縁側と灰皿               城野ライト一號

 煙が青空に立ちのぼっています。
 親族が喪服で立ち並んでいます。そして、祖父は紙を反故にしてばかりいたのでした。祖父はいつか小説家になると固く信じて生きていました。実際にはトウのたったフリーターに過ぎなかったのですが、祖父はきっとどんな失敗もその作品を書き上げたとき正当化されると思っていたに違いありません。
 祖父の一生の成果とも言うべき原稿の山がいまわたしの手元にあります。これを見るとわたしは、情けなさと惨めさで笑うしかないという心持ちになります。祖父は基本的に横着な男で、自分の身辺の出来事を題材にして、自分の好きな作家のスタイルで作品を書こうとするのですが、いつも途中でいやになって反故にしてしまうのでした。ですから、祖父の残した原稿で完成されているものは一つもなく、何を考えて書いたかが、まるで日記のように透明で、それでもこの原稿をいつか完成させようと残して置いた祖父の悲願があまりにありきたりで、失敗しましたねえとと生きているうちに祖父に言って置くべきだったのかもしれないということさえ、思われてくるのでした。なりえたかもしれない、祖父の他の姿をこそ弔わずにはいられません。明らかに、祖父は失敗したように思われます。
 祖父の葬式は亡くなって三日後に行われました。この葬式は傑作で、謹厳実直なうちの親族が一方に座り、成功者然としてものやわらかな祖父の友人の、作家やいまだに祖父と同じようにしょうがない連中が押しかけて来て騒いだのです。作家せんせいの何人かが申し訳なさそうに謝るのですが、うちの親族もさるもので、「こんなものだと思っていたましたから」と、どうやら、有名な先生たちも同類項とみなしているようでした。
 父はじつに情けない表情で肩をすくめたのが、ゆいいつの反応でした。祖母はもう三年前に亡くなっていましたが、そのときには父はしばらく押し黙っていましたから、もともと口数の多い人間ではないとは言えます。母は、こう言いました。「原稿はどうしたものかしら」
 この原稿はせんじつ誤って燃えるゴミの日に出してしまいました。ひどいとおっしゃるかも知れませんが、こうなってみると、これも祖父にはお似合いの結末ではないかとも思われます。
 それにしてもはたして祖父は本当にその小説を書くことができると信じていたのでしょうか。いちばん新しい日付は亡くなる三日前ですから、書くのを続けていたのは確かですが、その内容と来てはひどいもので、これが実験というものなのかも知れませんが、少なくともわたしにはさっぱり分からない代物でした。その原稿は前にも言いました通りゴミに出してしまいましたから、けっきょく、「真実は闇の中」、という訳です。とはいえ、わたしはあの祖父のことですから、たいしたものだとは思えないのです。
 祖父の屍体がそろそろ燃え尽きたころです。母は喪服でうつむき加減です。父は、ひきつった情けない微笑で焼却炉を眺めています。祖父はとうとう骨だけになってしまったのでしょうか。わたしは学生服で、両親と少し離れて別の建物の白い壁を見ています。よい天気で、係の人が、不謹慎にも焼くのに最適な日だなどと口を滑らしたほどでした。死んで焼かれて、やっと深刻な雰囲気を醸し出すことに成功した祖父という人間は、うっとうしい位の一生の執心からようやく自由になったのでした。しかし、もしかすると祖父はいまだに冥界でも何か書こうと甲斐のない努力を繰り返しているのかも知れません。わたしはそう考えて、鬼たちに深く同情していました。どんなに殴っても血の池で茹でても、これはネタにできるなどとふまじめなことを考えている死人は、ひどくいやな、迷惑なものに違いありません。まったく、そう考えますと、祖父は、結局だれも満足させることのできなかった、そしてもちろん自分自身もたいそう不満であった一生であったのでしょう。
 父がわたしに言います。「数哉、お祖父さんに挨拶はしたかい」葬式ではわたしは挨拶はしませんでした。祖父の涸れた体を焼くにはおおげさとしか思えない火の音を聞きながら、わたしは「うん」と振り向きました。急いで神妙な顔をして。
 そろそろ祖父の屍体が魂魄ともに失われたころです。母が、涙をためています。葬式でも泣かなかったのに、何が「琴線に触れた」のでしょう。母は確かに泣き虫ですが。わたしはびっくりしてて母の嗚咽を聞いていました。祖父は、ほんとうに仕方のない男だったのです。母は、心から泣いているのですかず、途中から、誰のために泣いているのか分からなくなってしまうという悪癖があって、今度もそれではないかと、わたしは母の若作りの顔をまじまじと見つめます。「人間って、燃えるんだなあ」父がまるでそれがなによりも重要な発見ででもあるかのようにつぶやきました。黒いスーツが、実直そうな見かけによく調和して、その言葉に、不思議になんとはなくの説得力を与えています。しかしそれには何の根拠もない訳で、わたしはそれは燃えるだろうなあと思いながら、煙を見ています。
 祖父は紙のように−燃えています。