川下り
一
皆瀬川を筏で下ろうといいだしたのはヨシノブが下校途中にある田圃に雨蛙めがけて石を投げつけたときのことだった。雨蛙のぎゃっという悲鳴がはじけるとともに、筏ば作らんや? という言葉は思いがけない戦慄と予期をぼくにもたらしたのだった。ちょうどまさに蛙を打ち殺したツブテのように致死性の速度で。ヨシノブの横顔は九州地方の明度の高い紫外線をたっぷりと含んだ日差しでタールのように焼け、ぼくらのうち誰ひとり知らない不思議な椰子のはえる王国から、奴隷船に乗って連れてこられた英雄神のようだった。仲間を押し潰された恨みからか雨蛙たちがいっせいに騒ぎだし、そのいやしい合唱はぼくに卑しさという観念にたいして明晰な定義づけを与えているように思われたのだった。水の匂いが年老いた母親のような親密さでにじり寄り、足の裏では泥で汚れたスニーカーを通し、角ばった砂利たちが痛みを通して自己を主張していた。大地が手荒に愛してくれている、と不意にぼくは感動して、ヨシノブにタケルがどう答えるだろうかと待っていた。南中した太陽は王者としてその霊威を空にほしいままにしていた。理科の竹井は教壇からいつも革の教鞭をふるって、世界と自然についての知恵をまるでそれが何の役にも立たない法律の条文であるかのように教えていた。ぼくらはあの枯渇して瑞々しさをうしなった豚の尻尾のように短い教鞭のように、竹井も自然がそのまま感動させる《共振》を秘めていることを知らないまま乾ききってしまったのだと考えていた。太陽が放射するあまねき波長の電磁波はあらゆる色彩とともにやわらかで母性的な赤外線と衛生的な殺意に満ちた紫外線を秘めている。王者の冠はあらゆる色彩にいろどられながら同時に慈愛と殺戮に飾られねばならない。そして放たれたひかりは目に見えないながらあらゆる場所でダンスするように乱反射して、やがていやいやのように減衰して行く。ヨシノブがその日焼けを通じて王の主権を譲られたとすれば、タケルはあらゆる色彩によって飾られた宮廷道化だった。かれは神聖なものという観念をみとめないかわりに、卑賎なものという観念もまったくみとめようとしなかった。彼は謹みとか誠実さとかいう言葉をしらなかったから、信用されるということだけはなかったのだが、そのためにこそ、という訳だったのか、いまだにぼくには理由の分からない秘密のつながりによって、この対極のようにみえる二人は全く対等の立場で結びついていた。
皆瀬川ば海まで下れば、鍋島まで行くやろ。サトルんちに泊まるていうとけば、二日ぐらい掛かってもばれんけん。顔色を薔薇のように柔らかく紅潮させながら表情はにこりとも変えずにヨシノブはつづけた。サトルんちの両親はかまわんでもよかもんな。いつものようにタケルがぼくの両親のことを滑稽な金持ちとして茶化さなかったのでぼくは意外だった。タケルは難しい数学の問題を解いているような厳粛な顔付きであらぬ方の電柱を見つめていた。うん、よかけど、ぼくが口ごもるとヨシノブが意地の悪そうな顔をした。なんや、怖じけついたとや。筏で下るとなんてテレビでもようやっとるやっか。あげんと何でも無か。わいだけ(「わい」というのは「お前」、という意味である)行かんでも良かとぞ。ぼくは自分の不安が正当なもので、大人たちのだれもが自分の側に立つだろうと考えていた。そして、その為にこそ怯懦、という濡れ衣をぼくは否認することができなかった。この日焼けした奴隷出身の若神にたいして理を説くことのぶざまさと空しさとを思うにつけても、そして、かれらにたいして自分が仲間である、ということを立証するためにも、ぼくは敢えて不合理の側に立たねばならないのだ、という不思議な信念がぼくのなかに芽生えていた。その意識的な転落という観念は、いつも戦慄を伴って目の前にぶら下がっていたのだ。しかし、それを何処までなしうるかぼくにはまだ分かっていなかった。不合理がうつくしく、正当なことが醜いという捩れがいつもぼくを幻惑した。と、同時に、ぼくは誠実であろうとしたのだ、と強弁することもできるが、むしろぼくには自分が目に見える形での免罪符を手に入れようとしていたように思える。分かっとっさ、とぼくがいいかけたとき、それまで沈黙を守っていたタケルが、確信にみちた口調で話しだした。
どうせやったら、上がってから佐和の森まで行かんや? あすこの神社に旗かなんか立てて来たら面白かやろ?
後になって分かったことだが、この記憶の、皮肉な意味では幻想的な記述と再構成の作業に於いてぼくもずっと時が過ぎてから物語の肌理にそれになるべくふさわしい色彩と文様を以て編み込むつもりではいるけれど、佐和の森にはタケルなりの、魔術的な、というよりもむしろ呪術的な意味があったのだった。どんなものでも茶化しつづけながら、あざ笑うということだけはしなかった彼が唯一心に秘めていた内心の混沌が、その森を巡ってあらわになるのだった。
しかし、ぼくは急ぎすぎたようだ。
ボヘミアの川よモルダウよ
過ぎし日のごと、今もなお
若人さざめくその岸辺
緑濃き丘に
歳経りし
古城は立ち……
遠藤が来ている、と封建制度千年の重みに強いられた(或いは、武装した、がただしいかもしれない)無感動さで告げたのは女中頭の昌子サンだった。表面の皮膚の後ろ側であざ笑われているような気がして、ぼくはこの忠実な召使という事務的な態度が嫌いだった。ぼくはつかえられ、心配されるというのがいやだった。御蚕ぐるみで、誰もがぼくを赤ん坊のまま成人させてしまおうと悪意をもってたくらんでいるような気がしていた。いつもぼくはある日突然、着の身着のまま電車に乗って都会へ出て行くことを夢想していた。見知らぬ土地で無名のものとなってはじめて孤独を享受できるようになるのだ、というのがぼくの愛するイメージだった。それは人間の本性にもっともふさわしい在り方のように思えた。永遠の離別と匿名性、ちょうどかつて傭兵たちがどんなに親しくなった戦友ともやがて別れ、二度と会うことがなかったように、ぼくは群衆の中の匿名性を欲して止まなかった。だからぼくは後年上京の長距離列車の中で、はじめて味わうはずのその完璧な匿名性と、いまこの瞬間はいきなり気を変えて何処かまるっきり別のところに行くこともできるという、不確定性の、つまり境界線上の存在であることからくる無限定性の感覚に、まるで幼いころからそれに慣れ親しんで来たかのようにゆったりと浸りこんだのだった。その瞬間、ぼくはそれまでの限定から逃れ、ただ、世界のなかの何物でもありうる、ひとりの匿名の存在だったのだ。誰にも待たれていないというのは、懐かしく、不安で、それゆえに慕わしい自由の感覚だった。
遠藤玲子はぼくのクラスの委員長で、世に知られない名匠がその魂を悪魔に売ってつくりあげた完璧な彫刻のような容貌とそれにふさわしい意志をもった女の子だった。彼女の意志はひたすら義と美に向いていた。そうだ。だからぼくにとって彼女は剣呑な委員長であると同時にとても不思議で魅惑的な相手でもあったのだ。彼女にとって正しいことと美しいことは分裂していなかった。彼女の聡明さは理屈を弄ぶことには向かず、専ら意志的な倫理を見いだすことに向けられていた。遠藤はぼくにとって、存在じたいがひとつの「問い詰め」だった。そのものもいわずみつめる目も、すらりとのばした首筋の細さと繊細さも、足取りの滑稽なまでに注意ぶかい優雅さも、誰かに間違いを指摘されて認めるときにぱあっと炎のようにひろがる紅潮も、すべてがぼくの賛嘆と畏怖の的だった。じっさい、ぼくはいまこれを書いている現在に至るまで、彼女の散る間際の桜の花びらのように白い肌にまたたくまに魔法のように紅潮がひろがる様子にまさるほど、うつくしさに於いてひとを魅するものに出会ったことはないのだ。彼女はぼくに、ひとは激怒に対してさえも魅惑されるものだということを教えてくれたのだった。
ぼくは昌子サンにカバンを渡すと、音のするような緊張のなかでぎこちなく遠藤の待っているという応接間に向かった。玄関から応接間まではたいして離れていない。比較的新しく建てられたこのぼくの住んでいる建物は、両親のいる棟のように歴史の重苦しさにはひしがれていなかったから、両親に呼ばれて、あの蔦に侵略された、採光のわるい洋館におもむくときのように、身長が縮められたような威圧感を感じることはなかった。ただはりつめた空気を通じてぼくは遠藤の存在を感じ取り、空気の揺らぎや、廊下の軋みなどを通じて彼女とすでに対話しているという感覚におののいていたのだ。ぼくは遠藤がうちに来るという理由を少しも想像できなかったし、仮にも彼女がわざわざ男子の家に、しかもぼくのように目立たないクラスメートのうちにやって来るからには、相応の理由があるに違いなかった。そしてぼくは彼女がもって来るような真面目にならなければいけない対話にたいして、魅惑されるとどうじに怯えていたのだ。ぼくはほかの誰にもまして彼女のまえでは見苦しいさまを見せることに耐えられなかった。
「やあ」
ドアを開けると、遠藤は応接間の不釣り合いに大きなソファにうずもれて、客用の硝子の灰皿を見つめていた。居心地が悪そうではあったが、それは彼女の、ただ、目によって知ることができるにすぎない内的決心によって覆い隠されていた。こういうたとえを許していただければ、彼女はそのときあかあかと隠された火の灯されたランプだったのだ。それは自己保存などには顧慮なく燃え立つ、観念と情念の見るも息を呑み立ちすくむほどの火焔であり、純粋さゆえの図らざる過激さによって自分自身を焼きつくしかねなかった。しかしこれらはみな彼女の描写ではなく、ぼく自身の彼女を前にしたときの感動の記述でこそあるかもしれない。
「こんにちわ」
彼女はぼくを認めるといきなり立ち上がり、礼をしてすぐ座った。ぼくは彼女のワンピースの私服の姿に目を奪われた。ぼくは戸口でそれ以上進む決心がつかず、ドアに片手を掛けて、どうしたのかと尋いた。質問に遠藤はせつな視線を泳がせたが、手元を見てから、意を決して口を開いた。ぼくはそれをうつくしい楽器のようだと思ってみていた。
「夏休み、桐宮くんが転校したでしょう。……でも、ただの転校じゃなかったの」
遠藤は言葉を切り、ひたむきに表現を暫く探していた。それは熱心に彫刻をする幼い子供のような集中ぶりでどこかユーモラスだった。
「させられたの。サトルくん、それでね。どうしてかというと……子供がね、できたらしくて」
彼女が子供と発音すると、アモラルなはずの出来事もとたんに美的な性格を帯びた。ぼくは少しも茶化すような気持ちにならず、起きたことをただ起きたこととして厳粛に受け入れる彼女の態度に感化されていた。出来事の重さは、それを茶化す精神の、そしてそれを茶化すべきものとしてパロディ化するものの脳裏に浮かぶ誇張され一面化され意味付けられた幻想の軽薄さを、古い黄ばんだ写真のように色あせさせ、ぺらぺらと剥離させるに足るものだった。ほかの誰かから聞かされたのであったら、ぼくはもっと、にやりとでもし、あやしげな想像でもしたに違いなかった。しかし、有り触れた出来事がそうであることと何のかかわりもなく担い切れない強度を持つことがあり、今はそういう事態だった。
「マコトが……え、妊娠ってこと?」
ぼくはただ緊張から息継ぎ、句読点としていわでものことをきいた。いい代えさえすれば、出来事の確実性が増すとでもいうように。彼女はそうしたささいな心理の波瀾には顧慮しなかった。
「そう。で、ほら、桐宮くんと、村井さんが付き合ってたでしょう」
彼女がそこでまた黙ってしまったので、ぼくはそのあいだずっと規則正しくうっていた柱時計の音を聞きながらそれがぼくに関係する理由を考えなければならなかった。
「じゃ、村井さんがどうかしたの?」
ぼくはおずおずと申し出た。しかし、たしかにそういえば村井敦子は最近覇気がないような気がするものの、とくに目立って異変を感じさせる様子ではなかったし、みな、それはただマコトが転校して引き離されたせいで意気消沈しているのだろうくらいに考えていたのだ。
「いいえ。そういう訳でもないの。ただ、……あのね、サトルくん。サトルくんの家に、敦子をかくまってもらえない?」
ぼくの表情は引きつっていたに違いない。しかし、彼女に対してぼくは頼みにならない所を見せる訳にはいかなかったのだから、そのような意味で彼女はある種の切り札をぼくに対して持っていたのだから、遠藤はそれほど緊張する必要はなかったのだ。ぼくは最終的にはどんな理由でも、ただ遠藤の比類ない真剣さゆえに屈服するだろうということを感じていたが、それでもこの運命的な瞬間、柱時計の規則正しい、そしてほこりをかぶった音響を聞きながら、ぼくは、逃げ腰だった。けれど同時にその決断までの瞬間は、どこか真剣な、そしてはりつめた祝福をひめた、偉大とさえいえる、ぼくが敷居の前に立っていた時間だった。はじめてぼくは自分の手に余るかもしれない決断をただ美的な理由のみに拠って下そうとしていたのだ。そして、ぼくは甘美な、何かに身を預ける瞬間に似た陶酔を感じながら、ほとんど予感さえしていた一歩を後先もなく、ただ意志と陶酔のみによって不合理にも、踏み越えたのだ。
「いいよ」
桐宮誠は村井敦子を妊娠させてしまった。夏休みだったので、事は秘密のうちに発覚して隠蔽された。子供は胎内で人間の姿を取る以前にはやばやとあの世に送り返されてしまった。そして責任者としてマコトは流罪に処せられた。校長室やマコトの家でどんな面罵や叱責が行われたかは知る由もない。ただ、この不遜なロミオとジュリエットは引き裂かれながらより愛情を燃やしていたらしく、ひそかに遠藤をつうじて連絡をつづけていたのだ。なぜ遠藤が二人の側についたのかはぼくには結局よく分からない。ただ、彼女は一貫して二人の側に立っていた。そして、福岡に転校していったマコトが、先日、簡単な葉書を遠藤のもとに寄越したのだった。「家出した。会いに行く。**日**時ごろ、長谷公園の噴水。誠」本当に、簡単なものだ。品行方正な委員長は、そこでとりあえずぼくの家で二人をあわせ、それからさきのことを考えようというのだった。
たしかに、うちには使っていない部屋もたくさんあったし、いちおうは旧家だから警察もしばらくは遠慮してくれると期待してよかった。使用人も、よほどのことがないかぎりは口が堅かった。遠藤がこまかい相談のために再訪を約して帰ってから、ぼくは、ぐったりと部屋のベッドにだらしなくも倒れ込んでしまった。多分、遠藤もそうだったろう。
川下りといい、一日の放課後にしては、ことがあまりにも多すぎた。ぼくはまどろみに入りながら、誰も味方のないなか、愛ゆえにとはいえ自分の肉体をある意味では傷つけた男をなおもあいしつづける村井のことを思っていた。その傷は魂にも及び、なまなかな若気の至りの恋愛を焼きつくし、白けた嫌悪に変えてしまうに十分なものの筈だった。想像の中で、彼女は傷つきながらなおも飛び上がろうとするワルキューレとなって、死んでしまった胎児を抱きしめていた。ぼくはなぜか泣きたいような笑いたいような、何かを壊したいような衝動に駆られていた。そしてぼくはなかば眠りの領域に移りながら、破壊が愛でもありうる場合について考えていた……
相楽家は終戦のどさくさで半島から流れてきた混血の家柄だ、ということはそれほどあらわには語られなかった。だからあやふやなもはや忘れられたことかというと、みながそのことを知っているのだった。伝説の伝承は連綿とつづけられながら、決して表立って語られることはなかった。勿論確固とした差別感情を抱いていた世代はもはやたいてい寝たきりや病院のベッドに箒で掃くように送り込まれていたから、ヨシノブのことを誰もひが目で見ていた訳ではなかった。けれど、それではなぜあんなにもヨシノブが屈託していたのかといえば、やはり見えない雰囲気のようなものとして、相楽家に対する呪術的な感覚がいきていたからではないかとおもうのだ。たとえば、相楽家のひとびとがどうしてまるで自ら《徴しあるもの》であることを誇示するかのように真っ黒に日焼けしていたのだろう。当時ぼくはそんなふうに、かれらにも責任の一端があるとおもっていたが、今おもえばヨシノブの家はただ単に貧しかったのだ。ぼくは貧しさに伴う徴しが、卑賎の徴しへと読みかえられてしまう無意識の操作を吐き気がするほど恐ろしいとおもうけれど、同時に、そんな物語をほかにしてヨシノブのあの、意識されたものにせよ闊達さをうらやましいとおもうのだ。それは、当時のぼくのようにまれびとの英雄としてかれを畏怖しつつながめていたさげすみとうらはらの視線によってではなく、かれが、あんなにも闊達であろうとしたことのなかにひそむ、ぎりぎりの願いをおもうからだ。ぼくだったらおそらく思い上がってまわりの無形の畏怖とさげすみに容易く感応して、世界をさげすみ返してしまっていただろう。かれをぼくに近づけてやまないのは、かれが自分を拒んだ世界を、かれのほうでは絶対に拒もうとしなかったことにあるのだった。不思議なことに、かれはこの世界を理解したいなどと願っていたのだ。
ヨシノブは知らぬこととはいえ確信をもって川下りの日をちょうどまさにマコトの栄光と汚辱にみちた帰還の日にさだめてしまった。ぼくは懸命に反対しようとしたが、その日が連休の最初の日であるというあまりにも筋のとおった理由に反論することは不可能だった。その日はうちに客があるといおうとしても、ヨシノブやタケルがそんなことを気にするはずがなかった。そしてぼくは、その一致にただ畏怖するしかなかったのだ。
ここでぼくは川下りとそれにまつわる出来事が一応の区切りをつけてから五年後に、東京で偶然タケルにあったときのことを書いておきたい。いま、記憶の無数のほつれた五色の糸をばらして物語に編み込んでいる現在からは二年ほどまえのことで、ぼくがまだ東京の中野に住んでいたときのことだ。がみがみ屋の大家に手渡しで家賃を払うときの会話の憂鬱さに痺れながら−ぼくは醜悪滑稽な立場というものにナイーブ極まりない憧れを持っていたのだ−ぼくは地下鉄のホームへと降りていった。寒気が逆説的にひとびとの暗黙の親密さをましつつあったクリスマスのまえの日で、不愉快なことに赤と緑の変わり映えのしない飾り付けが氾濫していた。ごったがえすなまあたたかい人の群れを抜けてホームに入ると、電車はまだ到達していなかった。急ぐでもなかったぼくは向こうのホームに立ち並ぶひとびとを舞台でもみるように眺めやったが、そこに、ぼくは臆せず述べておきたいが、お世辞にも心浮き立つとはいいがたい、ありていにいって歳のいった水商売風の派手な服装の女性をつれたタケルを見つけたのだ。タケルは派手な女の人に似合わず地味な作業服姿だった。そして、女に頭を撫でられたりとかわいがられながら、それを迷惑そうにもなくむしろすっかり骨抜きにされているようなだらしない様子でいたのだった。ぼくは見るに堪えないような気持ちで、ホームの柱の陰に隠れようかと思ったが、そのとき、彼がぼくを認めたらしい表情をした。すると、彼の日に灼けて何本もの皺といおうか線の走った顔は急ににやりといたずらげに崩れ、ぼくにウィンクをしてよこした。それから今度はまるで気分が急転したのか暗澹とした−と、ぼくの目には映った−視線でぼくを、やがて電車が彼我を遮るまで見つめたのだった。時間にしてどれくらいのものだったか分からない。ぼくは、単純なため息をついて、タケルにもう再会したくない、とひどく怯えて考えている自分と、つまりそれは泣き出しそうなぼくだったが、会って詳しく話を聞いてもういちど友人にあらためてなりたいと思っている自分とを見いだした。そしてその後者のぼくは、あきらかに事態のばかばかしさに酔うような笑いを欲していたのだった。一方で、いまぼくは彼の見たぼく自身の映像についても考えずにはおかない。多少そのころお金のあったぼくは血色のよい太りぎみの青年で、彼の風体に、無意識に道徳的非難とびっくり仰天と憧れとをたたえて目を丸くしていただろう。彼にとってはこの恐らくは同情を込めて旧友を見つめるぼくというやつに、なにかいたずらを仕掛けておどかしてやれという心情はかなり自然にわきでたのかもしれない。けれど一方で彼は、彼自身のこともさばいていないのにそうした下らないいたずらに熱中したことに、急にしらけたのかもしれない。逆に、タケルのウィンクはもっと何かをぼくに暗黙裏に伝えようという意図を隠していたのかもしれない。かれの右手はウィンクをした瞬間、かすかに振られたのではなかっただろうか。クリスマス・イヴにタケルがぼくにさよならを告げたかったのだとすれば、それは恐らくさよならが二度めに本当になるとかつて自分がいったことを覚えていたからだ。
ぼくは人いきれのはげしい電車のなかでそれから会いにいく恋人のことを考えていた。彼女のぼくをひきつけてやまない沈黙と、彼女を通じてひろがる、見えない神話的な世界のことを考えていた。彼に彼女を紹介したらかれは何というだろう。昔のように皮肉に、なかば彼女をさえ虜にするような優しい悪態をつくだろうか。それとも、ただ過去の重みにたえないために、ぼくらの恋を沈黙で遇するだろうか。彼はあざ笑うことをおぼえただろうか。それとも彼はいまだに道化であろうとしているのだろうか。彼女の甘い声音と赤すぎる唇にぼくが感じる戦慄をかれは理解するだろうか。ぼくはかれの瞳にいまなお怯むのだろうか。ぼくは沸き起こる頭痛と貧血を感じた。せめて彼女に、いまこのときぼくが感じた惑乱を伝える言葉を見つけられないだろうかと絶望的なのぞみをいだいていた。もし彼女にそれをいいあらわすことができたなら、ただそれだけで、ぼくはなにかが償われるのだという気がしてならなかったのだ。
そして彼女への思いを通じて、再びイメージは遡行する。無数のキスがぼくが意識的にせよ、無意識的にせよ惚れてしまったひとたちの列を形成する。キスをしなかったとしても、彼女たちはぼくの思いでのなかで彼女らの最高のキスのイメージとして把捉されているからだ。
ぼくと遠藤は放課後の圧倒的な静寂にみたされた図書室で陰謀の相談を進めた。念を入れて、という理由だったのか、もっと心理的な配慮だったのか村井は殆ど加わらなかった。加わったときでも、ひどく言葉すくなで、それだけにマコトという音節が発音されたときに彼女のまわりの空気がふいに和らぐのを見るのは化学の実験で見いだされる公理のように思え、同時に誰に向けられたものなのか分からない痛みをも感じさせるのだった。そう、それは本当に匂い立つような化学反応だったのだ。ぼくははっきりと思い出すことができる。しっかりとした発音で、あわてる事なく、しかしよく聞けば少しだけ上ずった口調で遠藤が会話をひそかにリードする。その、隠された韻律にしたがってゆっくりと、しかしたゆみなくうまれる低く秘密めいたこえに、ぼくの不格好でざらざらした低音が、いつもおずおずと尻切れトンボな口調で合いの手をうつ。その、途切れがちな流れに、ときおり、控えめに、しかし決然とした囁きがブレスを打つのだ。たいてい窓の外は朱色に染まっており、どこかの窓があいているときは、下校して行く生徒たちの明けっ広げな会話が意識のはずれに聞こえてくる。六時になると、威嚇的に時計が鐘を打ち、それと前後して校内放送が帰宅を促す。ぼくらはしぶしぶ会話を打ち切り、互いの目を見つめて終わりの合図をする。すると突然ぼくらはまるでほとんど他人同士となり、いそいそともはや会話することもなく、一緒に廊下を並んで歩くことさえせず、別々にすでに濃紺のベールのかかった外界へと下校して行くのだ。しかし、そうであるからこそまさに、ぼくにとってその瞬間の遠藤ほどうつくしくひとならぬものに見えるものはなかった。それは沈もうとする夕焼けの目映さに似ていた。
そんなふうに、ぼくはその日までの放課後を過ごしていたが、一方では昼休みや週末にはヨシノブとタケルにつれられて皆瀬川の上流のある裏山に行って筏作りに精を出していた。
出来つつある筏は川原の一角に枯れ葉や木の枝で隠してあった。なんか、ハックルベリー・フィンごたんな。(みたいだ、の意である)タケルはあるとき作業風景をみてそういった。ぼくらは火を焚いて途中のコンビニでかってきた食料をかじりながら図面を広げて強度や材料の問題を話し合った。強度や操縦は幸いにも皆瀬川がおだやかで幅の広い平地の川であることからそんなに問題はなかった。一週間もするとあらかた筏のほうは出来上がり、ぼくらは道中何処に寄り、何を持って行くかのほうに熱中しだした。まず、始めに決まったのがなぜか懐中電灯だった。恐らく、少年の日のヒロイズムと冒険の観念には、断ちがたく密接に懐中電灯のイマージュが結びついていたのだろう。それはちょうど、骸骨旗が海賊の、もっとも誇り高くまたふかくその本質を象徴する図像であるのと同じことだった。闇を貫いて金色の円をくりぬく懐中電灯はかつて夜警がランプと結びついていた以上に、いまや忍び込みやいたずら、探検や脱獄や逃走といった映像に結びついているのだ。そのあいだ−日に焼けたヨシノブが木を切りながら万引きの話を自慢げに語り、設計図を直しながらタケルが隣のクラスのゴシップを身振りを交えて面白おかしく話してくれ、ぼくはといえばじっさいに丈夫な紐で不器用ながら筏の組み上げに挑戦していたそのあいだにも、ぼくの念頭からは確かにマコトのことは去っていなかった。ただ、その冒険の観念はなにか抽象的で神秘的な操作を経てヨシノブの映像と緊密にむすびつき、一個の身を投げ出すという行為としてぼくに一体になった映像を印象していたのだった。だから、あい矛盾することを実行しているという意識はぼくにはなかった。代わりにひとつらなりのイメージがあった。何度もかれらにマコトと村井に起きたことを告げたいという誘惑に駆られたが、ぼくにとって明らかにそれは遠藤への責任からいって許されることではなかった。そしてぼくは彼女への責任を裏切るくらいなら、初めからこうした《困難》に飛び込もうなどとは考えなかったのだ。愚かにもぼくたちは互いに複雑に絡み合った自分たちの罪の予感を、こうして着々と組み上げていった。わい、委員長となかよかのう。告げ口せんやろな。タケルが軽妙な口調でぼくの顔をまじまじと見つめた。冗談とはわかっていたが、ぼくは憤然として、するわけなかやっかというと、ヨシノブが苔むした岩からおりてきて、ふーん、玲子がねえ、とつぶやいて、二人でぼくを見るものだから、にわかに気温の上がった空気を感じながら、ヨシノブ、遠藤のことば知っとっと? ときくと、まえクラスが同じやった、ともう気の無さそうに顔を上げ、つられて見上げると木の間からのぞく真っ青な空に、一羽の鳥が輪をかいているのであった。
二
長谷公園というのは市の中心からやや外れたところにある元々このあたりの領主の居城のあった場所だ。いまでは桜などが植えられて観光名所というほどでもないが市民公園として役立てられている。ぼくたち本町の子は幼い間はたとえば遠藤のような農村部の子と違ってよくこの公園をお城に見立てて遊んだ。ぼくの関ヶ原も薔薇戦争も討ち入りも、さらには二十面相との立ち回りもこの林と石垣と日本庭園とささやかな神社からなる公園で行われたのだ。だからぼくにとってこの公園は、現実の歴史的事件とはなんらかかわりなく、ごく個人的な意味で、ベルリンや北京のように歴史的な場であった。マコトも村井もそれぞれ時計屋と医者の子供だから、この公園でかつて遊んだはずだ。そのころには何の予感もなく、ただ、今が永遠と同義であるような時間を濃密に生きていたにすぎなかっただろう。そしてやがて二人を引き離すことの出来ないほど緊密に縛りつけることになる絆の、いまだ黙示的な萌芽にすぎないものを育てていたのだ。だが、多分こんなことをいいだすのは感傷だ。子供たちに未来の悲劇的な恋人たちを重ね合わせるのは身勝手な決めつけにすぎない。しかし、ぼくは敢えてその黙示的な芽生えを遡行的に見いだすことで、この場所に決定的な意味を見いだしたいと願っていた。そうすることで、マコトの不名誉な帰還に洗礼を施すことができるような気がしていたからだ。例えば、円卓の騎士の遊戯のなかで、村井が囚われの王女となり、マコトが救いの騎士となったことだってあったはずである。そのとき、村井に跪き、遍歴の騎士の忠誠の誓いを述べたとき、誰がその誓いの思いもよらない黙示的真実を見抜いただろう。すべては時間というとどまりをしらない流れのなかで二枚の写真が比べられたときに発する韻と閃光の問題なのだ。かつて黙示的に予行された出来事が、変転する運命のなかで今度は真剣極まりなく演じられる。もしもあらゆる出来事がそうした意味で先行する《黙示的範例》をもつとすれば、それは出来事をどこか偉大なものにするように思える。多分それは、同じようにいまなされつつある出来事を、未来の、恐らくははかりがたい意味において《高い》出来事への暗喩的な予示として解釈することをゆるしてくれるからなのだ。そしてその《高さ》とはなんら倫理的な、あるいは宗教的な意味における高さなのではなく、その時点において生ずるべきいまだ名づけられざる感動の水位と豊かさとを名指している筈なのだ。ぼくは、それを、辞書にもそして我々の日々の慣用的な使用にも遠慮する事なく、ただ、《希望》と呼びたい。
その始まりの日の早朝、ぼくと遠藤と村井は公園の入り口で待ち合わせた。朝もやが深く垂れ込め、市内は視界がほとんど閉ざされてしまっていた。腕を伸ばして、その手の先がもう見えないという有り様だった。自転車に乗って危険な車道を飛ばし、ぼくが入り口のまだ閉まっている土産物屋の前までついてみると、もう二人ともやってきていて、観光客向けに煉瓦細工にしつらえてある床に座り込んで暖かい缶コーヒーを飲んでいた。マコトが葉書で約束していたのはそれから三十分ほど後の時間だった。ここの駐車場には、そうして前以てぼくがマコト用に昨日片道だけ乗って来た自転車も駐めてあった。
土産物屋にはシャッターがしまっていて、崎陽名物という褪せた文字がいかにも地方都市めいてしるしてあった。鄙びた文字の下には桜と菫の絵が季節感と節操を無視して描いてあった。しかし総じてこのシャッターから洒落っ気を奪い取っていたのはなによりも中途半端な黄色で塗られていたということだった。靄につつまれた市内で、ぼくらの参集していたあたりだけが晴れているように見えた。互いに近づいたために晴れてみえたのだからそこだけを特別な場所だとみなすのは錯覚にほかならなかったのだが、緊張に頬をそそけ立たせているくせに、仲良く缶コーヒーを飲んでいる二人を見たとき、ぼくは、これは遊戯ではない、とだれかにいわれたような気がしたのだった。
二人はその瞬間とてもよく似ていた。輪郭のやわらかで女らしい、というか物静かな良妻賢母タイプだとみなされていた村井と、はりつめた弓のような遠藤はその瞬間双生児のように似ていたのだ。いや、そうではなくてその相似性は母子のそれであったとぼくは正直にいうことにしよう。二人は母子の相似性をたしかに帯びてはいた。しかし、ぼくが母娘ということをためらったのは、どちらが母でどちらが娘かという問いが無意味であるような混沌とした意味において二人が似ていたからだ。ではなぜ、姉妹といえないのか、と理詰めで問われるとぼくには分からない。しかしそこには、なにか、そう、たとえば歳の同じ母娘にしか存在しないようないたわりに似たものが存在していて、それがぼくにはどういうわけか、可憐に映ってしまったのである。
ぼくは黙って自転車をとめると、彼女たちの横に立って同じように缶コーヒーを自動販売機で買った。がたん、と分娩された熱い缶をもてあましながら、ぼくは座った。遠藤と村井と視線を合わせずに。
「出てくるときばれなかった?」
遠藤の声は鈴の音のように、と陳腐な比喩を使いたいが、こだわりなく発せられた。確認にすぎなかったから、うん、と曖昧に答えて、ぼくは改めて村井の横顔を見た。
ぼくらは待っていた。
ぼくはいま、ウィットに富んだ変換をするワード・プロセッサーを前にしてインスタント・コーヒーを飲み下す。あの時点でのコーヒーの苦い味覚がこの香りのなかに呼び覚まされる。しかし、それは無意識的に想起されるのではなく、意志の、イマージュへの意志によって立ち現れる幻なのだ。この一致を保証するものはなにもない。しかし、では、一致を夢想したときぼくの背中にはしる、甘いおののきは何なのだろう。ここは、夜だ。しかし、そこはまだ朝未だき、まだ何も起きていない。ぼくはそれから起きることを知っていて、知っていない。二つの声が同じ「ぼく」という主語によって根拠もなく一致を主張する。それをぼく自身が見る。ずれがかいまみえる。裂け目は嵐をまえにした灯台守りのように騒がしい。予見と黙示が恐怖をつれて耳の後ろの轟音のようにちかづいてくる。しかし、突然なにもかもがやみ、ぼくは再び、ただ一人のぼくに終わる。ぼくが逃れようとしたものはもう見えない。裂け目はまだどこかそのあたりにあるはずなのだけれど、きえてしまった。ぼくは同時にあの朝のぼくでもあるという、逆なでするような体験をもっと推し進め、ほとんどいまのぼくであることが不可能であるような地点にまで進みたいとおもう。ぼくでありながらぼくでないという経験がしかしなぜこんなに慕わしいのだろう。ぼくは思いだしながら、二つの酷似していながらまったく異質の精神を自分のなかに招き、かなしみながら笑い、嫌悪しながら愛することの、《希望》を見いだしたいとねがっている。
いま、ぼくは想像のちからによって、マコトのもとへ飛躍する。つばさある天使が、回帰する歴史におりたつ幻想ならば、その翼は過去へと遡行するぼくの試みをたすけてくれるだろう。つばさは、失われた過去を勝手な憶測によって未来へと吹き飛ばす可能性のイメージであり、羽ばたきをくりかえす愛と妄想のノスタルジアなのだから。
そのとき、いちばんはじめのバスの後部座席にすわってなにが始まろうとしているのかと自分自身の激情の値をはかっていたマコトは、間違いなく裏切りについて考えていたはずだ。後になってこのときマコトがゆいいつ携行していた書物がオーウェルの「一九八四年」の薄汚れた文庫本だったことがぼくには決定的なことのように思える。かれにとって、これが言葉の自由についての物語だということはあまり関心をひかなかっただろう。ただ、かれにとってこれは裏切り者に愛が可能かどうかという物語だったのだ。そして、死ぬことができなかったものは、死ぬことができたものに何というべきかということだったのだ。ぼくはいまなお恐れながら、このとき、ただ少年にすぎなかったマコトが抱いていた問いについて答えをしらないといわなくてはならない。かつてのぼくならば、そこにはただ沈黙が、言葉が遣いつくされた果ての沈黙があるだけだとこたえたかもしれない。けれど、マコトにとって沈黙することは不可能だった。かれは一度めの大騒ぎをふたたびより滑稽な形で再演させかねない脱出に自分を導いたものが本当に愛だったのかいぶかっていた。悲劇のためならひとは犠牲を払うことができるが、喜劇のために、しかもやけからではなく、それをなすのはかぎりない「高貴さ」を必要とするようにおもえる。かれを導いた名づけえない激情はたしかに敦子につながってはいたが、それが憎悪でない、とも、あるいはマゾヒスティックな自棄的行為でないとも断言できなかった。それでも、マコトは緑色のバスの後部座席に野球帽を被ってすわっていた。みすみすかれ自身がその魂の一部を見殺しにしてしまった少女、しかもなおかれを愛していると、いう、女のもとへ、愛を告げにか、憎悪を告げるためにか、かれは近づいて行く。まだあけそめぬ世界の沈黙がバスの外でかれを囲繞している。
以後、ぼくはその事実にこそ敗北感をおぼえつづけるだろう。
バスがきたとき、最初に立ち上がったのは遠藤だった。村井の肩に手をおいて、彼女は花嫁の付き添いのように彼女を促した。バスはもやのなかにゆっくりと神話の船のようにやってきて、停留所で物憂げにとまった。バスが巨大な舌打ちのように空気を噴出してドアをあけた。自動ドアのまわりのもやが動いた。しばらく物音がなかった。重力に逆らうほどきゅうに村井が遠藤につかまって立ち上がった。背伸びをしてもやの向こうの黒い人影をみつめた。ぼくは手を握り締めて自分が逃げ出さないように頑張っていた。ドアから、死体が投げ出されたように、くろい塊が地面にほうり出された。そのうしろから、白皙長身の暗い目の少年がおりてきた。マコトだった。かれはさきに放り投げた荷物をもつと、ぼくらのほうをみて、照れたようにおずおずと片手をあげ、振った。それからその手を降ろして、立ちすくんだ。立ちすくむかれの後ろではドアがしまり、バスが出港していった。惨憺たるながめだった。マコトは自分の荷物をながめていた。すると、遠藤が口を切った。
「桐宮くん、元気?」
村井はその一挙一動でも見逃すまいと目を見張ってマコトを見つめていた。マコトは痩せたようだった。目の下に隈ができていた。しかし疲れたような動作のゆるみはなかった。リラックスした動作の向こうで、自分の体を緊張しているからこそ平静に見えるように操っているマコトがいるのが感じられた。のちになって、ぼくが二つ年上の赤毛の大学院生とつきあっていたころ、ベッドのなかで彼女にどうしても話さなくてはならないいきがかりになってかれのことを話したとき、彼女はしばらく考え込んで、オイディプスの帰還という訳ね、と憂鬱めかした口調でいった。
「まあ別に」
近づいてくるマコトを見つめていた村井は、ようやく手を伸ばしてとどく範囲までかれが近づくと、何かいおうとした。マコトの視線も村井から逸れなかった。二人は決闘のように相手を無言でみつめていた。村井は必死でなにかを読み取ろうとしているような顔付きであり、一方でマコトの方は、むしろ、問いかけているような頼りない瞳が平気を装っていた。マコトが耐えられなくなったのか、自嘲的に笑みを浮かべたのをみると、村井はそれを待っていたのだという調子でにっこりと笑い、「目ばさまさんね、ほら」と、マコトから荷物を奪い去った。ぼくは、なぜこの二人は抱擁ひとつしないのだろうと疑問をもったことを覚えている。遠藤は、口のなかでそうね、とかつぶやいてマコトに自転車の鍵を渡した。
その日のうちに、何処からマコトの帰還が漏れたのか市内は大騒ぎになった。とりわけ躍起になって騒いでいたのは村井の親の村井医師夫婦である。桐宮の両親はもう引っ越していたが、その弟、マコトには叔父にあたる人が経営していた桐宮時計店に村井医師が押しかけ、娘を出せと狂乱の態だったとか、噂はぼくの家にまで届いていた。小高い丘の町外れにあるぼくの家にまで探索の手は伸びていなかったが、やがてやってくるのは必定だった。朝、裏口から二人をあげて以来、村井とマコトはとくに話すこともなくほうけていた。いつまでもそうしてはいられないと思っていたには違いないが、はじめてしまうと最後までやりぬくしかないことが分かっていたから、この時ならぬお祭り騒ぎの渦中にあいたエア・ポケットで眠ることを二人は望んだらしかった。
中央アーケードでは、普段の客の倍が街頭にあふれ、そのうちのまた半数が補導のために駆り集められたひまな中年や引退した教師などだった。ほんとうはそんなに騒ぐほどの事件ではないはずなのだが、いかんせん、村井医師はかなりの実力者であったし、かれの熱意とともに、去年のマコトの事件の記憶もいまだ新しかったのだ。中学生たちは連休をいいことにあてにならない情報を街頭で交換し、まるで自分が出来事に参画しているような気になって楽しんでいた。
川下りの計画はとりあえず延期しようとヨシノブに電話しようと思ってぼくが、遠藤はあやしまれないように一端送り返して、昼間また会うことを約していた、電話のおいてある部屋に向かうと、ちょうどそのヨシノブから電話がきていると女中サンから聞かされた。受話器を取ると、かれの叩きつけるような軽快な声がきこえてきた。わいんちやろ。マコトの居っと。いまから飯食ってタケルと行くけん。じゃ。返辞も待たずに切られてしまい、ぼくは狼狽していた。
受話器をおくと、屋敷の妙な静けさが胸にしみてきた。二人はいま二階で眠っているし、召し使いたちは別の棟にいる。何かが下界では進行しているのだけれど、ここにはまだ波及していない。
ぼくは昼間での二時間、とにかく考えをまとめたかった。それで、女中さんを呼んで、誰が来ても知らないと答えるようにいいつけて、ぼくは自分の部屋のソファに身を委ねたのだった。しかし、眠る訳にはいかなかった。そのうち母がやってくることが分かっていたからだ。
母ははりつめたなかに何処か本質的に弛緩した鈍いところのあるひとだった。神経質でいらだたしい波動を発しているひとなのに、繊細なものの区別といおうか、ちょっとした印象の違いといった、ものの色合いの変化に対する感覚がまるでなかった。母はつまり、一輪の薔薇の色を血のように赤いと表現してすませてしまえるひとだったのだ。そのくせ、薔薇が庭から一輪盗まれていると気が付けば、逆上してしまう。それも恐らく、繊細な調和が破れたからというのではなく、ある母なりの客観的基準が侮辱されたからであったのだ。だから、たとえ何らかの理由でここにマコトがいると推量しなくても、母のもとに医師の探索の手が伸びてくれば、憤然としてぼくのもとに詰問にやってくるにきまっていた。彼女の世界観(たしかにぼくにも責任はあったが)によれば理性へのこうした冒涜は、たいていぼくの責任なのだった。ぼくはもう長いあいだ母を「いやな女」として扱うことにきめてはいたのだけれど、そのたびに母たるひとがどうして母たるべき行いをしてくれないかとがっかりさせられたものだった。母にしてみればこのかわいげのない息子に不自由はさせていないつもりだったろうし、彼女なりの最低限の基準さえ守ってくれれば文句はなかったのだろう。そして彼女としては、それはとても寛大な態度だと思っていたのだ。意固地な、そして少々甘えん坊でもあるような理想主義者である、《少年》という生き物に対してでなければ、つまりそれまで彼女が相手にしてきた如才ないひとびと相手であればそれはまったく正しかったのだが、いかんせん彼女はまさにその最低限の基準だけはわざと守らない息子、に対してかなり手を焼いていたのだった。しかし、ぼくにしてみれば、それは精神の、最低限の自由をまもるための当然の抵抗だった。自由とは無意味への権利であるはずではなかったか。ぼくとしては、何ら実害がないからといって、赤いものをいわれた通り赤いといってすますことに唯々諾々としたがえはしなかった。彼女は、如才なさというものに敵意を示す息子を、しかしおそらくは自閉的で、馬鹿だと思っていただろう。もしかしたら、あのころぼくが墜落や冒険という観念に憑かれていたのは母との関係にも理由があったのかもしれない。ぼくは合理性への敵意を、神経質に支配する母への敵意としてうけとめていたのだろうか。
「どういうことです?」
「どうもこうも。何もありませんよ」
「黙りなさい。さっき村井さんからお電話がありました」
「へえ、往診ですか」
「あなた、敦子さんとあの不良少年のことを匿ったりしていないでしょうね。事と次第によったらただじゃすみませんよ」
「残念ながら知りませんね」
そしてぼくはまだ若い母の自分では峻厳と信じている表情を一分ばかり黙ってにらんでいた。まったく、かわいげのないことだ。とはいえ、それから上京の直前に母が死んだときぼくが泣いたのは不思議でもなんでもない。想像もつかないほど不幸せなひとであった。今では母の名さえ忘れてしまったが。ぼくは母を一度も名前では呼ばなかったのだ。
皆瀬川はせせらぎ歌いながら午後の日差しを乱反射させていた。うたかたがちいさな妖精のように踊り狂い、水面に突き出た木々の蔭に庇護されているようだとヨシノブは思っていた。すきとおって濁りのない水面からは深さは一メーターほどもある川底で、石ころがたゆみなく転がっていくさまがみえた。乾いた薄青い石ころの積まれた河原にはできたばかりの筏が人工物というよりはそのままの姿でそこに昔からあったというようにつないであった。空は紺色に晴れて雲の大陸が切れ切れに浮かんでいた。川は蛇行しながら西へと下っていき、田圃と空の交わる点にまでつづいていた。向こう岸にはただ静寂があり、何の人影も見えなかった。枯れ葉がめのまえの流れを下り、浮かんでは沈んでいた。森のなかに河原と川は切り裂き開かれた舞台のようだった。外界と隔絶した解放区のように、川をめぐる空間は乱反射する陽光とたえまないせせらぎの歌によってむせるように濃密にみたされていた。
どげんすう? やっぱい、辞むっや? 振り向きもせずに確認したのは、隣にやってきて、平らな石を川面に滑らせたマコト相手のことだ。燦々とあまねく祝福する陽光を浴びながら、マコトは遠い目付きで川面を見ていた。しょうがなかさ。市内におったってどげんなるもんでもなかし。もう一つ、石を投げると、マコトはため息とともに、……なつかしかな、ちょうどあんときやったもんな、わいが川ば下らんやて思いついたとは。なんでこげんこと思ったとや?
ヨシノブは浅黒い肌に不思議に照れを見せて答えた。
おかしかと思わんや? 鍋島から佐和まで、こげん遠かあいだ、いろんなひとの住んどって、お互いにいっちょん知らんで暮らしとって、べつべつの調子で生活しとっとに、そいが全部、同じひとつらなりの川の水の流れで繋がっとっとぞ? 川ばひとつの廊下とか広場とか考えたら、遠かだけで、あいだに何も区切りなくて、そいでいっちょん知らんで生活しとっとけど、ここでおいたちの流した枯れ葉がそのうち間違いなく全然知らんやつの家の横に届く。なんか、おかしかと思わんや。だけんおいは、そいが何処に繋がっとっとか、確かめたくて仕方なくなったていうだけさ。
雨のように豪奢なひかりの滴が降っていた。
タケルは無関心そうに地図に見入っていた。
「遠藤の来たぞ」
足音に気がついてそういうと、ぼくは立ち上がって村井を連れた彼女を迎えた。陰からまばゆいひかりの奔流のなかにでてきた二人の少女は、眩しそうにしていたが、絵のようだった。
筏で逃げてしまえと乱暴な意見を吐いたのはヨシノブとタケルには違いなかったが、同意したのはほかならぬ村井とマコトだった。遠藤は積極的に、ぼくは消極的に反対した。しかし飽くまで迷惑をぼくにいつまでもかけられないといいはるかれらのイメージには、川下りがひとつの出来事としてしっかりと刻まれてしまったのではなかっただろうか。後刻、うちにやってきて食事をいっしょにしながら情報をもたらしたヨシノブとタケルによれば、いずれにせよぼくのいえはかなり疑われているらしかった。なにもしないまま捕まるのもいやだという気持ちが走らなかったとはいえない。駅やバスは補導の係と称する連中に見張られていたから、車のないぼくらの脱出のみちは川しかなかった。
「酒森くん、くるの」筏を川面に出す作業をしていると、村井がぼくのもとにやってきてきいた。ぼくはためらったが、「もともと川下りはぼくらの計画なんだぜ」といった。でも、うったちに付き合っても碌なことにならんよ。と申し訳なさそうというよりも心配そうに村井がいうので、ぼくはしばらく黙った後、ロープで筏を引っ張りながら、そうとも限らんやん、と呟くようにいった。
タケルは、口笛を吹きながら、度し難い物好きだな、とぼくにいった。おまえだってそうじゃないか、というと、タケルは、おれには遠大な目的があるのさ、といった。それにおいんことば追っかけるやつもおらんやろ、と後半はくちのなかで独り言のようにいった。それからかれは、村井に向かって、説明抜きでよかとや? ときいた。もともとマコトくんには期待してなかったから。と村井がこたえると、タケルは珍しく口ごもり、あの、子供な、気を落とすなよ。タケルともあろうものが凡庸なことをいってるなとぼくはおもった。しかし、薮蛇を承知でいってみるところがぼくにはまねできないところだった。さっきから筏は手伝わずにラジオに耳を傾けていた遠藤がきゅうに真剣な顔でいった。こっちにきてるみたい。
やがて筏が進水し、全員乗り込んだころだった。森のどこからか、強烈な笛の音がした。あ、やばい。ぼくとマコトはいそいで筏を川の流れの中心へ、岸から遠くへとおしやりながら乗り込んだ。
慌てながら、筏を流れに乗せ、その流れに身を任せて櫂を漕ぎ出すと、河原にでてきた何人かの大人たちが馬鹿者とか何をしているとかやってることが分かってるのかとか危ないとか恥さらしとか勝手なことをぼくらに呼びかけた。どんどん遠く離れていくかれらはボーリングのピンのようだった。ボートは用意していなかったらしく、また皆瀬川は川幅が一キロほどもあってかなり広いのでしばらくは大丈夫に思えた。振り返って、筏から伸び上がり、ヨシノブは「だけん何てや!」といいかえした。ぼくと遠藤は蒼白な顔で見交わし、村井は前方をほうけたように見つめ、マコトはその後ろ姿を見ていた。タケルはまた地図を楽しそうにひらいて見入っている。
すぐつかまるだろうとぼくらでさえ思っていたが、意外にも長引くことになる川下りはこうして始まり、滔々たる流れは遠藤やぼくやマコトを呑み込んだのだった。それは少年と少女をさまざまな試みに合わせた。やがてぼくは、この流れを時間にたとえるだろうけれど、けっしてそれだけが可能な解釈というわけではなかった。そしてやはり、この試みがどれほどなぞと危険を秘めたものになろうと、その最初にあったのはただいささか軽薄な暴挙だったというのは忘れられないことのように思える。ぼくは、そしてマコトや遠藤やタケルは、その帰結を知ることなくドミノの最初のひとつを倒し、もはや停止できない流れに身を委ねてしまったのだ。