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weblogs: a history and perspective

原文 © : rebecca blood, 7 september 2000. all rights reserved.
http://www.rebeccablood.net/essays/weblog_history.html

translated by jouno(jouno 2002 a/t yahoo co jp) August 2003
この翻訳は原著者の許可を得て行いました。禁無断転載です。

1998年の時点では、げんざいweblogの名で知られているようなサイトの数は(命名したのはJorn Bargerで1997年12月のことです)わずかなものでした。この年、Infosift の編集者 Jesse James Garrett が、ネットをまわっていて見つけた「自分のところのような」サイトのリストつくりを開始して、11月にCameron Barrettに送りました。そこでCameron がリストを Camworldにアップすると、似たようなサイトを運営している人たちがリストに載せてもらおうとアドレスをかれに送ってくるようになりました。Jesse の 'page of only weblogs'に載っているのは1999年の頭に知られていた23のサイトです。 1998年には現在weblog( Jorn Bargerによって1997年12月に名付けられた)として識別されているたぐいのサイトの数はまったく僅かなものでした。Infosift の編集者 Jesse James Garrett がwebを巡回して見つけた「自分のサイトと似たほかのサイト」のリスト化をはじめ、その年の11月にはこのリストをCameron Barrettに送りました。Cameron がリストを Camworldで公開すると、ほかの同様のサイトを運営している人々がURLをこのリストに加えてもらおうと送ってくるようになりました。Jesse の 'page of only weblogs'は1999年の初めにその存在が知られていた23サイトをリストに載せています。

瞬く間にひとつのコミュニティが発生しました。Cameronのリストにのっているweblogを全部見て回ることは簡単でしたし、たいてい、興味のある人はそうしていました。Peter Merholzが1999年のはじめにこれを「ウィー・ブログ」と発音することにすると宣言しました。そこで、当然のように、この名前は「blog」と短縮され、weblogの書き手はbloggerと呼ばれるようになりました。

この時点で、この流れの加速が始まりました。ますます多くの人が自分のweblogを発表し始めました。わたしは1999年の4月に自分のものをはじめました。突然、毎日すべてのweblogを読むことが、さらにはあらわれるあたらしいものを追っかけることさえむずかしくなってきました。Cameronのリストは大きくなりすぎて、かれは自分が実際に追っかけているものだけをのせるようになりました。ほかのweblog編者たちも同様でした。1999年のはじめ、Brigitte Eatonが彼女の知っているweblogすべてをあつめて、EatonwebPortalを作りました。Brigitteはすべての投稿を簡単な基準で判定しました。:つまり、そのサイトが日付のある記事で構成されているかどうかです。weblogの書き手は何がweblogで何がそうでないのかについて議論しました。しかし、EatonwebPortalは手に入るなかでもっとも完全なweblogのリストだったので、彼女の包括的な定義が普及していきました。

この急速な成長は1999年7月にPitas、最初の無料のweblog作成ツールが提供されるまで着実に続きました。こうしてあっというまに何百ものweblogが存在することになったのです。8月には、 PyraBloggerをリリースし、Groksoupがスタートします。こうしたウェブ・ベースのツールが提供する容易さによって、飛躍的増大は、爆発へと変わりました。 1999年の終わりには、ソフトウェア開発者のDave WinerがEdit This Pageを導入し、Jeff A.Campbell がVelocinewsをはじめます。こうしたサービスのすべてが無料で、個人がすぐに、そしてたやすくページの公開を行えるように設計されていました。

もともとのweblogはリンク志向のサイトでした。それぞれが、リンク、コメント、そして個人的な考えやエッセイの独特の比率からなる混合物でした。weblogはすでにサイトのつくりかたを知っている人々にしか作れませんでした。weblog編者は、趣味でHTMLの書き方を勉強する人だったり、一日商用サイトの製作で働いたあとの残りのいくらかの自由時間をネットを巡回しサイトに投稿したりすることに費やす人だったりしました。こうした人々は情熱的インターネット・マニア(web enthusiasts)だったのです。

現在のweblogの多くはこの元来のスタイルを継承しています。これらの書き手はウェブのマイナーな周辺と、注目する価値があると感じた現在のニュース記事の両方にリンクを張り、たいていの場合、そのリンクには書き手のコメントがつきます。何らかの領域で専門知識をもった書き手はそこで話題になっている記事や事実の正確さや不正確さを検証してみせたり、考慮中の、当該の問題に付け加えるのに適切だと思う事実を提供したり、あるいは、単にリンク先の部分に自分の意見や別の視点を付け加えたりすることでしょう。こうしたコメントは典型的な場合、遠慮のない態度や、皮肉な口調によって特徴づけられます。より技術のある書き手たちは、リンクを紹介する一行か二行のコメントでこうしたものすべてを伝えようと勤めます。 (Halcyonがわたしに指摘してくれたところでは、そうすることでかれらは、microcontent《訳注。ページのタイトルやメールの表題のこと。参照》の技芸において、先駆者となったのです。)実際、この典型的なweblogのフォーマットは記事を書くのに少しのスペースしかとらず、書き手の側には簡潔さを奨励しました。もっと長いコメントは、しばしば、エッセイとして別にスペースを与えられました。

こうしたweblogは読み手に対して価値のあるフィルターの機能を果たしています。ウェブは、結果として、彼らのために、あらかじめ巡回されることになります。サイバースペースにばらまかれた無数のページの中から、weblog編者はもっともびっくりするようなこと、実にばかばかしいこと、まったく抗しがたい魅力のあるものを拾い上げるのです。

ですが、こうしたタイプのweblogは別の理由から重要だとわたしは思います。Douglas Rushkoffの『MediaVirus』に、Immediast UndergroundのGreg Ruggerioの発言が引用されていました。「メディアは企業の所有物だ……メディアにわれわれが参加することはできない。そのことを表面化させるのが最初のステップだ。つぎのステップは公衆(パブリック)と視聴者(オーディエンス)の違いを明確にすることだ。視聴者は受動的だが、公衆は参与する。われわれは公衆を志向するメディアというものの定義を必要としている」

企業経営のニュースサイトをざっと見る以上の事をするには多忙すぎる普通のネットユーザーが見逃してしまいそうな記事を強調することで、あまり知られていないソースから記事を探し出すことによって、そして追加の事実、別の視点、思慮ふかいコメントを提供することによって、weblog編者たちは、毎日わたしたちに送りつけられるニュースの普及と解釈に参加しているのです。その皮肉で恐いもの知らずなコメントは、わたしたちが情報を入手する先の既得権に疑問をもつことや、ニュース記事の個々のレポーターが、よく知りもしない事柄をあつかっているのではないかと、その専門知識について疑うことを、わたしたちに思い出させてくれます。

weblog編者たちはときにはある記事を別の関連する主題を持つ記事と並列することでその文脈を説明します。それぞれの記事は、ほかの記事に照らして考慮されることで、あたらしい意味を帯び、あるいは、それぞれが内にもっていた意図とは反対の結論にさえ読者をいざなうのです。こうしたタイプのweblogを「独立メディア」と呼ぶのはいいすぎでしょうが、たしかに、こうした書き手たちは、日々わたしたちに届けられる「事実」を探索し評価することにたずさわっていて、Ruggerioのいう公衆に似ています。毎日ほんの数行書くことで、weblogの運営者たちはメディアを、公共的で参与的で真剣な活動として再定義しはじめることになるのです。

さて、1999年には、ほかのこともおきました。そしてわたしの考えではそれはBloggerそれ自体が導入したものに関係しています。

weblogはリンク、コメントおよび個人的な覚えが混ざったものを常に含んできはしましたが、Blogger以後の爆発で増大した多くのweblogはウェブ全般へ焦点を置くことを好まず、むしろ一種の簡略な日記を好みました。しばしば1日当たり数回更新されたこの手のweblogはweblog編者の考えの記録代わりになりました:仕事のやり方で気が付いたこと、週末のメモ、なんらかの主題についてのちょっとした省察などです。リンクは読者を、もとの書き手が公開で対話していたり、前日の夕方会ったりしていた別のブロッガーのサイトへと、あるいは、前の日の夜に見にいったバンドのサイトへとつれていきました。十分に発達した対話は3から5のブログのあいだで継続され、お互いに参照しあいながら、相手の立場への賛成や反駁を表明しました。個人崇拝があたらしいブログ群の出現とともに生じました。特定の名前が何度も何度も毎日の記事や、必須要素としてのサイドバーの「ほかのweblog」(もとのCameronのリストの名残)にあらわれました。そのころは、いまでもそうですが、あたらしいブロッガーにとって自分のこのコミュニティでの地位をかれらのもっともよく読むブログを参照したりそこに反応したりすることで理解するのは魅惑的なことだったのです。そうしたブログのサイドバーは、かれらが属したいと願う部族による承認を意味しました。

こうした変化がなぜおきたのでしょうか。なぜこんなにも多く? いつもわたしはこうした形式のかなり大多数の部分は、ただpyraの皆さんの筆頭、EvMegのサイトを真似したいと願っているだけなんじゃないかと疑ってきました。かれらはBloggerの創設者で、魅力的で機知にとんだかれらのブログは、そのいちばん有名な商品にとって、会社の最良の広告でした。

それだけでなく、Blogger自体が投稿される内容に何の制限も課していません。そのウェブ・インターフェイスはあらゆるブラウザからアクセス可能で、書き手が何でも書き込める空のテキストボックスからなっています。ちょっとした思い付き、敷衍したエッセイ、また子供時代の記憶など何でもです。クリックひとつで、Bloggerはそれらを何であれ、書き手のサイトにポストして、適切な場所にアーカイブをおき、書き手にあたらしい空白のテキストボックスを提示してそれが満たされるのを待つのです。

これとMetafilterという有名なweblogコミュニティを対比してみましょう。ここでは、書き手は三つのフォームを提示されます。最初のものは参照するURLのためのもの、つぎのものは、記事のタイトル、三つ目はなんであれ書き手が付加したいコメントのためのものです。metafilterのインターフェイスは書き手にリンクを参照しコメントをつけることを指図します。Bloggerはこうした要求をまったくしません。Bloggerは考えや反応を書き込むことをたいへん簡単にしたので、多くの人々はリンクを探し回ってそれにテキストを付加することを好まなくなったのです。

この決定的な容易さをともなう自由なフォームからなるインターフェイスこそが、わたしの意見では、ほかのどの要素よりも、フィルター形式のweblogから日記スタイルのweblogへの推移を進行させるのに貢献したものなのです。そこにはひとつの変化があったのです。weblogs.comEatonweb PortalBloggerDirectoryといったものにリストされている何千というweblogをクリックすることで、フィルタースタイルのweblogを見つけることは、シジフォス的な徒労に終わる苦行です。新規参入者たちは、フィルタースタイルのweblog運営よりもそうした日記形式のものにひかれるのでしょう。

たしかにいまも両方のスタイルが存在しています。また、リンクと、コメント、そして個々の個人のサイトに特有な個人的観察という特定の組み合わせが、それぞれのweblogに他から際立たせるような声と個人性をいつもあたえてきたというのも確かです。またweblogは無限に順応性のあるフォーマットでありつづけてきたというも事実です。しかし、ブログの流入現象はweblogの定義を「コメントつきのリンクと個人的な傍白」から「頻繁に更新される、あたらしい記事がトップページに投稿表示されるサイト」へと変えてしまいました。わたしはこころから、フィルタースタイルのweblogを意味する別の用語があって、ブログから容易に区別できればいいのにと思います。広告での真実性の原則によれば、そうなれば冒険的な読者がかれのもっとも好むタイプのweblogをみつけるのが容易になるはずです。

では、weblogとは何でしょうか。それには書き手以外の誰にとっても面白さや重要性があるのでしょうか? そう、わたしはそうだと思います。

フィルタースタイルのweblogは読者に多くの利点を提供します。巡回する時間のない人々に想像していなかったネットの領域へ一瞥することを知らせます。知性のある一個の人物が、毎日わたしたちの消費のためにパッケージされる情報の山をフィルターして、興味深い、重要な、見落とされた、予期もしていなかったものを拾い上げてくれるのです。この人物はまた、商業メディアが提供するものへ情報を追加し、議論の誤りを明らかにし、おそらく細部の不正確さを知らせたりします。weblog編者は彼女が見つけたものに何でもコメントできることから、一週間も読んでいれば彼女の個人的偏りを知ることができて、彼女を予想できるソースとすることができるでしょう。このことによってさらに、わたしたちは、その情報と、彼女のつけるコメントの両方に批判的な目を向けることができるようになります。彼女の批判的な姿勢は毎日権威によって提示される「事実」の真実らしさに挑戦するのです。

Rebecca's Pocketを提供しだしてしばらくして、わたしは予期していなかった二つの副次的な効果に気が付きました。第一に、わたしは自分の関心領域に気がつきました。わたしは、自分で自分の関心を持っているものを知っていると思っていたのですが、何ヶ月か記事にリンクしつづけたあとで、わたしは自分が思っていたよりも科学、考古学、そして不公正の問題について関心を持っていたことに気が付きました。もっと重要なことは、わたしが自分の視点をより高く評価しはじめたことです。毎日わたしはリンクにつけるテキストを構成する際に、注意深く自分の見解や考えを考慮しました。そうしてわたしは自分の視点をユニークで重要だと感じ始めました。

この深遠な経験は、ブログ-スタイルのweblogで最も純粋に実感されるのかもしれません。外部の世界に焦点を合わせずに、ブログ作者たちは、誰であれ読み手に「彼の」世界を共有することを強います。かれは共有する関心事でほかのブログ作者との会話に従事するかもしれません。また、読んだ本やバスでの誰かの振る舞いに反応するかもしれません。通勤途中の歩道の割れ目で成長するのを見た花について描写するかもしれません。あるいは、単に生活に関する注釈をメモするかもしれません。つまり、仕事の調子、夕食の用意、最近の映画への感想といったものです。こうした断片は、数ヶ月のあいだつなぎ合わされて、特定の場所、特定の時の特定の個人への、予期しない親密な視線を提供することができます。

ブログの書き手は何であれ心にあるものを書き留めるということによって、自分の考えや意見と対面することになります。毎日ブログを書くことで、かれはより確信をもった書き手になっていきます。百人、あるいは二十人、あるいは三人からなるコミュニティがかれの考えの公開された記録の周辺に発生するかもしれません。好意的な声に接することで、彼は自分の世界を見る観点への自信を獲得できるのです。かれはもっと長い形式の文章を実験してみてもよいし、俳句を読んでみてもかまいません。あるいはなにかクリエイティブな計画、数ヶ月前なら重要でないとか完成できるかどうか疑わしいという理由で片付けていたものにとりかかることもできます。

自分の見解を毎日明らかにするにつれて、この自分の内面的生活への新しい意識は自分の視点への信頼へと発展することがありえます。詩や、ほかの人々、そう、そしてメディアへの自分の反応がより重みを増してきます。サイトで自分の考えを発表することに慣れてくると、自分の考えを、自分自身やほかの人々に対して、よりはっきりと組織立てて語ることができるようになります。彼は、何かを決めるまえにまずひとがどう考えるか確かめるのに耐えられないようになり、代わりに内なる声に従って率先して行動し始めるでしょう。理想的には、彼は、より反射的でなくなり、より反省的になって、重大な問題についての価値のある見解および考えを見つけることになるのです。

ブログの書き手がある記憶について述べるとき、読者は自分の幼年期の出来事を思い起こします。ブログの書き手が通勤仲間の印象について述べたあとでは、読者は列車の中でほかの乗客により注意深い視線を向けるかもしれません。またリンクをいったり来たりして、かれらはブログ同士の会話におけるそれぞれの書き手の視点を分析し、身近な主題については自分なりの結論を形成するでしょう。ほかの普通の人々の見解を読むことで、すぐに疑問をもち、言われていることを判定するのです。そうすることで、かれらはある種の自己発見の旅と知的独立への過程を開始することになるのです。

インターネットが約束したのは、誰でも発表することができ、何千という意見が開花し、交流し、接続するということでした。しかし実際は、ただサイトを構築できる人々だけが自分たちの声を届かせることができるだけでした。Blogger、Pitas、その他のサービスは、HTMLの知識がわずかであったりほとんどない人々にウェブに発表する能力を与えました。インスタント・メッセージを送るのと同じくらい簡単に、もったいぶったり、思い出したり、夢見たり、公に議論したりするのです。わたしたちはWWW自体の創造と、誰でもブラウザで、個性的で一回きりのヴィジョンを世界のほかの部分へ表現することを許すこの自由な技術とをまじめに比較することはできない…そうでしょうか?

2000年9月、何千というweblogが存在しています。主題志向のweblogはあたらしい視点であり、主流メディアが反映している人類の状態に対するフットワークの軽い検証ですし、短い形式の日記は、奇妙なものへのリンクであり、アイディアの自由形式のノートです。伝統的なweblogは価値のあるフィルターとして機能し、ネット上の情報へのより批判的な評価のための道具を提供します。形式のゆるいブログは自己表現の溢れ出し以外のものではありません。それぞれが、認可された権威(また芸術家)によって提供される注意深く抑制された情報の時代から、世界的な規模で個人的な表現がなされるという、先例がない機会への、驚くべき移行を示す証拠なのです。それぞれの種類のweblogは多くのレベルで個人に力を与えてくれるのです。

では、どうして、どのブックマークもweblogを最低五つは載せている、というふうではないのでしょうか? 1999年のはじめには、実際、すべてのブックマークもそうなるように思えました。メディアの注目がわずかながらあり、毎日あたらしいweblogが誕生していました。それは小さな、急速に成長しつつあるコミュニティで、広範な目覚めの手前の端にいるように思えました。おそらく、PitasとBloggerの結果としてつくりだされたあたらしいweblogたちの「ツナミ」は、そうした動きを臨界点に達する以前に破壊してしまったのです。この突然の指数関数的なコミュニティの増大は、それを座礁させてしまったのでした。weblogはかつてウェブのフィルターの役をしましたが、急に増大することによってウェブそのものと同じくらい混乱させるものとなったのです。さらに、weblogをつぎの大きな話題として売り込む若干の記事が現れました。しかし平均的なその読者は、希望に満ちてEatonwebPortalへのリンクを押して、千ものweblogのアルファベット順のリストのまえにいることに気が付かされ、どこからはじめていいのかわからずに、さっさとABCnew.comに退却することになったのでした。

わたしは答えを持っていません。わたしたちの時代は、Mahirという何者とも知れないトルコ人による一ページだけのウェブサイトが数日でウェブの注目をさらうことができるのです。(訳注 参照1 参照2)しかし、否定しがたい真実は、企業メディアおよび実業界と政府部門の組織がほとんどの地所を所有しているということです。デルはweblogすべてをあわせたよりも多くのウェブ・ページを管理しています。スプライトのプロモーション機構は、すべての活動しているweblogの従事時間を合わせたよりも多くの従事時間をただひとつのメッセージ、「喉の渇きに従いなさい」を推し進めるのにかけることができます。個人的なヴィジョンから個人的な声でそれぞれが語っているという、わたしたちの強みは、混乱させ操作することを意図して注意深く組み合わされたメッセージの割合の高い世界では、ひとつの不利なのです。わたしたちは、非常に単純に、数によって圧倒されているのです。

では、誰もがweblogをブックマークにいれれば何が実際に変わるのでしょうか? わたしたちが、コンピューター、携帯機器、店内のキオスク、そして今や、衣服からの情報によってますます砲撃されるにつれて、信頼できるフィルタの必要はずっと高まってきています。企業の利害が、情報への、そして芸術にたいしてさえの、ますます厳しい管理を強めていくとともに、批判的な評価は、いままでになく不可欠なものとなっていきます。広告がバナナの皮の上に忍び込み、紙コップの取っ手にくっつき、わたしたちのATM処理を邪魔するようになるにつれ、わたしたちは緊急に自己表現の形式を養って、自分たちの自衛的な無感覚を打ち消さなければなりませんし、人間であるということが何か思い出す必要があるのです。

わたしたちはデータの大洪水に襲われています。内省するための場所や時間を作り出せないとしたら、わたしたちはにはただ反応することしか残されていません。わたしは、「聴衆」を「公衆」へ、「消費者」を「創造者」へと、書き手と読者の両方を変形するweblogの力を強く信じているのです。weblogはメディアによって飽和した文化による堕落させる影響力への万能薬ではありません。しかし、わたしは、それらが一つの対策であると信じているのです。

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