She So Cute
物事には必ず続きがある。好むと好まざるとにかかわらずな。
トマス・エフィング
(P.Auster:「ムーン・パレス」より)
ぼくが初めて彼女に出会い、三日間だけ微妙な交流を持ち、それからなんだかよく分からないままに別れて、一度交わった二つの流れが再びそれぞれの現実に戻ってそれぞれの実際の道を辿るようになったのは、五年くらい前の話だ。そして物語は、すべてが済んでしまったかに見える、ここから本当の始まりを見せる。と云いたい所だが、実際には物語という程のことでもない。ただ、五年ぶりに偶然彼女と再会し、なごやかに談笑して旧交を温めたと云うことでしかないのだから。しかしまあ、そこにはびっくりするような事実が隠されてあったのである。
彼女は人間業ではないほど肥えていたのだ。どうやら秋に肥えるのは馬だけではない。むろん彼女はひと秋で肥えたわけではないが。それは、内側から空気を吹き込んだとしてもこれほどは膨らむまいといったていで、ぶよぶよに脂肪が垂れ下がっているというよりは、むしろ本当に地上のアドバルーンといった表現がぴったりだった。一目見た瞬間、ぼくはこれまでのいきさつなんかすっかり忘却して、体の半径と円周を計りたくなったぐらいであった。人間、あるラインを越えてしまうと美的と云うよりも幾何学的関心をそそられてしまうものなのかもしれない。そしてそれよりもなお、ぼくの驚きを誘わずにはいられなかったのは、その−どういう意味でのそのかはあえて云わないが−彼女に白髪のもの優しげな夫のあることだった。
実はこの彼女の夫−高沢さんと云う人なのだが−の或る習慣が切っ掛けになってぼくと彼女は運命的な再会を果たす巡り合わせとなった訳なのである。
高沢さんは銀行を中途退職してそれまで溜めたお金と相続した財産で悠々自適の生活をしながら、虎視眈々と町内会長の座を狙っている、俗物なのか仙人なのかちょっとよく分からない人物である。この高沢さんと二十以上離れている彼女が巡り会い、所謂恋に陥った次第については詳しいことは聞かなかったが、きっとそれは美しい物語であったことだろう。そう思うにつけても高沢さんの忍耐力には頭の下がる思いがしてならない。というのは余談なのだが、この高沢さんには、もうひとつ趣味が有る。競馬である。ちなみにぼくも同好の士で、何だかいつも行くと同じやつが横で血走った顔で馬券をちぎれんばかりに振ってるなとお互いに感じ出したのが、ぼくら二人が歳の離れた友人になったきっかけで−ということは毎日通っているということで、なかなかぼくも高沢さんもくだらないのだが−その日はぼくら二人ともが買った馬券が見事に当たり、上機嫌であったのも手伝っていただろう。
「どうです、これで飲みに行きますか」
赤ちょうちんが陽気にゆらゆら踊り、暖かいかわりに息苦しい空気がおでんから立ちのぼっていて、二人の間に存在していた障壁はなしくずしに崩れ去ろうとしていた。ぼくも高沢さんもその勢いを敏感に察知していて、この機に乗じて云いにくい壁を突破するための言葉を飛ばしてしまおうとしていたのだと思う。このあたたかさのはざまでなら、なにもかもその気になれば冗談として通用しそうだと感じられた。それに少なくともぼくは、悪意を信じるにはあまりにも楽観的になっていたのである。ぼくは高沢さんの個性の向こう側に予感される、なにか、ぼくとは違うものへの期待にひそかにうちふるえていた。その時点では、たんにぼくと違う年齢や社会階層への興味でしかなかったかもしれないのだが。
「それじゃぼくがおごりますよ」
ぼくは、自分が善人でもありうることを証明しようとやっきになっていた。そして身に降って湧いた幸運を独り占めにするほど吝嗇ではないことを表現しようと身もだえせんばかりだった。いっぽうで高沢さんはもっと複雑だったのだと思われる。或る点では高沢さんはぼくに若き自分を見ていたのだろうし、他方では彼が意識的に切り捨てたこの数年の社会を見ていたのじゃないかとも思う。だが本当には、高沢さんはただたんに飲み相手が欲しかったのだと考えるのが妥当だと思う。
「いやいやわたしが」
そういったふうだった。
こうして何度目かに飲みに行ったとき、このあとうちに来ませんかと高沢さんに誘われた。そしてぼくはうるわしの運命にめぐりあうのだ。
高沢さんの家は東西線沿線の郊外にあった。駅を降りるとこざっぱりとした町並みがひろがり、多分この町唯一のデパートであるに違いない丸井がかなり大きな顔をしていた。駅前の自転車置き場のまえを通りながら、
「夕焼けが奇麗ですねえ」だの、
「ナリタブライアンっていう馬は…」だのといった話をしていると、いつのまにかアーケイドの商店街に入っていた。自転車に二人乗りをして帰宅途中の高校生の姿がやたら目立ったので、高沢さんにこの辺に学校があるんですか、と尋いたところ、コートをずるずると羽織って歩いていた高沢さんが答えて云うには、都立が一つと私立の女子校が一つあった筈ですよ、とのこと、アーケイドを抜けて国道の横断歩道を亙ってしばらく経つと、左手に住宅地が見えて来た。すると、高沢さんが、何がそんなに嬉しいのか分からないが、ステッキを振って「ほら、もうそこですよ、すぐそこです。指呼の間です」とこむつかしい言葉を使いにこにこしておっしゃる。返辞のしようもないものだから、ぼくは黙ってついていく。沈んでいくような寒さのなか、世界は滅びさった後の色彩を深めて行く。アスファルトの歩道の隅っこには雑草が無理して生えており、まだ道を作っている途中のように見えてくる。アスファルトはそういえば石油なのだと思い起こし、ならば火を付けたら燃えるだろうかと下らぬことを考えて、ふと顔を上げると高沢さんが煙草にいままさに火をつけようとしていた。その符合がおかしくてぼくがかすかに笑うと、高沢さんが振り返って尋く。
「どうかしましたか?」
「いえ、べつに」
それでも高沢さんは不審そうにしているが、ぼくは知らん顔である。こんな面白いことは教えてあげない。というよりは本当は云うとつまらないという顔をされてしまうからだ。住宅地に入ると、予期した通り同じような家並みばかりである。そのうちの一軒が、高沢という表札を持っていた。
家には電気がついていた。こぢんまりとした建て売り住宅で、瓦の色は赤茶色で、辛うじて洗濯物が干せるくらいの庭には盆栽が置いてあった。高沢さんはインタホンに顔を近づけ、今帰ったぞ、お客を連れて来たと云った。はい、という声にぼくは気づくべきだったのかもしれないが、残念ながらそこまでぼくは記憶力がよくない。ただ奇麗な声だなと思ったに過ぎない。しかし−声なんて外見と無関係なもので、その點では、確かに人のたましいを最も素直に表していると云ってもいいくらいである。生涯人がともにすべきなにものかをたましいと呼ぶのならば。そして、確かに外見もまたその人のたましいの表現の一部であるのもたしかなことなのだ−そのひと自身のこころと無交渉に通り過ぎる星霜など、一瞬たりともないはずだから。
ただ、ぼくが高沢さんの家に上がり込むについて、とくに居心地の悪い予期を覚えなかったのは、もしかしたらインタホンの向こうの声がぼくに伝えた残響の所為で有ったかも知れない。大してかねのあるはずもない高沢さんの城を前にして、ドアがあくまでの暫しの間、高沢さんはチョットだけまじめな顔をしてぼくを振り向くと、秘密めかしてこう云った。
「御厨さん、驚かれますよ、」
言葉をいったん切って、高沢さんは視線を停滞させ、打って変わってなにか落とし物でもしたように当惑顔をした。それから自分が何を口にしたのか別の角度から再発見したような、或いは何処か深いところから浮上してきたかのように顔を再び上げ、
「何処にお住まいでしたかな」
そこでぼくは池袋のアパートのことを話しかけたが、内心ではさっきの高沢さんの言葉のつづきが気にかかっていた。最近風呂付きの部屋に引っ越したのだという話をしたところで−しかしこの話はちょうどその資金となった、あの大穴の当たった祝福された日の話を以前したついでに高沢さんにはもう話してあることだった−牧場の牛の首についているあのかわいい鈴のついたドアがあいた。
出てきたのは肉塊であった。露骨な話し方になるのは、ぼくが彼女を浪漫的に描写したくないからなのだが、それと同時にどういう形でか歪んだかたちでの高沢さんへの遠慮も存在しているらしい。理窟はどうでもよいが、ぼくは目をまるくした。そのぼくを見て高沢さんは悲しいのか嬉しいのかよく分からない、むしろ得意そうですらある表情で見守っていた。たしかにぼくの驚き方は大袈裟すぎて滑稽を通り越し失礼に当たっていたかもしれない。だがさすがにうすらぼんやりとしてよくセールスの品物の効能書きすら忘れてしまってお客に、じゃあいいですよ−しかしどどっちの意味なのだろう−と云ったり云われたりしてしまう夏炉冬扇のぼくでも、恐るべき量の余分な脂肪壁を透視して、我が夢の女の面影を見いだせないということはなかったのである。だからぼくの最初の感想はたまらんなあ、といったものだった。ケシ粒のように小さな確率で、望んでも当たらないようなひどくて救われない偶然にゆきあたった、俗に云う狂犬に噛まれたといった気分だったのだ。精神的建設にはたいへんな努力が必要というものである。
同時にぼくはこれも失礼極まる話だが−だいたいぼくは失礼な男であることがのちの物語からも分明するであろうからここで自白しておくが−これは病気なのだろうかたとえばホルモン異常などといった、そう疑っていた。しかし、それを本人に尋ねるのはあからさまにいやなやつである。しかし…内臓なども比例して大きくなっているのだろうか。それとも透き間が空いているのだろうか。これも、ひとつの問題ではある。
そしてつぎの瞬間、利己的も利己的なことを考えた。しかししょうがないというぼくの言い訳も聞いてほしい。ぼくが恐れを抱いたのは彼女に五年前のことを想起され、気づかれてしまうこと、さらに具体的には声をかけられてしまうことだった。それだけはなんとしても避けたかった。最悪の事態である。たいへんきつい。理性的に考えればぼくは殆ど外見は変化していないのだから、気づかれるに決まっている。けれど、そのときのぼくはなんとかごまかそうと汗をかいたのである。ほかに何ができたというのだろう。
結局、咄嗟に被っていた野球帽を脱いで顔を隠したぼくを高沢さんは訝しげに見て、もう少しでどうしたのか聞かれそうだったが、そんなことはもはやこの一大事の前では問題ではなかった。なぜならそのときぼくはオナカイタイと訴えて帰るのはありだろうか、食事の後にそれを云うのは失礼に当たるのだろうかとまで考えていたのだから。しかしこの場合より適切なのは頭痛かもしれない。頭痛だともしかしたら生理痛だと誤解されるかもしれないが、それを云うと腹痛も同じことなのだから、むしろ理由よりも時期が大切なのだろう。わけが分からなくなってきたので、ぼくは、時期を計ることにした。
しかし、いまや奥さんと云うべき彼女は豪放にもぼくの努力を無視した。ラードが皮膚からはみ出しているかと見えるほどつややかに照り映える白い肌を誇示しながら、高らかにあららと笑うと、いかにも商店街の世間話好きな主婦然とかるうく、
「御厨くん? どうして主人と」
とのたもう。
「知り合いなのか」
ぼくが手洗いをこらえているかのような複雑な顔で黙っている。彼女はまあ、とにかくあがってくださいなと普通より大きめでマタニティドレスめいたエプロンで手を拭きながらぼくたち二人を室内にいざなった。
こうしてぼくはまんまと断る機会を逸しおおせた。というわけになる。
ぼくの打ち砕かれた夢の女、いまや積載量の多い彼女は台所に行っている。料理を持って彼女が居間にご給仕にご帰還遊ばすまでのあいだに手短に五年前のことを話しておこう。部屋は暖かく、小ぎれいで高沢さん夫婦が慎ましくやりくりしていてちゃんと家内の仕事が遂行されていることが察せられる。
「五年前に、横浜でお会いしたんですよ」
扉の向こうに今も潜むあの五年前、ぼくは単なる貧乏学生で、小説をちまちまと書き溜めながらいつか世に出ようと痴人の夢を結んでいた。かねはないが才能だけはあると自惚れていた。いや、自惚れていたのではない。そう信じなくてはなにをしていいか分からなくなるのが怖くて、信じ込んでいるふりをしていたのだ。そんなことはとっくに分かっていた。大言壮語を繰り返すたびに、ぼくは己の非才がなさけなかった。だがそれすらもいつかなるべき未来のためになると信じたかったのだ。たぶん、若いというのは、信じたいとさえ願えばどんな無茶なことでも信じられるという処に意味があるのだろう。そんなある日、ぼくは殆ど出なくなっていた中国語の授業がいままさに進行しているというのが気になってくさくさしていたので、鬱憤を晴らしてみようと、とくにあてもなく横浜行きの電車に乗った。散財するには住んでいるところから遠くに限るというのは人間永遠の真理であると思う。変わったことがしたくて変わった場所に行き、きっとそこでは変わったことがあると、いや、あればいいなと思っていたのだ。こうかくとまるで阿呆みたいに見える。そして本当はそんなことが起こる確率など万分の一もないということもしっかりと自覚していたのだ。ぼくという人間はそうした漠然とした変化への期待に定期的に自分をさらさないとやって行けない性根の甘いロマンチストの部分が含まれているのである。それでいて急激な変化は嫌いなのだ。臆病さを慎重さと計算高さで飾り付け、それを理性の美名で覆うのだ。
だからぼくが彼女に出会ったのは予定外の出来事ということになる。ぼくの知らないところで進行していた進め手の存在しない陰謀のおかげで、それを偶然と呼ぶ人もいるが、ぼくはすばらしい雨と夜と音を得たし、それまでより、すこしだけ自分の身のたけを知り、そのせいで身の程知らずなことを前より少しだけ自信を持ってできるようになったのである。駅から降りると、横浜は雨の泡が降っていた。それは甘くてすきとおっていてすてきだった。
「なるほど、そしてしりあいになったと」
高沢さんはすまして尋いてくる。真っ白な頭に黒い眼鏡が高沢さんの本音を隠して台所の湯の沸く音がかまびすしい。なにか勘ぐりをしているのだろうかと思うと疑われたことが哀しい。よく考えてみるとあの奥さんにとばかばかしいが、そう考えたとたん、冷水を浴びたかのようにぞっとして高沢さんの目の奥が恐ろしく映る。それはいまではなく、来るべき可能性の総体についての恐ろしさだった。事実ぼくは一個の疑惑を持ち込んだのだ。そしてそれは、本当のことなのだから、なにが起きても不思議ではない。
それはそれとして、彼女はいやに丸い。何を食べたらああもきれいな円になるのだろうか。とくにあの頬っぺたはぜったいなにか入っているとしか思えない。綿を含んでいるんだったら、その目的がわけがわからなくて面白いけれど。−ぼくはあっさり云った。
「ええ、でもそれきりですよ」
高沢さんは応えずに、いきなりにやにやし出した。
「それきりですか」
ここで彼女が姿を現したので、回想はお預けになった。
「なにがそれきりなんですか」
男二人は陰謀でも企んでいるかのように照れ笑いした。彼女はそのいかがわしげな雰囲気にかまわず大きな鍋をでんとテーブルに置いた。服の上からも体の段々が見え、ハワイ出身の力士を思わせる。腕は肘までまくっていたが、大根のような白さと太さで、それも動かすたびに表面が波立つのである。つまり、つねに低周波が流れているようなものである。ということはいつもエステに行っているようなもののはずなのに、どうして彼女は痩せないのだろう。
雨のなか、彼女は尋いた。映画館はどちらですか。よかったら教えてくださいな。そう尋かれて、ぼくも同じ映画館に行く気を起こしたのは、たしかにすけべこごろが交じっていなかったとは断定できないが、さりとて軟派の意図があったと云われるのは心外である。ぼくとしては親切心もあったのだと主張しておこう。映画館ではアメリカの有名な作家が原作と脚本を手掛けたという映画が上映中だった。おかしなことにあと少しで泣けそうなところだった。
けれどわざわざ不似合いに真剣に顔付きで隣の席に腰掛けたのは、たしかに親切からだけではなかった。
ぼくが茫然としていると、彼女が話しかけてきた。
「いま、なにをなさってるんですか」
驚いて顔を上げるとそこには自分の体の重さの割りにはひどくうごきの軽快なひとりのまんまるい主婦がむかしの親しみをいまに期待してぼくを見ていた。しかし同輩の口を利いたのは始めだけで、いまや夫の友人に対する口調に戻ってはいた。
「しがないセールスマンですよ」
いったいぼくはなにをしているのだろう。なにごとにも続きがあるというのが本当なら、これが続きなのだろうか。どうして現実はきりのいいところで終われないのだろう。
笑えないのは彼女がぼくの家にくるときは化粧をしていることだった。あきらかに高沢さんはきづいていたが、むしろ興味をさそわれているようだった。そのくせ手などが触れるとあからさまにいやな顔をするのでそれはそれで独特微妙へんてこりんな愛情のありかがほの見えて面白かったが、かといって頻繁にそんなことをしていると今度は彼女がおんならしい表情を見せ始めるので、桑原桑原と知らぬ振りを決め込んでなるべく家に行かぬようにせねばならぬのであった。他人ぶって面白がるのも、自分も関係者だということを忘れていられる間までの話である。ぼくはあくまでも友人の奥さんとして遇した。ぜったいに電話番号などはおしえぬようにし−われながら自信満々に何を云っているのか赤面ものだが−万全の防備を固めたのである。なんだか巨体に食べられてしまいそうな気分であったが、同時に感傷を破壊されてむかむかしていたところもあった。それでよけい悪意のある見方をしていたのかもしれない。事実はぼくもべつに清廉潔白というほどのものでもなく、ただ彼女がいまも美人でありさえしたらいやらしい媚態をしめしたのはぼくの方であったに違いないのだ。それによく考えてみたら、ぼくの自意識過剰の思い上がりで彼女に他意はなかったと結論するのが礼儀正しい処であったろう。
−ただ、あの化粧はそうすると、解釈にこまるのだ。
その日、高沢さんによばれて家に行くと、奥さんの彼女が出て、また主人は帰ってないの、上がって待ってらっしゃいなと云う。断るのも道理にたがうので、ぼくは居間に通されるままになった。
それから二時間ほどしてぼくは寝室にパンツ一つの情けない格好で座っていて、何故なのか心から不思議がっていた。後悔とか満足とかそういうことではなかった。事態は受け入れられてしまった。ただひとつの疑問、何故が残った。ぼくはその答えが知りたかった。なぜそうなったのかさえ分かれば、すべてが氷解するような望みを託して、ぼくは考えていた。
ひとつひとつの動作は、不自然なものでも、性的なものを暗示するものでもまったくなかったのだが、振り返って特定の立場から眺めると、まるで共謀的な脚本が存在したかのように見えてしまうのだった。始めに、ぼくがドガの話をした。すると彼女が彼の複製の絵を持っていると云った。ぼくは見せてほしいとお愛想で云った。彼女が持ってくると云った。ぼくは退屈していてほかの部屋も見てみたかったので、
「見に行きますよ。何処です?」
寝室にはカーテンで締め切ってあって暗かった。彼女が電気を付けようとしたとき、ぼくが蹴つまずいて軽く彼女に触った。で、
「え?」
どうも、手を撥ね除けられたのでぼくはびっくりしたらしく、バランスを崩してしまい、しかしそこまでは暗かったから引き返せたのだが、如何せん、彼女に抱き起こされたとき、条件反射的に、その顔に口づけしてしまった。同時にぼくは要らない好奇心を抱いたようにも思う。服の中身についてである。普通の下着ではあるまい。それはよぎった想念にすぎないのだが、うっかりそれに気を取られてしまったのかもしれないとも思うのだ。
と、ぱっと電気が点いた。ぼくの背中がスイッチに当たったらしい。
ぼくはといえば髪を乱して、逆上気味に自分より二回りは大きい体に抱き着いており、彼女はというと、驚いた顔に朱が差して、徹底的にあらがっていないのをごまかすすべもなく、どちらも次の動作に逡巡して、えらく間の抜けた眺めだった。
だいいちぼくは何処から手を付けるべきか真剣に戸惑っていたのだ。なにせ、背中に手が回らないのである。
ともかく、ぼくは再び電気を消した。で、彼女に尋いた。
「あれは?」
情けないこと夥しく、その問いの格好悪さだけでも、ぼくは一瞬思い止どまろうと考えたが、云ってしまった。
かくして騎士は鎧を纏い、古今未曾有の戦いに赴く。といった趣で、品はないがそれも仕方ない。ぼくは、横浜以来、堕落したまま生き続けているのだ。
それにしても何故だろう。よくよく考えると、意識しているだけの出来事や理由でこんなふうにことがうまく運んでしまうことなどあり得ないような気がますますしてくる。彼女が、高さはほとんどなく、むしろ、シールのように張り付けてあるとしか思えないブラジャーを付けているのを見ながら、今頃の生地の丈夫さに感心しながら、余り肉がだぶだぶというのではなく、彼女は充実した、中身のある太り方をしているのだと気づき、これは着痩せしていると云うのかと疑いながら、ぼくは何故なのだろうと考えていた。これからどうするかは、あまり考えなかった。あまりにも何故かという問いがぼくの心を強く引き付けていたから。
ここに及んでもぼくは何の現実感も湧かないのである。一方で、そのくせ、彼女がやはり彼女である確証を得たような気がしているのだから、勝手である。もしかすると、そうした確証が欲しかったのだろうか。そのための儀式として、あれがあった、と。しかしあれはべつにそれほど大層なものではない。べつに一般化しなくたっていいが、なにか本質的なことを理解できる手段としては会話とどっこいどっこいなのじゃないだろうか。少なくとも、ぼくがいまそう感じたということは、所謂確証と云うのには、何の根拠もないと云うことで、その結論に達してぼくは少し安心した。
で、服を付け終わった彼女が何にも云わないので、ぼくはいささかならず不気味だった。まさか、何故かなんてことの意見を、彼女に尋くわけにもゆくまいし、話すこともなかった。
寝室を出ると、ぼくは何故か泣き出したいような気分になった。これからずっと、素朴な疑問と絶望感と郷愁のないまぜになった何物かにぼくは襲われ続けるのだと予感がした。
いっそ、再び、一方的に押し倒したら、気持ちのけりは早くついただろう。あるいは、高沢さんに公開してそして自分を愚劣さの列のなかに押し込んでしまえれば。行為の意味を単なる欲望と出来事にしてしまえれば。それで生じた高沢さんとのごたごたを解決しようとあがいていれば、少しは気が紛れただろう。けれど物語はいつだって続く。後の事を考えればそんな身勝手なことには未来の自分も過去の自分も反対するに決まっていた。なによりもぼくは自己を本当に嫌悪することに耐えられそうにない。いつだって現在のことしか考えようとしない衝動家のミスタ・リビドーは賢明だが思いやりがなさすぎる。だいいち、そんなもの、ただ落ちがつくだけにすぎない。物語には結末が必要かも知れないが、この世界の現実には結末なんて存在しない。救い出されたお姫様は三日後には見知らぬ国の王子となんか、性格の不一致で別れているに決まっているのだ。別れていればまだいい。だらだらと結婚したまま、おたがい愛人を作ってそれでごたごたもめているかもしれないじゃないか。ぼくの王女様はただ太っていただけだ。論理的にも倫理的にもたいしたことじゃない。むしろこれは滑稽なハッピー・エンド、だからこそけりがつかない。本当に問題なのは時がすぎたということだ。そして彼女には夫があるということ。ぼくが肥満に必要以上に拘ろうとしているのは、その本当のことを覆い隠したいからだろうか。けれどそんな理屈よりもぼくには目の前の巨体の方がリアルだった。本当のことなんて、たぶん隠されているから本当のように見えているだけで、彼女が太っていなかったならばぼくは何も感じなかったかもしれないのだ。それだって十分ありうることだ。ぼくは迷宮に好んで踏み入ろうとしている。ぼくは考えるたびに答えることを否定した。それは結局はたで見ていれば、堂々巡りをしているに過ぎない。ただ、一周毎に理由づけの言葉がながくなっていくだけだ。
くだらない。だがそれはやめられるかどうかとは全く無関係だ。それは、ぼくがかつて物語をかかなくてはならなかったのと同じくらい、必然的なことだったのだ。かくことは、ぼくが本当に体験することを逸した過去を、もう一度まったくべつの形でたどること、順序も組み合わせも変貌した姿で。痕跡を残すことで、きらめきは愛となるのだろう。それは夜に輝く見えない航跡だ。青白く天にちりばめられた鉱石は、きっとしずかに舞いを舞う。
きっかり七日後、高沢さんとぼくはまた同じ道を歩いていた。商店街を過ぎるころ、ぽつりと高沢さんが云った。
「わたしには夢があるんですよ。一度でいいから、偶然ではなく狙って最高の万馬券を当てて、で、それできっぱり競馬をやめる。そういう夢です」
「何でそれでやめちゃうんです?」
「御厨さん、万馬券をいったん当てたら、それも、十分な額をかけ、期待と自信をもった上でですよ、もう、何のために競馬をやるのです。つきは二度とやって来ない。もし、当てても、それは、狙いが当たっただけのことですよ。もう、自在に当てられるのですからね。そんな分かり切ったことは、あまりに退屈じゃありませんか。その何処に興奮があるのです」
ぼくは反論したかったが、何処が気に食わないのか云い表すことができなかった。
しばらくしてぼくはべつのことを云った。
「そういえば、奥さんとはどうやって知り合われたんです?」
高沢さんはにっこりとお笑いになった。
「知りたいですか」
さて、ここに散文的な物語が有る。登場人物は三人、楽隠居で物好きの壮年紳士T、そろそろ結婚に憧れ始めた商事会社のOL、それから、その同僚のK、物語はごく単純だ。TがKにちょっかいを掛ける。きっかけはなんと子豚市場での軟派だ。しかし勿論、永遠の傍観者を気取るTにはそれはあまり本気ではない。Kがそのうちのぼせ上がる。で、ここでTがKを殺したりすると三文犯罪小説みたいだが、Tはだんだん、きわめてデリケートに余所余所しくなる、この辺りの機微は苦心のしどころで、ここでようやく友人の登場となる。ちょっと探りを入れて来て、で、探りを入れると、これがのらりくらりと実に礼儀正しく感じがよい。断るすきもないような用事で、彼女をお茶に誘いまでする。Kもさるもの、そのことに気づく。しかし、本人はまだそんな気がしない。Tは友人、と云い張る。おきまりの喧嘩ざたと気まずい疎遠、そのうちにもTはけっしてKを忘れていない。そうこうするうちKにお見合いの話が来て、どういうわけか彼女は乗り気になる。すると、Tは本能的に前より優しくなり、一方友人の彼女は面倒臭くなってくる。
ある日、非常にさっぱりした顔でTはKにさよならを告げられる。で、Tは彼女とも会わなくなる。これが最初の一年、で次の年なかば、Kが交通事故で死んでしまい、Tと彼女は葬式で再開し、そこから、付き合いがなんとなく始まり、茫然としたような、恋愛とも情欲ともつかないまま、まるで家族のように、友人のように、なんとなく二人は結婚してしまい、今に至る。
「なりゆきですな、云わば。それから私も女遊びはしなくなりましてね、競馬だけですよ」
聞かなきゃよかった、とぼくは思い、また、聞いて良かった、とも思い、とにかく返事をしなかった。
太り始めたのは、妊娠してかららしいが、その子は流産したそうだ。本人からそのことを聞いてぼくはますます索漠としてしまった。自分のしていることと引き比べて、どうも、ぼくは単純すぎるような気がしてならない。
高沢さんは自宅に帰り着くと、居間の食事の席で、仕返しなのか、彼女にぼくと知り合ったときの話を振った。
「どうだったんだ?」
高沢さんは彼女に対しては単刀直入である。
「あら。聞きたい?、」それから向き直り、
「覚えてます、横浜のこと?」
彼女が尋く。覚えているとも。世界が火に包まれても忘れまい。しかし、ぼくは自分自身の情けなさから目を反らしつつ、礼儀正しく答えた。高沢さんは苦笑を押さえるような顔でぼくの顔を見た。
「雨でしたね」
彼女はエプロンで両手を拭いて台所のぼくも座っているテーブルについた。椅子が軋んだ。この体の中に、あの、彼女が埋もれているのだと思いかけた自分をぼくは許すべきではない。しかし、彼女のだしに彼女を使うなんて、ぼくはばかみたいだ。だがいまぼくの中では二人の彼女は分裂し並在しているようなものだった。たしかに、この四五年の多くのことはそんなに短時間にぼくには消化しうるものではなかったのだ。
「どうしてそれから会わなかったんです」
高沢さんが尋いた。ぼくは吃驚した。慌ててまるで公式的な答えを思わず漏らしてしまう。
「さあ。本気じゃなかったんですよ、きっと。まだ子供みたいなものでしたからね」
ぼくは高沢さんの意図も神経も分からなかった。話してくれた意図さえも。もしかすると、高沢さんは、いまも退屈に憑かれ、好奇心に憑かれ、魔に魅入られた人物なのかも知れない。だが、ぼくにはあの話を聞いてからなにも分からなくなっていた。
「へえ」
高沢さんはなにかを嘲るように云った。同時にその顔はひどく悲しげで、もう少しで何か決定的な言葉が現れそうだった。しかし、高沢さんは顔を歪ませたかと思うと、ふいに何かを考えたようで、急に悄気切った顔でうつむき、小声で「どうぞ、食べてください」、と云った。「電話よ」と、彼女が云った。
確かに電話が鳴っていた。
彼女の身長は百六十五センチで、体重は百六十五キロ。ある種の韻を踏んでいる。病気に近い。事実はいつだって皮肉な顔をしている。しかし本当は何処にも皮肉なんてないのだ。偶然はいつだってもの云いたげだが、その啓示は幻に過ぎない。彼女はラッシュ時には何もしていないのに白眼視される。場所ふさぎだからである。そういえばお相撲さんはどうして暮らしているのだろう。しかし彼女にはとくに世話してくれる弟子もいない。当たり前か。いたら愉快だが、−とうとばれるべき人々に天の加護を−そういうことに彼女はしかし一切気づいていないように見える。その分厚い視線への皮膜が本物なのか尋いてみないと分からないが、ぼくとしてはそんな無作法をするつもりはない。その必要がなければ。
「すいません、失礼しますよ」
最初は、何が意識のはしに手を伸ばして来たのか、よく分からなかった。彼女が高沢さんと話しているのを耳にしながら、ぼくは、あのときのことではなくて、あれからのことを、思い出していたのである。藤原と康貴と田中の今は知らない消息のことを、あのころはまだ、田中は、やって来たばかりの都会に立ち向かおうと、必死で標準語を話すまいと頑張っている少年だったことを、考えていたのである。と、高沢さんが電話に立った。ぼくは彼女に話しかけられたのに気づいた。
「眠るたびに、同じ夢を見るということがあるって、ご存じですか? わたしは、いつも決まって見る夢があるんですよ。それは続きものの時もありますし、全然前に見た夢と、かかわりのないこともあります。それでも、いつも、ああ、この夢だ。いつものあの夢だって分かるんです。おかしいかしら。御厨さんはそういうことはありません? いつも、その夢でわたしは気が付くと水没した校舎の屋上にいるんです」
見渡す限りは海に沈み、浸水は校舎の隅々にまで至っている。水はくろぐろとはねかえり、壁に張り巡らされた蔦は腐って落ち掛かっている。あたりは静かで、屋上から降りる階段の下には水がやってきていて、たくさんのいまはもう忘れられた雑誌や教科書が浮かんでいる。机は漂流し、ダムをつくり、腐り、藻類の巣となり、ひとこともしゃべることのない魚たちが底の方で遊泳している。つめたい水、くろく、危険な水の底で、そこで彼女はなにかを探している。潜ってはなにかをつかみ、屋上に戻って見つめると、それは古いスリッパのこともあるし、古い教科書のこともある、たいてい、違う、ということだけが分かる。そこではいまなお二十代のすらりとしたルサールカのような姿体と美貌を保っている彼女は、底知れない絶望に浸されながら再び浸水した建物に潜る。拾い集められたものは屋上にびしょ濡れのゴミの山を作る。それがうずたかくなればなるほど、彼女の憂悶は深まって行く。そうして、目が覚める。
「いつも、わたしはどこか古い建物で何か大切なものを探しているんです。それさえ見つかれば何もかも変わるのに、って。いまの生活に不満があるわけでもないのに、」
彼女は肉体に埋められたプロメテウスのような受難者に見えた。そして、その大切なものをぼくの背中の白い壁に探るようなとおい表情を浮かべた。すると、胸のなかでなにかがはじけた。
「そこには、図書館がありませんか」
彼女は不意に緊張してうべなった。
「いつも、あります。でも、行き着けないんです」
ぼくは立ち上がった。彼女の目はぼくを見ていた。ぼくは目だけを見ていた。ほかには何も見えなかった。ぼくらはいつまでも、にらめっこしていた。だがこの彼女の答えが本当のものだとどうしたら云い切れるだろう。だが、強引に繋げられた瞬間から、彼女は本当に、図書館を夢見るようになるのかもしれない。しゅんしゅんと湯の沸く音がしていた。ぼくは先に目を逸らした。ラジオから流れていた曲が何だったのか思い出していた。あの映画のエンディング・テーマである。ぼくは目を伏せて、こまった。
ぼくもまた、あの日以来、古い図書館に閉じ込められ続けて来たのだ。眠りに落ちるたび、浸水と戦いながら、ぼくはどんな手段を使ってでも抜け出そうと努めたのだが、一度たりとも成功しなかった。ときおり、どこかで壁を叩く音がしたようなときもあったのだけれど、ぼくは過去の記されたずぶ濡れの書物の中に閉じ込められて来たのだ。
しかし、扉があいたとしても、ぼくら二人はつめたい暗い水に溺れてしまうだろう。行為がそれ自体としては何物でもなかったように。そして、溺れ続け、沈むことはできないのだ。
「それじゃあ、」
とぼくは陽気さを装って云った。それがどれだけ残酷なことばであるかを味わいながら、
「またそんな夢を見たら、どうか大きな声で叫んでください。水のそこにも聞こえるように、闇のなかにひそむ哀れな魚たちにも記憶されるように、さようなら、と。そうしたら多分そんな夢は見なくなると思いますよ、単なる思いつきですけどね」
ぼくは意味もなく笑った。
彼女がなにか云おうとしたとき、高沢さんが帰って来た。
「間違いでしたよ」
ぼくは香取洋子という、見知らぬ、彼女の亡き友人のことを思っていた。
夢の中で、ぼくは考えるのだ。はてしもない時を持て余しながら考えるのだ。この壁を打ち砕くべきなのだろうか。もはや取り返しのつかない時を逆行させることに、どんな意味があるのだろうかと。そして、いつか彼女がその言葉を夢の中で云うべきだと感じたときまでに、その答えを出さなくてはならないと。愛する人はいつも突然去り、突然見知らぬ人となって再会させられる。ぼくはどうするべきなのだろう。重くぼくを囲繞するくろくつめたい水のなかで、過去に覆われた古い図書館のなかで、ぼくは果てしもなく考えるのだ。そして、生きてある限り考え続けねばならないことを予感するのである。
そしてくだらないことに、ぼくはいまも高沢さんの家に行くことをやめていない。待っていれば、変化は、ぼくが考えることを回避している間に、訪れてくれるだろうか。いや、すべては、苦痛に満ちた真実が示すとおり、ただ続いて行くだろう。そして結局、ぼくはそれを乗り切ってしまうだろう。
ぼくは考えている。彼女もまた考え続けていることに思いを馳せながら、考え続けている。
いったいぼくらはどうするべきなのだろうと。何処にもない救いをあてどなく捜し求めながら。
そして、高沢さんは。
ぼくはいま、なぜかひどくかなしいのだ。