時の隙間
何をしているのか自分で分からなくなるときがある。どういう意味だか自分でさっぱり分からない。こうして書いていても、何を言いだすのか見当がつかないのだと告白してもいい。いい加減すぎるといわれるかもしれない。全くだ。そんなのは見せるべきじゃない、とも言われる。それもそうだ。あんまりだ。分かってないとはいっても、知るもんか。
みむねのてんにおこなわるるがごとく……
こんなに日常が腐っていると、思索でもはじめてしまいそうで怖くなる。だめになっていく音が聞こえる。はっきりとした音だ。比喩じゃない。脳味噌がとけてゆっくりと流れていく渇いた音だ。おれは脳はいちばん乾いた器官だとおもっている。
なにも材料がないし、実際、年末年始ときたらずっと部屋にこもっていて、ゴミ捨てぐらいしかドアをあけていないのだ。テレビに中毒みたいにつかりっぱなしで、そうでないときは、がつがつとめしを食っている。そして一日千秋の思いで恋人みたいに待ちこがれているのは日育奨学金の振り込みだ。気が狂わなければどうかしている。いや、こういうのを拘禁性障害というのか。
このまえの日曜にははじめて近所の図書館を探しに行った。場所のあたりをつけにいったのだ。臆病だから、迷いたくなかったのだ。ジンクスみたいなもんだ。休みの日に場所を確かめておいて、いざ本番にはスムースにたどり着く。泣きそうな話だ。
実際感動で涙が流れてくる。だらしない流れ方だ。もう感性なんてどこにもないんだと泣きつけば、ともだちにはがつんと殴られる。もっともだ。いっそお酒でものもうかと思ったがお子さまなのでもってやしないし、そんなかねがない。図書館を探している間はとても意味のあることをしているような気がした。ようするに、自分の意志で自分がうごかせるというのはいいものだ。決断と意志。ヒトラーとおなじモットーだ。
帰ってきて郵便受けを見ると請求書をいっぱい発見してうんざりはしたがめげはしなかった。ないんだから知るもんか。へこむのはあるのをどう配分しようかなやむときだけだ。あとはぼんやり成り行きにまかせていればいい。気楽なものだ。天下太平だ。空爆なんて知るもんか。
……せいなるかな、せいなるかな、しゅなるかみ……
もうすでに屑なのかもしれない。なにせ売り込みすべきポイントをいまさっぱり思いつけないのだ。スキルなんてへんな外国語だとしか感想がないし、我慢づよくも覚えがよくもない。
記憶が悪い。穴が空いているというよりは多分、保ちが悪いんじゃなくてはなから憶えていやしないんだろう。注意力が散漫なのだ。感じてる現実は半分くらいしかないんじゃないかと思って怖い。とても怖い。眠れるときはほとんどない。記憶はいつも文章だ。絵や動画や音声つきの記憶なんてぜんぜんない。というかそんな記憶なんて実在するのか?
おれは幻覚もみたことがないし、目の前でおきてないことを見たことも聞いたこともない。記憶は言葉だ。言葉の記憶しかない。こういうことがありました、という描写の文章を思い出す。情景は、その言葉の連想だ。花という言葉からなにかの花を想像する程度のことだ。おれは自分の記憶をことばから想像して疑似体験する。おぼえてやしない。
ああ、そうだ。感覚はおぼえてる。主観的な気分だ。そういうんなら憶えてる。きもちいとかわるいとか、躯の姿勢とか、かなしさとか。
うみのにおいとか。
だから、くりかえしが苦手だ。記憶はできるが修得ができない。いつもそのつど、記憶から判断して意識的にやる。自動的になにかできるのは基本的なことだけだ。食うとか寝るとか、歩くとか、息をするとか。それも気をつけないと、意識的にやろうとしているときがある、これはやばい。
……たえがたきをたえ、しのびがたきをしのび……
もしかすると、この世にあまり興味がないのかも。ありそうなはなしだ。生きていることには興味がある。女の子にも、おいしい食べ物にも。だが、そのほかのことにどれだけ興味があるのか。分からない。
こいつは駄文というやつだ。構想も、目標も、目的もない。だらだら吐き出しているだけだ。きくほうも苦労だし、書く方だって可哀想だ。
空をみると吐き気がしてくる。本物じゃないくせに大きすぎる。こんなに大きいものは存在すべきじゃない。部屋に入れて腹が立ったらお払い箱に出来ないようなたぐいのものはみんな間違いだ。
そういうおれが間違ってる可能性は高い。結果から経験論でいけばまちがいなくおれに間違いが配当される。確実だ。
雨が降る。そういうときに部屋の中で踊り狂う。悪夢から覚めようとねがう。
神聖なものすべてからあまりにも遠い。流しには汚れた皿。
なんてことだろう。