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Drifting Antigone Frontline

ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ/ blogという言葉へのスタンス

2003/04/17 06:12 JST

「リンク」から見るweb日記とblog

 表題にした有名すぎて引用するのが陳腐なくらいのヘーゲルの言葉は、ある物事への認識は、その物事の黄昏、終わり近くに訪れる、ということだそうです。(また聞き)

 生成途中の事物は複数の可能性を形成しつつ同時に閉ざしてもいて、そのような状態では、そもそもその事物そのものという領域や時間、つまりその事物の真理がいまだ未決定で、終わって初めて、真理そのものが遡及的に決定される。

 たとえばマルクスは資本主義という最後の階級社会が、それまでのさまざまな資本主義以前の体制の真理を、もっとも拡大した形で持っているので、資本主義の研究が、そのままそれ以前の階級社会の理解の鍵になる、ということを言っています。

 ある意味で、資本主義と似た話であるのかもしれないけれど、日本のネットは自前の歴史によって、blog的なものを、あるいは、blogに変わるものを生み出しかけていた。しかし、その、まさに否定的な形で、こういうものがあるといいよな、でもそれが具体的にどういう形になるかわからない、というときに、ある程度先行して、その類似した要求にこたえるシステムが輸入されてしまった。

 つまり、答えはblogである必要はなかったが、blogが答えることがそれなりにできて、まだ完全には日本の状況が答えることができなかった問いというか需要というのがあった。そういう不確定な需要にたとえばtDiaryその他のシステムはそれぞれの分野でそれなりに答えようとしていたのだが、まだかなり距離があった。そこにblogという概念がくることで、その潜在的な需要に答えようとしていた人的パワーのうち幾ばくかがそれを答えとみなした。

 だから、ある意味で比ゆとして、その需要というか問いというか必要というか発展というか、そういうものを、ある意味、不当にも、ひとはblog的と呼ぶことがありえて、しかしそれは確かにミネルヴァの梟でもあって、その明確な表現をとらずに部分的にあらわれてまだ統一的なものとしては把握されていなかった諸要求を統一的に理解するには、blogを通して理解することは有利ではある。

 しかし他方で、外在的発展はあやういと漱石がいったように、それはblogによって答えられる必要はなかったのであり、かつまたおそらくは完全にはblogによっては答えられないものなのだ。(ある意味であたらしい問いは古い答えによって簒奪されてしまったのだから)だが一方で、それを統一的な文脈で理解するには、blogが有効ではある。こういう微妙な混沌のなかでどうやってこのやっかいな言葉とのスタンスをとっていくのか、というのは、むずかしい。それはひところ、web日記というのが、実際にはてんで日記を意味していなかったころに、厄介な言葉であったのと似ている。しかしこういう歴史的な観点とべつに、アメリカの状況は日本の先史であるという側面と同時代史という側面を分かちがたく持っているのだから、問題は幾重にも汚染されている。

 (blogがある意味で遡及的に発見させた日本のblog的な状況がblogという答えにたどりついた保証はないし、その必要もなかったし、別な、しかしblogと同じような完成度と統一性のある概念を形成したかもしれないということはつねに参照されていい。そして、しかしにもかかわらず、事実としてtDiaryその他の少し前の時点で、日本の状況がこの遡及的に見出される潜在的動向に答えられなかったと言っていいというのは、消極的にはblogがたしかにブームというだけでなくそれなりのインパクトをあたえたからであり、積極的には、ひとがblog的というとき理解しているような意味での、あいまいさをもちながらイメージとしては明確で、応用範囲の広い、つまり完成度の高い一般性のある概念を形成するにいたっていなかったからだ。端的に、web日記ということばはそういうものだったのだが、それはやはり状況からすればあまりにもふるいものだった。代わりが必要だったのである。)

 必要なのは、ベンヤミンの歴史の天使のように、過去の中の完成には至らなかった無数の萌芽を見出し、そして欠如としてのみかつては消極的に、おぼろげな必要としてだけ感じ取られていたなにかに、こたえること、そうすることでそれらに、遡及的に名を与えることだろうとおもう。

 つまり、そういう意味で、blogは媒介として役に立つ。だが、それが、「それ」に対する完全なこたえだというのは多分間違いで、そのためにも、具体的に、「それ」を繊細に見取っていく必要があるわけで。

 じゃあ、具体的にblogとは何で、それがもたらすもの、もたらさないもの、そして状況に適合しているところ、適合していないところはなにか。

 簡単なところをあげていくことは実際的だろう。

 まず、CMSとしての要素。

 つまり、過去ログを組織的に整理して参照可能にする要求。
 この要求はたとえば論争の中でとくに芽生えてきた要求ではないかと思う。

 インタラクティブ性。
 コメントをつける。コメントに返事をする。
 空メール、メール送信cgi、掲示板のインライン表示。
 ここでおそらく問題なのは、なぜ、コメントは、掲示板ではだめなのか。つまり、記事と対応関係にある必要、ということで、それはつまり、社交的コミュニケーションから、主題的コミュニケーションというなあgれがあるのだと思う。この流れがなぜ形成されたのか、というと、初期には、管理人(という言葉も面白いけれど)同士の関係はリンクを張る張らない、サイト同士での人格的なものが混ざった論争といった、サイト間の関係を規定するためのものが多かった。しかし、まず日記そのものが主題志向で、自分の日記を主題で分類しだすと、日記同志の関係も、書き手ではなく主題ごとに分裂していく。

 ネット人口の拡大も関係あると思う。まったくの他人同士は主題志向ではなすほかはないものだ。

 というわけで、テーマ志向もすでに入ってる。

 リンクの相互反映という要求。
 言及されたことを知りたいという要求は、はじめひそやかなログの閲覧による補足としてはじまり、やがてそれを組み込んだコミュニケーションへと発達する。なぜ言及されたことを知りたいのか。それはひとつには、主題志向の関係を拡大させるじつにえがたい機会だからでもあるし、また、自己イメージを防衛するための必要からでもある。(ただこれはあまり現実的ではない気もするけれど、ともかく知らないところで好きなことを言われるより、知った上で対処したいという傾向)、これはネガテイブ・リンク忌避というコンセンサスから、リンクして言及というコンセンサスへの変化でもある。

 もうひとつCMS的な要求としては、重複した情報の更新は一回で済ませたい、というのがある。
 要するに、テンプレート機能の強化と、その適用範囲の拡大。最近の主流なこたえはスタイルシートによるテンプレートのカスタマイズ。いわば、規格にうるさいひとがむかしからいってきた、意味と見かけの分離というやつ。

 複数サイト間の連携の強化。これがトラックバックと関係してる。たとえば雑文祭のような、複数のサイトでいっせいにやることに意味があるようなイベントをやりたいとして、そのうちいくらかでも自動化できたら便利に決まっているし、その方式が規格化されていればなおいい。これは他のサイトの内容を埋め込んだり、というような形での要求にもつながってくる。

 情報の俯瞰という要求。つまり、サイトの現在の状態をすべてトップにあつめて表示したい。

 まだまだあるとおもうけれど、ともかくこんなところ。
 
 では、とひるがえって、これらと平行してうまれ、そしていまもあり、かつ、blogという方向性では答えられていない、そういうものはなんだろうか。ともかく、そのへんがうまくいかないかぎり、しっくりこない感じ、というのは残ると思う。

 たとえば、それを「はてな」に一端を見ることもできるだろうし、関心空間にみることもできるかもしれない。たとえばそれはblogのように主題志向に切断されない意識の流れを記述しやすいシステムということかもしれないし、サイトの人気というものや、ポータル的なものがついに不在ななかの2chの意味だとか、つまり、特殊日記的なものや特殊掲示板的なものがになっているのはなにか、ということでもあるかもしれない。
 

  1. ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ :StrangeIntimacy
    blogとweb日記を概念的に対抗軸ととらえることと 感覚として対抗する物ととらえることは意味が異なる。 blogに対する感情的な反発はblogがweb日記をリプレースするものとして とらえたり、...

    Trackback by @ parallel minds — 2003/04/17 @ 2003/04/17 12:07 JST

  2. 「リンク」から見るweb日記とblog
    反応が遅くて申し訳ないですが、「リンク」から見るweb日記とblogが、いろんなところで話題になっています。 羊堂 本舗 (2003-04-17) ただのにっき (2003-04-17) StrangeIntimacy :: ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立つ/ blogという言葉へのスタンス 「ただのにっき」のコメ...

    Trackback by Yatsu Blog — 2003/04/20 @ 2003/04/20 03:28 JST

  3. このトピック上記にて引用しました。ブロッグ、トラックバック、私も一知半解ながら興味深く、いろいろ考えます。(初めまして。ご報告まで)

    Comment by Junky — 2003/04/24 @ 2003/04/24 02:08 JST

  4. 報告ありが津ございます。システム的にパブリックなネットでプライベートで親密な、あるいは「くつろいだ」アットホームコミュニケーション領域をどう確保するか、というのも、ブログと平行して重要な過大だと思いますです。

    Comment by jouno — 2003/04/24 @ 2003/04/24 03:53 JST