コミュニケーションの密接さ
はてなのキーワードシステムは多人数による編集で、Wikiとことなりそこにコミュニティがまがりなりにも存在するために、その記述をめぐっていくつか揉め事が起きている。また、揉め事を不要のことと称しながら、実際には書き換えに参加することで慮外にあるわけではないことを示している人もいる。さまざまな立場があるが、ここではてなの、発言が直ちに言及された人に反映されるというシステムがもたらす、過敏さ、近さの功罪ということを考える必要があると思う。それはトラックバックやblogによるwebの未来を考えるひとつの手段になるかもしれない。
引用やリンクに対する防衛的な反応がいつまでたっても根強く残り、言及されたくはないが言及はしたいというエゴイズムがつねにおおきな潮流を占めてきたのはなぜだろうか。そこにはたしかに自分の領域を「ホーム」と考える観念があるとおもう。だがそのことは、こうした垣根をさげ敷居を溶解させるシステムの進展によっておびやかされ、ますます、防衛的な反応は強まっていくだろう。いちがいに、そういう感情を否定することはできない。だが、そうした反応が、言及とリンクの空間としてのネットワークをおびやかしてしまえば、けっきょく、そこには空虚な無数の蛸壺が発生するだけではないだろうか。またそれは他面では、言いっぱなしで干渉しないのがいいことだという奇妙にリベラルな外見をした抑圧が生まれてくるのである。
《言いっぱなしで干渉しないのがいいことだという奇妙にリベラルな外見をした抑圧》というのも、なるほどと思いました。ちょっと自分でそれに思い当たるところもあります。これはなんというか、干渉をずっと継続するとなったら、なかなか煩わしいだろう、というのがあるかもしれません。それは心情的なものに思えるのですが、ただそれもシステムの変化で変わりもするだろうと思うと、また奇妙です。
ともあれいろいろ参考になります。これを機に、はてな日記を利用するなど、実地にいろいろ試してみたいという気になりました。(アンカーのこともありますし)
Comment by Junky — 2003/05/03 @ 2003/05/03 06:55 JST
SimplexTyranny/jounoさんのコミュニケーションの密接さの記載で思ったことを
Trackback by dac — 2003/05/03 @ 2003/05/03 10:10 JST
Comment by jouno — 2003/05/03 @ 2003/05/03 14:49 JST