
　「トランペットをなくしたんだ」
　ハトの羽は傷んでいた。
　「鳥が地下にいて平気なのか」
　ハトは空の遠きをみた。
　「ここまでしか、飛べないのさ」
　波が抗うようにざわついた。
　くりかえしくりかえし、うち寄せるひびきがした。
　「まだ、花は咲いているかな」
　「もう、＊＊＊さ」
　ハトは風の吹いてくるさきを眺めた。
　「何も、きこえやしない」