雨と殉情

 序
 これらの詩というべくもない断片はすべて梅雨になったがゆえに雨滴を縁として題にかかげ、わがこころただ無為に焦りにとらわれるがゆえに殉情を主題に採る。ねがわくば、詩ならざることを責めることなく、ただその旋律のかたることに耳を澄まし慰みとして愛でられんことを。



  この厳粛の旋律ゆえに


 わたしは祈ろう、この静謐の痛みのために
 あまりに愛がなげくゆえ、この沈黙をきざみこもう
 しりえぬことの多さのために、悲しみを滅ぼそう
 愛があまりになげこうと、そなたの心はここにはない
 ゆえこそ祈るほかにはない、そなたの渇きの癒える日を
 いざ、この静謐の悼みのために

 時こそ今、香炉はかおり、悲惨はあまねき、ただ、偽り薫り
 なにゆえに、そなたを想うかしりえぬ、ゆえこそ、ただ哀れにも
 わたしはあまねく妄想し、その羽ばたきに火をつけよう
 紙切れに似てすべてに炎はもえうつり、忽ち空に溶けてゆく
 軽きこころに胸躍らせ、吐く息に紙切れは舞っていく
 そなたのこころは偽りに、あまりに愛を託すゆえ
 ただかろき時のみがはかられて、わが心を流露する

 この静謐の痛みあふれ、この厳粛の旋律ながれ
 わたしの愛はこわれゆく
 ゆえこそ祈るほかにはない
 その一瞬の至る日を
 声のみが空気を領し、痛みにゆるやかなカーブを刻み、
 そなたの傷みを、聴く耳をなしとげる
 わたしの愛はこわれゆき、その幼さの滅ぶさまを
 なおゆるやかに感受する
 その秋の日のまひるゆえ、時こそ今と
 黙して静謐の祝祭をまちのぞむ

 いざ、この静謐の、いたみのために
 ざわめくわたしの愛の名は、
 名も知れない厳粛へと祈りゆく


   純粋墜落の手紙


 Xが恋をしたという、なんとめでたい、ことだとYがいう
 おお、それゆえになにものも言葉を持たない
 Xが身を投げたという、なんとかなしい、ことだとYがいう
 してみれば友達よ、自殺にはきっと抒情があるさ

 この抒情をZは追い求め、ひとでなしの国へとついた
 ひとでなしの国では歓待が、三日三晩も続いたが、
 そのうちでひとつたりともZのこころを砕いたものは
 ただそれらが立派にひとでなしであったということだけだった
 してみればいとしき他人よ、抒情にもきっとうそがある

 しりあいにはツイラクばかりしていたせいで
 いまや恋もできない馬鹿がいる、そいつの顔は赤ら顔で
 そういえばYにどこか似ていた
 純粋墜落は瞬間になしとげられ、
 どんな抒情もその光速度には追いつけない、のだという

 なんということだ、わたしは詩を書いている
 Xの恋にさえおののくこの今をどうして描く要があるだろう
 なんとめでたいと、Yはいうが、いったいめでたい恋があるものか
 してみるとこういうときに、ひとは墜落をおもうものらしい

 XYZとならべてみると、この数学はどこかわざとらしい
 いったい抒情のどこに亀裂が空いて、この落下の風速をしめすのか
 確かめようと無謀な算段、わたしは断崖へとおもむいた

 見よ断崖のなにげなさ、見よ断崖の遍在を、
 書かれた看板はあまりに陳腐で朽ちていた
 身を投げるこの瞬間に、ただついらくのおわりを想う
 ついにらくにのついらくならず、ただ光速の無軌道は
 遂に落下を妨げる、だが断崖はなおそびえ、
 晒した身には風が吹き付けている、いったい何の恐れかは
 見当だってつかないが、
 ふと墜落の午後ともなろう、そんな風に当てられて、

 ようやくわたしはXからYへとわたりZが署名した手紙を
 紙ヒコーキにして飛ばしたのだった
 それにしても友達よ、こうしたことをあれこれ見ると、
 どうも純粋墜落は、他愛もない遊戯らしい
 飛ぶことなどは元来ひとの身に備わった
 ひとつの無邪気な権能なのだ


   雨の真昼にささぐ


 そのとき降っていたのは果たして雨滴だったのだろうか
 疑いははるかにふかく、灯台へと至るのだった
 灯台に照らされたすべての海の領域で行われる、
 残酷な営みのすべてにくらべればそのときの、
 真昼のアカルサほどこころに絶えたものはない
 そのとき降っていたのはもしや黄金のはさみだろうか
 すべての琴線の断たれるうつくしい音が聞こえていたのだろうか
 あたかも沈黙のながれるように、運命はゆっくりとずれていくものだ
 海面では静謐な鏡であっても、内部では静かでゆるぎないずれが見られる
 暗黒の中で魚たちが食い合うように、ずれにはわずかなきっかけしかない
 そのとき降っていたのはなにより遙かな放射線だったのだろうか
 ひとつの町の生命を忽ち死滅させる中性子の、致命的な流れだったろうか
 なるほど太陽はそれほど過酷ではない
 だがどんな真昼にもましてそのときには、
 蠢く深海のざわめきのように時間は渦をまいて動き出していた
 そのとき降っていたのはすれば、いったいどんな掟だったのか
 こころより、疑いを叙す


   まだるっこしい悲しみ


 わたしは盲目の娘なのです
 いっそ、その針をこの目に突き刺してください
 わたしは愛したいのです
 なによりもこの悲しみと呼ばれるものを解き放ちたいのです
 どんな針でも良いのです、ただあなたの存在をしらせてください
 わたしを認めたといってください
 真夜中、わたしはひとつの耳となり肌となり
 あなたの声だけを生きるのです
 どんな枯葉でも落ちるべき地面のことを知っています
 それだからいっそ、その針でこの目を突き通してください
 わたしは水のことも空のことも知らないのです
 それだからわたしは盲目の娘なのです
 どうか、このおののきを、かえしてください
 枯葉のように、わたしを朽ちさせるすべをしらせてほしいのです
 そうです
 わたしは盲目の娘なのです


 殉情のうた


 恋愛という掟をおそらくわたしは知らないのだし、
 好きだという言葉にもなじみはない、となれば、
 みだりに口にすべきではないものを、
 典雅にすますこともなく、みだりに愛する勇気もしらず、
 なぜわたしは生きているのだろうか?

 好きだという言葉が抒情であれば何でもないし、
 それが契約であればなおさら何でもない
 知らぬがゆえに口にしなければ、まして何でもない
 いきおいならば無理もない
 おそらくわたしは混乱して、自分に空いた亀裂に適した、
 言葉をひとつみつけたのだろう

 こうして嘘つきは嘘をつく
 わが殉情はにせものならず、ただ真正というには月足らず
 いまだ幼い子であるに過ぎないが、なお殉情といって恥じない
 ああ、これすらもなんという衒いの物言い
 わたしはただ自らの罠にかかって出ようとしたときに
 この殉情をつかんでしまったというだけなのだ
 偶然はさいころではない、ただの糸巻きだ
 糸巻きには毒が塗られていて、一千年の茨の眠りへと導く
 それだから、好きだという言葉にはいくつもの謎があり
 単純さのあまりひとを絶句させる

 なぜわたしは生きているのだろうか? 陳腐な問いを発したものだ
 この蛮勇の問いに答えれば、ただ慌てた殉情をみるにすぎない
 みだりに愛すべき道をしらないのは、ただこの混乱のためなのだ
 こうして嘘は問いへとかわり、言葉は何も生まなくなるんだろう

 無償の愛など言葉にすぎず、
 殉情はそのまえでいつまでも恥じている
 いかなる言葉のまえにもわたしは殉情をおくだろう
 とはいってもそれがなにかは知らないのだ

 千の可能なむすびつきのうち、どうしてこれにたどり着いたのか
 わたしはただ言葉の勉強をはじめなければならない
 あらゆる言葉を学び、ただひとつの言葉を見いだして、
 この殉情をあなたにつたえなくてはならない

 ただ、この不安だけがほんとうであるようなさざめきへ
 この流露するなにものかを紡がなければならない


   あわてもの


 ざんざん降りのあめのなかでひとりの男が傘をとじた
 これだけ降っていれば水位が高まり、いまに傘を浮き輪の代わりにして
 ぷかぷか捕まらなきゃいけなくなるさと男はかんがえていた
 あめはかれのこころのなかだけであふれ出した

 ざんざん降りのあめのなかでひとりの男が道ばたの子猫を見捨てた
 これだけ降っていれば風邪を引いて、かなしく苦しむに違いない
 おぼれて死んだ方がまだ目が開いていないだけいいさと男は考えた
 あめはかれのこころのなかでだけ寒さとなった

 ざんざん降りのあめのなかでひとりの男が恋人を見失った
 これだけ降っていればどうせ流されているだろうし
 醜くなった死骸を見るよりはいいさと男はかんがえるのだった
 あめはほんとうにかれのからだを冷やしていった

 ざんざん降りのあめは傘をさえ流していった

 ざんざん降りのあめのなかでひとりの男が女をさがしている
 これだけ降っていてもなにもかもが流されるわけではないし
 なぜかわたしは足をとめられないと男はかんがえていた
 あめはあわてものを濡らすことをやめなかった
 あめはかれのこころのなかでだけ旋律となっていた