Private Annihilation:90年代の外れに 2


 ためらいながら歌うかなしさのこと。

 水辺を去る 中野重治

 わたしはこのしずかな水辺(すいへん)を去りましょう
 今日は水さえもわたしをいとうている
 水の心はおとなしいゆえ
 それとみずからは言いださない
 ただわたしがむこうの方へ行くならば
 水は彼自身のしめやかな歌をうたいはじめるでしょう
 わたしはこのしずかな水辺を去りましょう
 水がそれを乞うているようです


 ひとつのメルヘンとして
 80年代に言葉がつかいすぎでインフレして現実と切り離されたのをふまえて、1989年にいっかい、言葉は無意味になった。一瞬だけ、なにをいっても風のようで、そらとはなしているかのようだった。1989年から1995年までのあいだは言葉の再建の期間だった。この期間にいろんなものがぶっこわれたが、そのせいで、えらく地味でまじめくさった言葉がはやった。このときにはひとはまだ苛立っていない。退屈していただけだ。リアルさのことばかりひとは話した。いやに危機感があおられた。だが、すべてがおわるにはまだ、それから8年(1997という起源切れ)かかる。1994年というのはいつわりの希望の年だ。細川首相が辞任したときあたりまで、希望を信じたいとひとはねがった。もちろん、うすうすは気がついていた。永六輔と松本人志はおもしろい本を出した。「大往生」と「遺書」。この前の年、「ぼくたちの失敗」森田童子。やり直しは失敗した。世界は1994なかばから1995なかばのみじかいあいだに、錯乱した。戦争のデジャヴ。ソレハキオクニナイキオク。

 壊滅の詳細をうたおう
 高校生活(1991-1993)のあいだは、やはりひとつの待避期間だったことは間違いない。ひとりの女性を好きになって、卒業寸前に告白して、ふられて、じつは横恋慕だったことが判明した。これはありきたりのコメディにすぎないが、そのころに現代詩をわたしが知ったということは、このコメディに微妙な色を添える。1993年は、失恋と詩と勉強へのフェティッシュな熱中と、図書委員と文芸部長と、里見八犬伝ですぎた。つまり、どーでもいいことに熱中していたのだ。制服に満足していた。
 このころの会話。

 「いきることに目的はあるのかな」
 「いや、いきんとする盲目的な意志の奴隷なんだよ」
 「でもぼくはそれではいやなんだ」

 「反体制だなんていっていきがったってなにもできないじゃないか」
 「ああ、うちがわからかえなきゃだめさ」
 「上にいこうな」
 「ああ」

 こんな会話にこめられた真実なんか、1994年に吹き飛ぶ。だから、書き留めておこう。結局、わたしは上京をえらび、そして徐々に、自分が恐れていたことや、自分自身の断崖を思い出しはじめる。勉強さえしていれば何の不確かさもない日々は、ながれているはずの危機を隠していた。このころだって、本当はわたしは日本がきらいだったはずなのに。だが、ほこっていいことがひとつあるとすれば、
 
 ……コメディを実演するだけの甲斐性があったことだ。

 少なくとも、失われた言葉を自分のために再建するという行為は、このうえもなく鮮やかにぼくにとって失敗した。
 そういうことが、それしかありえなかったのだから、そういうものとしてちゃんと砕けられたという意味として意味があった。
 ようやく、分裂気味の言葉がぼくにとりつきはじめる。
 ふまじめなことしか、はずかしくて、いえなかった。
 だが、そういえば誰もが雲仙島原の火砕流のことを忘れている。 (ひとつの廃墟がそのときあらわにされた)

 おそらく誰もが、1993年に、終えるつもりだったのだ。そしてたぶん、始めるつもりだった。だが、開始は挫折した。オウムや地震のせいで開始がのきなみ挫折したわけではない。それ以前に決定的なことは起こっていた。言葉と言葉のつながりが切り裂かれていたから、始めるための言葉は、まぬけな間投詞や名詞の叫びしかなかった。

 1993年におわりそこねて、1997年にひそかに死んで、いま、誰もそれがないことを認めたがらないのは、
 そして、みなで示し合わせて、2001年にそれが死ぬことにしようとしているのは、そんなにめずらしいものじゃない。
 アイデンティティだ。

 いま、言葉はなにをいっても、何かをしてしまう。
 あまりにも充実した言葉はいきぐるしく、そして、アイデンティティをぐちゃぐちゃにする。すぐれて90年以後に特有の情況をかきつづける笙野頼子のしめすように、言葉が勝手にふるまい始めるからだ。だれもが、だから、スタイルをもとめている。にせもののアイデンティティをいきのびさせたい一心で。

 こんにちは、ギャングたち
 スタイルは暴力だし、暴力はスタイルだ。ひとはたしかに暴力からもスタイルからものがれることはできない。だが、それが過剰にひとをつきうごかすとしたら、もう、完全な壊滅までは遠くない。いちど無意味になった言葉は、二度と意味を持つことは出来なくて、むなしくものを指すだけだった。だから、ばらばらなのだ。
 「失楽園」の二人が逃げ出す場所はこの世界にはない。
 だが、その場所をさがすことからはじめなくて、言葉を作るというはたらきは何だろうか。
 
 ウイルスであり、カルト信者である隣人である「詩」への不安ははげしくなっている。
 1995年に、出現した「内戦」「脳内革命」にくらべれば、Dragon Ashのいう連帯や革命はたんに確認にすぎない。
 
 ためらいながら歌う、追悼の詩を、ほとんど聞こえない耳を澄まして、書き付けようと思う。
 ますます、あやつり人形ににてくる風景の中で。

  >>次のページへ
 
  //1999/10/25//