SUMMER WIND
そんなとき、彼女と出会った。美しい女性だった。そしてぼくには理解出来ないような何処か不可解なところがあった。ぼくは彼女を理解したいと思った。……そんな訳ないだろ。ばか。
「あ、あいつの彼女? 十人並みかな。無理してお高い女を気取ってたみたいだけど、うん、いまは確か……OLやってんじゃないか?」
知らないよ。知りたくない。知ったら、知るとき。知れば。
あるとき、彼女はぼくに云った。ねえ、どうしてそうなの? そう云われても困るよ。こんなふうに出来てるんだから。仕組みを説明してあげようか? 理科図鑑を思い出すわたし。
ばかじゃないの? …だって、遺伝子がさ……。
ぼくはそのころ、最悪の状態だった。と、本人は云っていた。
その辺が最悪ね。
彼女が分からない。でも引かれるんだ。人、それを単に惚れたと呼ぶ。
例えば、こんな話。
ぼくは遊園地で特撮ショーをやっていた。ぼくはヒーロー役で、彼女は怪人役だった。ぼくらの格闘は、誰にも分からない対話だった。と本人は云っていた。ぼくは声で彼女が女性だということしか知らなかった。中身を見たことはなかった。何度も見ようとしたのだけど、偶然に妨げられた。そしてある日、中身をついに見た。
がっかりした。脂汗が。湯気が。骨格が。どれを取っても、ほら、ねえ?
…どうしてそうなの?
だってそうなんだもん。
こんな話もある。
テレビが「あなただけに教え」てくれるから、何万人もがこっそり訪れるある海岸で、ぼくは「流行に惑わされないオリジナルな」とファッション雑誌に載っていた服装で、「海、高収入、女の子一杯、一石二鳥」といういかがわしい広告の海の家のアルバイトをしていた。とはいえさすがに「自分のなかの可能性を引き出し、人とは違う本当の自分らしさを見つける」などというみんなやってることをしていた訳ではありません。もう大人なのに…と思うほど散々久しぶりによく怒られた。海の藻くず以下の扱いだった。ひどいことに、べつに本当はいい人だった訳でもなかった。お約束に反している。こういう場合は嘘でもそう振る舞うべきものだ。だからぼくもべつにいい思い出にしなかった。そしてぼくは彼女にクッキーを買ってあげるためのお金を稼ぐために働きながら、かわいい女の子と小鳥のように恋を交わした。誰もそれは矛盾だと教えてくれなかったし、だいいち、なんだか、そういうことをしないと流行後れのような気がして。彼女がクッキーをほしがったのは後に残るものはいやだから食べられるものがいいのだそうだ。
それに、暑かったから難しいことは考えられなかった。
その代わり帰りの新幹線の中でたっぷり反省した。
何故なら反省しないといけないからだ。反省すると、反省したような気になるからだ。精神衛生にはよいことである。
だらだら語っているのは暑さのせいだろうか。それとも世紀末だからだろうか。総選挙が近いからだろうか。ぼくの頭がおかしいからだろうか。この部屋にクーラーがないからだろうか。気を引き締めて、必要なら腕立て伏せにスクワットをしよう。それが夏というものだ。一番気が引き締まるのはもちろんプールであるけれど。
最後に、こんな話。
高校の友人の一人が、いやに携帯電話をいやがっていた。見るだけで道を逸れるくらいで、話し声なんかには耳をふさぐ。PHSだろうが何だろうが関係ない。意地でも公衆電話を使っていた。ほかのことではそんなに意地っ張りでも保守的でもない、とぼくは思っていただけに、変な癖だと思っていたものだ。知り合いでも他人でも、懐から携帯を取り出すと、ぽかんと口を開けてそれが何だか分からないという表情を一瞬してから、彼は顔を見えないように逸らす。面白いのでわざわざ子供みたいに逃げる顔に向けて携帯を見せつけて遊んでいると、ついに本気で黙り込んでしまった。どうして嫌いなのか、ついに本人は話してくれなかったが、それはちょうど、高校の二年の夏休みが明けてぐらいのころから始まったのだった。五年くらいして上京し、彼と会うこともなくなってから、ふとそのことを思い出して、彼に手紙を書いてきいてみた。すると、手紙は開かれた形跡もなく戻って来て、彼の両親の、息子は二年前に癌で死にましたという簡潔なワープロ打ちの葉書がついてきた。恐らく彼の両親はこうしてなにも知らずにたまにやってくる友人からの手紙や電話を受けるたびに、息子のことを思い出すのだろう。そしてだからこそ、ワープロ打ちの葉書を用意しているのだろう。そしてだからこそ、葉書にはどこか押さえられた理不尽な怒りのようなものが込められてしまっているのかもしれない。
それから、彼の生家に行く機会があった。すると、彼の物置になって荒れ果てた部屋からは、古びた一台のPHSと個人情報誌が出て来た。雑誌には切り取られたページがあり、その切り抜きは、電話友達の募集をしている、一人の女の子の電話番号が記してあった。そしてその横に、ちょうどぼくらが高校二年の年の八月の或る日付が赤い鉛筆で記してあった。後から付け加えられたもののようだった。あまり、整った文字ではない。だが、彼の文字には間違いなかった。彼女はなかなかかわいい当時中学生の女の子で、永遠に切り取られた写真の瞬間のなかでぼくにほほ笑んでいた。かび臭い部屋の中でぼくはいまにもその携帯から彼女の声が聞こえてくるのではないかとばかげた恐怖と期待に襲われた。それは甘く、うつくしい夢想のようでいて、怪奇譚のおどろおどろしいこけ威しとは似て非なるものだった。それは、無口で臆病で、そのくせ、いったん決めると絶対に引かない頑固者だった友人の記憶と交じりあって、廃屋のロマンスとでも形容するほかない或る、雰囲気のようなものを醸し出していた。
ぼくは愛想が過剰なほどよい彼の両親の下を辞すと、早速ホテルに帰って、その番号に、心を震わせながら掛けてみた。しかし、考えて見ると、そのときぼくは何を予期していたのだろうか。
出たのは、病院の院長で、彼女が、ちょうど友人が書き付けた夏休みの或る日付に何という名前の病だったか、心臓の方の病で死んだと教えてくれた。もう彼女の遺族の行方も知らないという。
そして、絶対安静になるまでの間、彼女がよく暇さえあれば電話をしていたことも教えてくれた。当時婦長だった彼女も一度話したが、高校生くらいの男の子だったそうだ。
ぼくは東京に帰ってから、自分が電話が嫌いになっていることに気が付いた。そして、そのくせ、彼女が長電話が好きなのだった。
彼はその子と会ったの。何もなかったのかしらねえ。
知らないよ。別にいいだろ。いかがわしいなあ
だって、それが大事でしょ。
高校生と病人といっても侮れない。
という話では、ない。
(終止)