いったいウェブログって何なんだ?
そしてなんでみんなぼくを放っておいてくれないんだ?

original text: http://www.powazek.com/wtf/ © Derek M. Powazek 2000/02/17 all rights reserved.

japanese translation by jouno(jouno 2002 a/t yahoo co jp) 2003/10/13

revised 10/14 松永英明さんに文案をいただきました。

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個人的な意見 by DEREK M. POWAZEK

Julie Petersen のウェブについての理論を読んだことがあるだろうか?
読んでみてほしい。それは羊について書かれている。
ウェブログはそれを実現するのに一番の近道なのかもしれない。





































結局のところ、日記とウェブログの違いって何なんだろう。性質? フォーマット?

ぼくがウェブと恋に落ちたのはずっと昔の話。血管にウイルスみたいに入り込んで根を生やし、人生をすっかり変えてしまった。それだけじゃなく、殆どすぐにこのウイルスは体中に広がる運命だった。

ぼくは腐るほどホームページをつくったけれど、その最古のやつはデジタルのエーテルのなかに永遠に失われてしまっている。ぼくはオンラインで大学の論文を書き、ビジネスの世界で仕事を見つけた。ぼくは「正しい事をする」みたいな漠然とした目的を掲げた志の高いプロジェクトをはじめた。あまりにも沢山のことをぼくは気にかけていた。

この間ずっと、ぼくはオンラインで出会う個人的な発言同士が奏でる不協和音にインスピレーションを得ていた。ここには個人による表現の金脈が、つまり、(アクセスできるくらいにはラッキーなら)好きなことについて好きなことを何でも言えるという、生活の中のひとつの場があった。これはアンチ・テレヴィジョンだったし、電子の民主主義でもあった。

ぼくはそう信じたし、そして、事のいかれた側面というのは、ぼくがいまもそう信じているということだ。

ぼくが「ウェブログ」というアイディアにはじめて触れたのはだいたい一年前のことだった。ぼくはCamWorldに何年も通いつめていてこのサイトのファンだった。でもそれをひとつのジャンルと呼ぼうというアイディアはぼくを躓かせてしまった。リンク・プラス・コメントというスタイルはぼくにはぜんぜん革新的に思えなかった。

間違いなく、Jon katzがスラッシュドットでこの流れのなかで慌ててした書き込みでわかったことも同様に革新的ではなかった。ぼくはかれの文章を注意深く読み、信じてみようとした。けれど、ぼくはRobot Wisdomのロボット風なスクロールするヘッドラインのなかの個人的表現や共同体に革命をちっとも見出だせなかった。

生まれつきぼくは誇大広告(hype)には疑り深いほうだ。ジャーナリズムの背景を持っている人は誰でもそうだと思う。それに、あの1999年の後半に迎えることになった見掛け倒し(hype)なウェブログの大波を考えると、反抗しないのは難しかった。ぼくはウェブログは嫌いだし、どうなるか見てやるよというようになった。

それは部分的には正しかった。ぼくはウェブログに寄せられた誇大広告を憎悪した。誇大広告は醜悪だし、その事柄の役に立つこともめったにない。また、ぼくはウェブログまわりにできあがったコミュニティの排他的な性質も嫌いだった。もちろん、似たような関心を持っているがゆえに集っている人たちにとって、それは完璧に自然なことだ。でも、ぼくはいつも新しい人たちや新しい考え方に対してオープンであり続けようとしてきたのだ。外からみていると、ウェブログ・コミュニティはアッという間に、幌馬車隊を円陣に組んで全面的防戦体勢をとってしまったように、ぼくには思えた。

ついにぼくは、ウェブログの根本的な要素が、当時も、そしておそらくは今も、外部へのリンクであるという事実を憎悪するようになっていた。気の利いた皮肉、外へのリンク、それとできる限りの更新。「無所属コンテンツ」の未来のウェブは、他の人たちをリンクしている人たちへのリンクからだけ成り立つことになるだろう、ということは簡単に(しかも意外性すらなく)予想できた。突然、あったはずのものはそこになくなってしまっていた。

ぼくはいつも人々が物を作り出すことを見たいと思ってきた。大がかりで美しくて奇抜なものを。別のSalonの記事へのリンクではまだそれには足りないのだ。

そこで、ぼくはある恐るべきことをした。軽蔑に値すること、朝、鏡の前に立てないくらい自分の観点からいって恐ろしくて邪悪なことである。ぼくはウェブログをはじめたのだ。

ぼくは、理解しようとするなら挑戦してみるべきだと思ったのだ。それにまた、powazek.comがすでに毎日の更新のための仕組みができていたということもあった。ぼくはPowazek Productions (fray,kvetch,SF)のニュースをポストするのにそれを使っていた。ぼくがすでにやっていたこととウェブログとの間には本当にまったくちょっとしか違いはなかった。そこでぼくは水に足を浸した、そろそろと。

そしてぼくはあのウイルスがふたたび戻ってくるのを感じたのだ。

毎日記事をポストするようになるやいなや、ぼくはメールを受け取り始めた。その声は友好的で励ますような調子だった。ぼくの閲覧数は着実に上がり、リンクされるようにもなってきた。

しかし大きいのは、ほかのどこにもぴったりしないような頭の中の声のためのフォーラムを持っていることに気が付いたということだった。ぼくは生活の中の大きな出来事を語るためには十分な場所を持っていた。それで、小さな、儚い考えもまたいまやホームをもつことになった。それまでウェブでは表現したことがなかったグーフィのファンとしての感覚でさえも力づけられたのである。

ぼくは心を引かれた。「ウェブログをすることは」ぼくは友人のJack-n-Cokesに言った。「面白い」

そしてそうなるともちろん、今度はダークサイド。

Nealeは一団のウェブログの書き手を高校にあったみたいなグループにわけて、ぼくを運動バカ系(jock)に分類した。それは高校時代のぼくをしっている誰にとってもばかばかしいことだったに違いない。ウェブログ・コミュニティのなかでは党派主義の危険についての興味深い論評にそれはなっていたかもしれないけれど、ぼくにとっては、悪趣味としか思えなかった。Nelsonの大笑いがほとんど聞こえそうだ。「わはは」

それからDaveがぼくは「脳がやられている」に違いないなぜならフレームを使っているから、と決め付けた。まるでウェブログをやるにはただしいひとつのやり方があって、それをぼくが破ったから、従わせるためにあざけったというふうだった。それは意地の悪い、そして公然たる個人攻撃だった。

これがぼくの恐れていたウェブログのダークサイドだった。近年を通じて、ウェブログはジャンルとして、そしてコミュニティとして本当に成熟してきていたので、これはぼくには思いもかけないことだった。ぼくらはウェブのなんでも包み込む性質に忠実であろうとするべきで、新しい声やアイディアを歓迎し、援助するべきなのだ。それが結局のところ、ウェブを進化させる方法なのだから。

ウェブは規則尽くめの「うちのやり方に従えないなら出て行け」主義の場所じゃない、思い出そう、ウェブの面白いところはそれがいまだに新しいというところだ。ぼくらはいまなおそれを作っている。そして革新は少しだけほかと違うやり方をしている人々からやってくる。そのことを忘れて狭量な主義に傾く人々は、歴史の忘却の中にその正当な位置を得ることになるに違いない。

だからぼくはこうしている。ぼくは六ヶ月近く(あるいはどこから数えるかによっては一年以上)ウェブログを運営している。そしてよい点はいまなお悪いところをうわまっている。実際、ぼくは最終的にはこう言う用意ができている。

ぼくはウェブログを嫌っていない。ぼくはウェブログが好きだ。正直な話。

ぼくがウェブログを愛しているのはそれがひとがオンラインで自分を表現するもうひとつのやり方だからだ。勿論、それはリンクだらけだ。だがそこには生活もつまっている。毎日更新ベースでMegが自分の考えの流れをアップするやり方、あるいはTomがかれの愛情生活をぼくらに語るやり方、あるいはJackが自分の物語を語るやり方を見てみよう。そこには本物の人間がいて、自分の生をネットで提供している。

日記。ウェブログ。ポータル。それ以外のナニカ。好きなように呼んでもかまわない。ただそれをやめないでほしい。

ぼくは多分ここPowazek Productionsでの新しい事柄について、興味を持ったことへリンクするのと同じ様に記録を続けていくとおもう。もしそれを面白いとおもってくれたらぼくはうれしい。一言書いて「やあ」といってみてほしい。

そしてもしそう思わなかったら、それもまた喜ばしいことだ。多分、あなたは自分自身のものをはじめるべきなのだろう。

終わりなき前進。

- Derek
2.17.00

で、ウェブログって何? 教えてほしい