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Drifting Antigone Frontline

文化とリンク

2003/03/17 21:46 JST

Asumi日記

 考えてみると、このへんの議論って暗黙のうちにやはり培ってきた文化や哲学というものが反映していると思う。たとえば、リンクの切り張りが億劫という点に関していえば、blog的な更新をしているひとにとっては、他のサイトのリンクを文中に切り張りすることは日常事で、ことさら意識するようなことではないだろうし、リンクをたどるのが億劫という点に関しては、まさに感覚の相違というほかなくて、blog的な、というのがどうこうという以前に、webを、知人の更新を見に行くところとしてみているか、わけのわからない場所にリンクを次から次へと「めくって」いくとこで奇妙で面白い場所に「飛ばされる」のがたのしい場所としてとらえているか、だとおもう。だから、それはページ作りにも反映されるので、あるひとは、文章ではなくリンクをトップページに集中させて、中央集権的にそこからすべてのページにいけるのが「便利」ととるだろうし、別の人は、ひとつのページがどれだけ下に長くなろうと、なるべく本文、文章を別ページに分けることなくひとつのページで見せるのが「便利」ととるだろう。これはかなりネットの初期からあるふたつの感覚の違いで、どっちがどうとかいう問題ではない。ただ、両方の感覚があることは意識すべきだろうと思う。

 べつの観点からいうと、コメント欄とトラックバック欄がある文化と、コメント欄とリファラ欄がある文化では、役割分担というものが違う。となると、同じコメント欄でも、実際には担う機能が違ってくる。それを、技術的、機構的に同じものだからという理由で、一方が他方を同一視したら間違うだろう。

 実際、トラックバックの用法で、たとえば、トラックバックにコメント欄で答える、という反応は多分にトラックバックをコメントの延長でとらえているけれども、これはやはり本文で反応するのが本来だろうと思うわけで、それは、そうするのが正しいとか間違っているとか言うのではなく、コメント欄に書きうる内容とトラックバック元の記事に書きうる内容は、量的にではなく、質的に違っているからだ。

 実際、コメント欄とトラックバックは何の混同も混乱もなく住み分けられている、ということはそこに分担がある、質的な相違が構築されている、ということで、これが前述した文化というものだろうとおもう。逆にいえば、トラックバックの元記事にコメント欄に書けばいいようなことを書いているとしたら、それこそコメント欄に書けばいいのである。

 いちばん近いのは、論文の末尾の参照記事、なんかじゃないだろうか。

 本質的に、トラックバックの元記事は、突込みではなく、トラックバックした記事に触発されて書く、それ自体独立した記事である。そこで問題になってくるのは、この記事という概念と日記という概念で、文化、哲学という観点から見たとき、この違い、記事志向か日付志向かというのは案外瑣末なことではないのかもしれない、ということだ。

 リファラのエンタテイメント性というのはいちおうそうだとおもうけれども、第一にトラックバックはべつにリファラにとってかわるものではないので、ということがあり、ついで、意思表明、もっと正確にいうと、トラックバックはリファラとちがって、これをたどると、「確実に」関連記事が読めますよ、という保証というか確実性が本質なのだろうと思う。リファラをたどってみて、何の関係もないページをよんだときのがっくり感というものもあるわけで。

 トラックバックやリンクそのものの刹那性というのはまったくそのとおりだけれども、考えてみれば、むかしの記事のトラックバックをたどる、という用法はおそらく想定されてないなじゃないだろうか、基本的には、やはり、進行形の議論を、読者にとって見渡し可能にする、見通しをよくする、というのがあって、そうすることで読者もまた能動的に議論に参与する、ということになる、p2pの本質は、リンクが切れたらまたはればいいという哲学だろうと思うわけで。

 そういうわけで、ある程度、感覚のレベルであれ、哲学のレベルであれ、tdiaryの、いや、むしろ、まさしく日記的更新をするひとの慣習に、トラックバックは、反するとはいわないまでも、異質な点はいなめないのかもしれない。それはわからない。だけれども、つねに選択肢というものは有用なわけで、ある種の日記の用法に対して、トラックバックが有用なことはいえるので、それだけでも、プラグインが存在し、それがささやかな話題になった、ということは、けっこう、それで十分、といえるのではないだろうか。

追記。
さらにいえば、コメント、ツッコミはかなり即時的、チャット的なものだけれども、トラックバックで進行する議論というのは、もうちょっと間隙のある、それなりにかんがえたうえでの反応だ、ということもいえるだろう。

さらに追記。
ツッコミやコメントだと、ホストとゲストというのがあって、どうしても主導権はホスト、つまり、コメントが表示されているページの管理人になる。それがいや。というのもあるかな、いや、というのは適切じゃなくて、そういう関係とすみわけて、対等なサイト間コミュニケーションを志向する、というところか。

追記。
まあ、リンクがあったら商業広告でない限りとりあえずのぞきにいってしまう、というのも我ながらどうかとおもうが。

追記。

ともかく、コメントとトラックバックは「はてな」みたいに表示を分けるべきでは。

しつこく追記。

日記書きでも文中リンクは日常、という指摘を受けて。
いや、あれはトラックバックでリンクを切り張りするのが億劫という話を受けてなかば憶測なので、そうするとこんどは、じゃあなんで億劫なんだろう、という疑問が出てくる。
もうひとつ、うえで、日記書きと暫定的に書いたのはやっぱり粗雑な分類で、感覚的な印象で書いているんで間違ってるかもしれないんだけど、それが実際には日記を書く人にあてはまるかどうかはべつとして、感覚の違いというのが一般的な分類としていえるんじゃないだろうか、ということである。

  1. > ツッコミやコメントだと、ホストとゲストというのがあって、どうしても主導権はホスト、つまり、コメントが表示されているページの管理人になる。
    個人的にはその辺に気を遣って
    文章が長くなる場合には自分のサイトで書いたりします。
    その他直接的じゃない反応の時なんかには
    コメント欄に書いても変なので自分のサイトで。

    Comment by kengochi — 2003/03/19 @ 2003/03/19 01:58 JST